第35話 好きな食べ物を聞かれただけなのに、なぜか日曜日の約束をしていました
その日の夜。
心地よい疲労感に包まれながらベッドに潜り込み、寝る前にスマホをチェックすると、宝泉銀華から一通のメールが届いていた。
内容は、明日の放課後にドッジボール部の見学に来ないかという丁寧な誘いだった。
僕はすぐに親友の類へ連絡を取り、互いに予定がないことを確認して「二人で行くよ」と了承の返信を送った。
けれど、メールの通知音はそこで鳴り止まなかった。
『一つ、お聞きしたいことがあるのですが……よろしいですか?』
『何かな?』
『志貴さんの、お好きな食べ物は何ですか?』
あまりにも唐突な質問に、僕は首を傾げた。
『好きな食べ物? なんでまた急に』
『ただの興味ですよ。……答えてくれませんか?』
少しだけ食い下がってくるような文面に、僕は素直に指を動かす。
『今はラーメンかな。特に、身体の芯まで温まるような、こってりした豚骨!』
返信は秒速で返ってきた。
『やはり。それなら、博多駅の「全国統一」というラーメン屋には行きましたか?』
『もちろん! あそこのスープ、濃厚なのにキレがあって最高だったよ』
『ふふ、あそこの店には、普通は入れない“あるもの”があるんです。それを加えると――劇的に味が変わりますよ。「禁断の隠し味」と呼ばれていて、常連でも一握りしか知らないんです』
隠し味。その響きだけで、僕の胃袋がぎゅっと掴まれたような気がした。あんなに完成された「全国統一」の味に、まだ先があるというのか。
『本当!? もしよければ、それを教えてくれないかな?』
『いいですよ。……でも、条件があります』
条件。ここで交渉を持ち出してくるとは、銀華は意外と策士なのかもしれない。
『僕にできる範囲のことなら、聞くよ』
『わかりました。では、今週末の土日のどちらかで、私たちと一緒にその店へラーメンを食べに行きませんか? そこで直接、教えます』
一緒に食べに行くだけ?
下心なんて微塵も感じさせない、純粋な「食の誘い」。ラーメンの深淵に触れられるなら、むしろこちらからお願いしたいくらいだ。
『もちろん行くよ! 日曜日でもいいかな?』
『はい。ありがとうございます。……楽しみにしていますね』
最後には、福岡のご当地キャラ「明太くん」が深々とお辞儀をしているスタンプが送られてきた。
(よっしゃ……! これでまたラーメンの真髄に一歩近づける。日曜が楽しみで仕方ないな!)
僕は究極の一杯を想像しながら、期待に胸を膨らませて深い眠りについた。
*
志貴が夢の中で豚骨スープに浸っている頃。
宝泉姉妹の部屋では、宝泉姉妹による「志貴攻略会議」が熱を帯びていた。
「ねぇ銀? なんでアイツをラーメンなんかに誘ったのよ。もっとドッジの話をすればいいじゃない」
姉の金美が、不満げにベッドの上でクッションを抱え込んだ。
「ふふふ。姉さんはわかっていませんね。会話のきっかけなんて、相手の興味があるものなら何でもいいんですよ」
銀華は眼鏡を指先で上げ、スマホの画面を見つめたまま冷徹に分析を続ける。
「甘いです。彼は確かに少し興味を持っていますが、見学に来るのはあくまで義理に近い。それに対し、陸上部は――」
「めんどいこと考えすぎ!」
金美が、話をぶった切るように声を上げた。
「明日の見学で、あたしたちの凄いプレイ見せればイチコロでしょ?」
「お姉ちゃん。話を遮らないでください」
銀華が、冷ややかな視線を向ける。
「ご、ごめんって。それで?」
「もう……。陸上部は彼の『青春の残り香』がある場所です。おまけに、あの熱海陽奈という強力な幼馴染が四六時中マークしている……」
「……あの突っかかってきた女ね」
金美の言葉に、銀華は小さく首を横に振った。
「あの子は危険ですよ。志貴さんの『罪悪感』と『信頼』を一番持っている。今のまま普通に勧誘しても、私たちは負けます。だからこそ、彼女たちが介入できない『プライベートな領域』に楔を打ち込む必要があるんです」
「……つまり、デートってこと?」
「ええ。まずはラーメンを餌に、私たちの隣が『居心地の良い場所』だと覚え込ませるんです。お姉ちゃん、日曜日は私の指示通りに動いてくださいね?」
「わかったわよ。こういうのは銀の方が頭回るもんね……」
金美は納得したように頷き、ニヤリと笑った。
「アイツはあたしたちが見つけた最高の獲物なんだから。絶対に他の部活には渡さないわよ!」
「ええ。……必ず、彼を手に入れてみせますから」
純粋に「部員不足を解消する」という目的から始まったはずの計画は、いつの間にか「志貴という存在を自分たちの陣営に繋ぎ止める」という、無自覚な独占欲へと変質していた。
二人は、それがただの勧誘ではないことに、まだ気づいていなかった。




