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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
四章 それぞれの願う道

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明るい未来

 ナタリーは瞳を開けた。月の明るさしか感じないのでまだ夜だろう。しかし彼女は再び目を閉じる事が出来なかった。女神マリーが彼女の枕元に立ったのだ。

「どうかした?」

 ナタリーの些細な動きに反応して、エドワードが少し眠そうな声で問いかける。

「ごめんなさい、起こしてしまったかしら」

「気にしなくていい。怖い夢でも見た?」

 ナタリーは首を横に振った。そして寝返りを打ちエドワードを見つめる。彼は既に目を覚ましており、まっすぐ彼女を見つめ返した。

「今、マリー様に子供を捧げなくていいと言われたの」

 ナタリーは以前、黒髪の子供が生まれたら私に捧げなさいという女神マリーの声を聞いていた。その後、黒髪の男児を産んだ際に狼狽えてしまったのだが、エドワードが落ち着かせてくれたので気にせずに息子ウォルターを育てており、すっかり忘れていたのだ。

「女神はシルヴィを認めたのだろうか」

「どうかしら。その辺は何も言っていなかったけれど」

 シルヴィがレヴィ王宮を出立してから一週間も経っていないので、まだシェッド皇宮には辿り着いていないだろう。何故女神マリーが今夜そのような事を告げたのかナタリーには見当もつかない。

「女神がウォルターを諦めてくれたのならそれでいい」

「そうね。私達の子供達はレヴィ王国で幸せに暮らしてほしいわ」

 ナタリーは嬉しそうに微笑むと、エドワードも笑顔を浮かべる。

「本当に色々とありがとう。エドには感謝してもしきれない」

「私はレヴィ王国の平和の為に行動をしただけ。決してシェッド帝国の為ではないから感謝は要らない」

 エドワードは自国を守る為に周辺国の情報を収集し、水面下で適切な対応をしてきた。今回のシェッド帝国の件もあくまでその一環であり、特別に行動したわけではない。それでもナタリーの存在が行動に大きく影響を与えている。彼女がいなければ対応はもう少し冷ややかだっただろう。だが、それを彼女に言う気はない。彼女はそんな彼の気持ちを理解しているが、それでも感謝せずにはいられなかった。彼女だけでは母国に食糧を送る事は出来なかったのだから。

「私もレヴィ王国の為に頑張るわ」

「ナタリーは私の妻でいてくれたらそれでいい。王妃の執務を頑張り過ぎて私を蔑ろにされると困る」

「蔑ろになんてしないわ」

 ナタリーは器用な方ではない。いくつもの事を並行して考えながら行動する事が苦手だ。最近は母国の事を気にする時間や王妃の執務の時間が確かに多かったが、エドワードに対して冷たく振舞ったつもりはない。それでも彼にとってみればその時間は余計に思えていた。

 エドワードは微笑むとナタリーを抱きしめる。

「頑張るのは程々でいい」

 そう言ってエドワードはナタリーの耳の後ろに口付ける。彼女は彼にされるがまま身を任せていた。普段ならやんわり止める彼女が無抵抗な事に違和感を覚え、彼が彼女を覗き込む。

「止めないの?」

「エドに愛されている証拠だから」

 ナタリーははにかんだ。王妃が所有印をつけているなど褒められた事ではない。それでも彼女は以前エミリーに指摘された事が事実に思えて、エドワードがそう願っているのなら抵抗するのは違う気がしたのだ。彼は困ったように笑う。

「ナタリーは私を受け入れすぎだ」

「エドは節度を弁えているから問題ないわ」

 ナタリーが笑うとエドワードも笑う。そしてどちらからともなく唇を重ねる。理由はどうあれ彼の元に嫁げた事に感謝をし、彼のぬくもりに包まれながら彼女は再び眠りに落ちていった。



 豊穣祭が無事に行われ、サマンサとの久々の再会を楽しんでから二週間ほど過ぎた頃、正式な使者がシェッド帝国からの手紙を運んできた。それはアナスタシアとシルヴィ、そしてシャルルからも届いていた。ナタリーはまさか父から手紙が届くとは思わず、何が書いてあるのか不安になりながら開いたものの、内容は今まで父親として振舞わなかった事の詫びと、今回の食糧提供の感謝、国内の生産量が十分潤うまでの支援依頼が書かれていた。急に態度を変えた父の反応の意味がわからなかったが、それは母の手紙で補足されていた。

 アナスタシアからの手紙にはシャルルの事情についての説明の他に、ナタリーの名誉を回復出来た事、ルイが幽閉された事、腐敗していた聖職者達を更迭出来た事、食糧支援についてのお礼が書かれていた。

 ナタリーはやっと禁忌を犯した皇女という忌々しい肩書が消えてほっとした。もう今はレヴィ王妃なのでそのような肩書など気にしなくてもいいが気分のいいものではない。どうにもならないと諦めていたのに、エドワードが提案してくれた事が彼女は嬉しかった。万が一子供達が将来シェッド帝国へ行く事があり、その時に禁忌を犯した皇女の子供という不名誉な肩書を背負わなくていいというだけで心が軽くなった。

 ナタリーは最後にシルヴィからの手紙を広げた。そこにはジェロームに振り回されてレヴィ各地を巡った事、ケィティで海を見た事、シェッドに戻ってからアナスタシアと一緒に今後は活動する事が書かれていた。シルヴィとジェロームは穀物を積んだ馬車と共に移動する予定だったのだが、穀物を乗せた馬車だけ先に国境へ向かわせ、二人だけで旅行を楽しんだようだ。楽しんだと言うと語弊があるかもしれない。ジェロームは楽しんだが、シルヴィの気持ちは複雑だった。

 シルヴィはアナスタシアの取り計らいで庶子から皇女になった。勿論反発を完全に抑えられてはいないので、今後のシルヴィの行動が重要になってくる。ナタリーもシルヴィを応援しようと今後はシルヴィの事を聞かれたら姉だと答えようと決めた。嘘が苦手な彼女ではあるが、今は心からシルヴィの事を姉だと思えているので笑顔で答えられるだろう。



 季節は廻り、春が訪れた。ナタリーが第四子である娘を出産して暫くした後、アナスタシアから手紙が届いた。それは秋蒔き用のライ麦がそれなりに収穫出来たという嬉しい知らせであった。毎年レヴィ王国から支援を続けるわけにはいかないので、自給率があがるこの報告に彼女は笑顔になる。ちなみにシルヴィは未婚のままだ。それはシャルルが反対したわけではなく、シルヴィがまず皇女として認められるよう活動を優先しているからである。それでもアナスタシアの手紙には最後にこう書かれていた。


――私は女神マリーから昨秋神託を受けました。その際最後に、貴女の奉仕に報いる為に望みをひとつ叶えましょうと言われました。これはシルヴィ様に男児を授け、教皇に据えるという意味だと私は信じています。――


 ナタリーもシルヴィの息子がルジョン教の教皇になる事を望んでいる。幽閉されているルイも聖職者になれるように教育をし直されているようだが、本人にやる気がないらしい。兄は一生心を変えられないのだろうなと彼女は呆れながら窓の外を見る。レヴィ王国は今日も快晴だ。彼女はシェッド帝国の神聖なる森がある方角へ身体を向けると、母の願いが叶いますようにと女神マリーに祈った。



 シェッド帝国は数年かけてシェッド連邦へと形を変える事になる。レヴィ王国はシェッド連邦となっても友好的な関係を保ち続けた。また連邦制に変わりシャルルの肩書が皇帝から教皇に変わっても、アナスタシアの肩書は皇妃のままであった。それは庶民達が皇妃様と呼ぶ事に慣れてしまっていたのと、教皇の妻にそもそも肩書がなかった為そのまま据え置かれたのだ。彼女は教徒達と農作業をする傍ら、女性の地位を上げる活動も積極的に行った。

 そして亡くなった後、アナスタシアは偉大なる皇妃と呼ばれる事になる。シェッド帝国の歴史において女性として初めて名を残したのである。この名は長く語り継がれ、ルジョン教徒達の中では彼女にあやかって娘の名を付けるのが一般的になった。彼女の活動はルジョン連邦全体に浸透し、争いを好まず家族仲良く暮らすという教義に則った穏やかな国となる。そしてシルヴィとナタリーの産んだ子がそれぞれ教皇とレヴィ国王となり、この大陸に長く平和をもたらしていくのである。

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