意味不明な手紙
「王妃殿下。陛下がお呼びでございます」
ナタリーは王妃の執務室に訪れたエドワードの従者に問うような視線を向ける。普段、執務中の彼から呼び出される事はない。彼女の視線の意味を従者は的確に捉えた。
「詳細は直接話したいと承っております」
「今でないといけないのかしら」
「はい、早急に話したい議との事です」
ナタリーは首を傾げて考えたものの、思い当たる節がない。そもそもエドワードは何でも自分で決めたい性格であり、彼女に何かを問うたりしない。だからこそ特殊な案件なのだろうと彼女は女官長の方を向いた。
「女官長、誰か尋ねてくるようなら気分不良で休んでいると伝えておいて」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
女官長は頭を下げた。ナタリーは立ち上がり部屋を出ると、従者の後ろを大人しくついていく。レヴィ王宮は広く、彼女が足を踏み入れた事のない部屋も多い。そして案内されたのは初めて訪れる部屋だった。従者は扉を軽く二度叩く。
「陛下、王妃殿下をお連れ致しました」
「彼女だけを入れよ。それと暫く誰も通すな」
「かしこまりました」
従者が扉を開けたのでナタリーは部屋の中に入る。予想していたよりも狭いその部屋にいたのは、椅子に腰掛けているエドワードと見知らぬ男が二人。一人はエドワードの真正面で黒ずくめの格好をして跪き、もう一人は軍服姿でその後ろに控えていた。彼女はどう対応していいのかわからず夫の顔を見つめる。すると跪いていた男が顔を上げ、彼女を見つめた。
『その黒髪、ナタリー様で――』
「発言は許可されておりません」
軍服の男が声を被せて、帝国語を口にした黒ずくめの男を黙らせる。しかしナタリーはやはりどちらも見覚えがない。彼女は記憶力にあまり自信がないので、もしかしたらどこかで会っているのかもしれないと必死に考えていると、エドワードが軍服の男に視線を向ける。軍服の男は頷くと彼女に対して一礼をした。
「お初にお目にかかります。私はオリバーと申します。どうぞノルとお呼び下さい」
名前を聞いてナタリーは彼がエドワードの従弟である近衛兵だと理解した。
「初めまして、ナタリーです」
「突然呼び出してすまない。この男の処遇について意見を聞きたい」
エドワードはナタリーに隣の椅子に腰掛けるように手で勧める。彼女は一礼すると椅子に腰掛けた。
「申し訳ありません。私は彼に見覚えがございません」
「彼はシェッド帝国からの闖入者だ。ノルが入国後ずっと後をつけ、王宮前で捕まえた」
帝国語を口走ったのだからシェッド帝国から来たのは間違いないのだろうが、ナタリーには誰だかわからない。そもそも彼女は地下室で隠れるように生活していた為、母国での顔見知りが極端に少ない。
「闖入者という事は使者ではないのですね」
レヴィ王国とシェッド帝国は表向き今でも友好国なので、公式の使者なら行き来が出来る。実際交易の為に役人や商人が行き交っている。
「あぁ。使者の証を所持していない。本来ならナタリーに会わせなくても良かったのだが、彼がどうしても手紙を直に渡したいと聞かなくてね。拒否権はナタリーにあるよ」
ナタリーは手紙と聞いて迷った。母とシルヴィからの手紙ならこのような事にはならない。そうなると父か兄からなのだろうが、正直どちらとも関わりたくなかった。
「父か兄からの手紙でしたら受け取る気はありません」
『何故ですか! シェッド帝国の危機を救えるのはナタリー様――』
「発言はご遠慮願います」
オリバーに再度言葉を遮られ、男は訴えるような視線をナタリーに向ける。彼女はあえてレヴィ語で応対したのに適切な帝国語の返答があったので、男は二ヶ国語を理解していると判断をした。シェッド帝国ではレヴィ語を理解する者はとても少ない。彼女は困ってエドワードを見る。
「手紙を見るくらいはしてもいいのではないか? 正直私は何が書いてあるのか興味がある」
エドワードはどこか楽しそうである。ナタリーは迷ったものの、彼は内容を把握していそうなので、とりあえず従ってみる事にした。
「わかりました。受け取りはしましょう」
黒ずくめの男は瞳を輝かせて衣服の中から手紙を出すと、前に進み出てナタリーに差し出した。彼女は手紙を受け取り表情を曇らせる。封筒にも入っていない手紙を父が寄越すとは思えない。父ならまだしも、兄ならろくな事が書いてある気がしないと、彼女は憂鬱そうに手紙を開いた。
――ナタリー、シェッドの危機だ。レヴィ王国から軍隊を派遣してほしい。 ルイ――
ナタリーは眉を顰めた。状況が全くわからない。一体何が起こってシェッド帝国の危機なのか。しかも軍隊を派遣とは騒々しい。
「陛下、私では判断致しかねるので見て頂けますでしょうか」
「勿論」
ナタリーはエドワードに手紙を渡した。彼は内容を読んで笑顔を浮かべる。
「ルイ皇太子殿下は相変わらずだね。この内容で伝わるはずがない」
『状況説明でしたら私が――』
許可を得ず話そうとする黒ずくめの男の首筋に、オリバーが素早く鞘から抜いた短剣の刃を当てる。ナタリーの知り合いの可能性を考えてここまで何もしなかったが、二人の様子からして面識がないと判断をし態度を変えたのだ。皇族でないのなら国王夫妻と同等に話せるはずがないのに、それさえもわからない男に彼は呆れて小さくため息を吐く。
『状況説明は要らない。おおよその事は聞こえてきている。ちなみに返事を持ち帰る意味はないと思うが、必要か』
オリバーの威圧的な帝国語に黒ずくめの男は驚きの表情を向けた。レヴィ王国でも帝国語を理解する者は少ない。何故なら表面上は友好国ではあるものの、商人以外の交流はあまりないせいである。宗教国家と、そうでない国家の人々が仲良くするのは簡単ではない。
『持ち帰る意味がないとは、どういう意味でしょうか』
「そのままだ。ナタリーがルイ皇太子殿下の依頼を受ける理由がない」
エドワードも帝国語は堪能だが、あえてレヴィ語を用いた。一国の王が使者でもない男に気を遣う必要はない。帝国人は見栄を張りたがり、またすぐ調子に乗る所があるので、彼は帝国語を必要と思った時にしか使わない。何故ルジョン教を信仰していながらそういう性格なのか、これは彼にとって長年の疑問である。
『ルイ皇太子殿下はナタリー様にとって唯一の兄君。ルジョン教徒であるナタリー様が家族を蔑ろにされるはずがありません』
「兄が家族? 貴方は兄が私に何をしたのか知らないの?」
ナタリーもまたエドワードに倣ってレヴィ語を使用し続けた。彼女は現在レヴィ語の方が自然と口に出る。帝国語は意識しないと話せない程になっていた。
『ナタリー様が禁忌を犯された時に減刑を陛下に訴えられたと聞いています。今こそ、その恩を返す時ではありませんか?』
黒ずくめの男にナタリーは渇いた笑いを向けた。目の前の男は若い。多分、当時の事情を知らないのだろう。罪を擦り付けられた事がそのような話になっていたのかと彼女は呆れる。だが兄ならやりかねないとも思った。
「もしシェッド帝国の危機ならば、父から正式な使者が来るはず。兄が個人的に私の所へ手紙を送るという事は、兄にだけ都合の悪い状況なのでしょう。そしてそれはきっと自業自得」
『何故そのような冷たい事を仰せになられるのでしょうか』
「私は道理を通してほしいと言っているの。非公式の手紙で対応出来る内容ではないわ」
普段おっとりしているナタリーの声色に苛立ちを感じ取ったエドワードは、彼女に優しく微笑みかける。
「ナタリー、とりあえず返事を書いてあげたらどうだろうか。それを見てルイ皇太子殿下が理解するかはわからないけれど」
「陛下はおわかりかもしれませんが、私には何故このような手紙を貰う事になったのかがわかりません。出来れば説明をして頂きたいのですけれども」
エドワードは頷くとオリバーに視線を遣った。オリバーは頷くと黒ずくめの男を無理矢理立たせて、部屋の奥にある扉から隣室へと消えていった。扉が閉まるのを確認してからエドワードは真剣な眼差しをナタリーに向ける。
「先日、シェッド皇宮がルジョン教徒達に強襲された。ジャンヌという女性が亡くなったと聞いている」
ナタリーは目を見開いた。ジャンヌは父の妾であり、シルヴィとデネブの母親である。彼女はジャンヌと面識がないので衝撃はない。それよりも皇宮が強襲された詳細を知りたかった。
「母は? 母は大丈夫なの?」
「あぁ、無事なようだ。詳細は今後届くだろう。ジェリーが戻り次第、話を聞くといい。ルイ皇太子殿下の要請はそのルジョン教徒から自分の身を守る為に軍隊を派遣しろという意味だろうが、正直庶民に軍を向けるなど正気の沙汰ではない」
「えぇ。無力な教徒達に何て恐ろしい事を考えているのかしら。まずは襲った理由を聞いて話し合うべきだわ」
「皇妃殿下はその話し合いの場を設けられたらしい。だから軍隊など要らない。これは皇妃殿下に任せるべき案件だ」
「母が? 父はどうしたの?」
シェッド帝国では皇帝が絶対の権力を握っている。それなのに父でなく母が話し合いの場を設けるという状況が、ナタリーには上手く理解出来なかった。
「陛下は皇妃殿下の横に居るそうだよ。陛下に発言権があるかまではわからないけれど」
父と母の立場が逆転している事が不思議で仕方がなかったが、ナタリーはそれ以上エドワードを追求しなかった。彼女は長年彼の隣にいるからこそ、話す気があるかどうかは雰囲気でわかる。今はこれ以上語る気はないと思えた。
「とりあえず兄に断りの手紙を書くわ。それとジェリーが戻ってきたらすぐに会わせて貰えるかしら」
「約束する」
エドワードが微笑んだのでナタリーは頷いた。彼は決して自分が望まない事をしないと彼女は信じている。理由はわからないが母は大丈夫なのだろうと思い、彼に差し出された便箋を使ってルイ宛の手紙をその場でしたためた。




