戻ってきた近衛兵
ナタリーがルイ宛に手紙を書いてから数日後、彼女は再びエドワードに呼び出されて客間を訪れていた。そこにはソファーに腰掛けたエドワードの他に軍服を着た男が一人立っている。エドワードに促され、ナタリーは彼の横に腰掛けた。
「お初にお目にかかります。陛下の近衛兵をしております、ジェロームと申します。どうぞジェリーとお呼び下さい」
ジェロームは一礼をした。栗毛に淡褐色の瞳という組み合わせはこの大陸では珍しくない。しかしそれは庶民の大多数がそうなのであり、エドワードの従弟に当たる者の容姿としては些か不自然だとナタリーは思った。先日会ったオリバーは栗毛に碧眼だったのだ。
「彼は紛れもなく私の従弟だ。外見は母方の血が濃く出ているが、レヴィ王家の血を継いでいる」
エドワードがナタリーの疑問を察し、説明を添えた。レヴィ王家では国王になる者と総司令官である赤鷲隊隊長になる者がいる。そして赤鷲隊隊長は王位継承権を捨て、その子孫は近衛兵として王家に仕える事になる。ジェロームの父親はエドワードの叔父である前赤鷲隊隊長なのだ。
「はじめまして、ナタリーです」
「髪がお綺麗ですね。私も長らく帝国に潜んでおりましたが、このような漆黒は皇帝陛下以外では見た事がありません」
皇帝陛下と聞いてナタリーの表情が少し陰る。他人のような父で顔も似ていないのだが、髪色だけは受け継いだ。シェッド帝国では髪色が漆黒に近いほど敬われる。ルイはやや灰色寄りの黒髪なのでナタリーの方が髪色だけなら敬われるはずなのだが、彼女は兄のせいで髪を隠して暮らす羽目になった。それ故に彼女は自分の髪色が嫌いだった。だが今は夫や子供達が褒めてくれるので受け入れている。
「失礼致しました。私もルイ皇太子殿下には思う所がございます。ルジョン教徒としても次期皇帝に相応しいとは思えません」
ルジョン教徒と聞いてナタリーは驚きの表情を向ける。レヴィ王国は宗教の自由が保障されているので信仰は自由であるが、この国で特定の宗教を信じている者は少ない。エドワードから以前聞いてはいたが、本当に信仰しているとは思っていなかったのだ。
「最初はふりをするだけのつもりだったのですけれども、皇妃殿下とお話しさせて頂き感銘を受けました。帝国では陛下の密命に当たる時間を縫って、皇妃殿下のお手伝いもさせて頂きました」
「具体的にどのような事をしていたの?」
「ここへ戻る道中、王妃殿下に送って頂いた秋蒔き用のライ麦の種を各地に配りました」
秋蒔き用のライ麦の種は、数ヶ月前にナタリーがアナスタシア宛に送ったものである。それを知っていて配ったのなら、ジェロームは母の信頼を得ていたのだろうと彼女は思った。
「シェッドの今年の収穫状況を知りたいのだけれど」
「中央は皇妃殿下の努力が実を結び、芋と燕麦が収穫出来ています。しかし地方は芳しくありません。特に北方と西方は今年も凶作のようです」
凶作と聞いてナタリーは心を痛める。強襲されたのは凶作が原因なのかもしれない。先日農林大臣が言っていた米の輸出をエドワードにお願いしなければいけないと彼女は思った。
「シェッド皇宮が襲われた時の母の様子はわかるかしら」
「こちらに戻る際に皇妃殿下に挨拶をしましたが、とても落ち着いておられました。また、ルイ殿下が行方不明という話も聞いています」
「兄が行方不明?」
ナタリーは眉を顰めた。彼女にしてみればルイは随分と神経が図太い印象だ。手紙を一体どこから送ってきたのか、彼女には見当もつかない。
「えぇ。詳細は向こうに残っている者からの連絡待ちではありますが、あの方は簡単には命を落とさないでしょう。他に気になる事があればお答え致します」
「ジャンヌ様が命を落とされたと陛下から伺ったのだけれど、父と姉二人はどうなのかしら」
「皇妃殿下は今後シェッド帝国を正しい国へと変える為に皇帝陛下を失うわけにはいかないと判断されておりますので、皇帝陛下の身は守られるでしょう。デネブ様はわかりかねます。彼女に仕えていた護衛騎士が仕事をしたとは思いますが」
「シルヴィは?」
「シルヴィ様はご無事です。ただ、少し心を閉ざされてしまわれたようで」
ジェロームは視線を伏せる。ナタリーは彼の言葉を上手く理解出来なかった。自由に生きているシルヴィが心を閉ざす状況が彼女には想像出来なかったのだ。だが、母を失ったのだから気持ちが落ち込むのは考えられる。
「そう。無事ならよかった」
「シルヴィ様は現在地下室にいらっしゃいます。ナタリー様になら心を開いて頂けるのではないかと思うのですけれども」
「地下室? シェッド皇宮の?」
「いいえ。レヴィ王宮の地下室です」
ジェロームの言葉をナタリーは理解するのが一瞬遅れた。そして理解した瞬間、以前話していたエドワードの言葉を思い出して彼の方を見る。
「母と意見が一致したのは、シルヴィの命なのでしょうか」
「そうだ。だが計画は完璧ではない。ジェリーが狂わせてしまった」
「狂わせたとは酷いですね。少しシルヴィ様が頑ななのです」
「もしかして、ジェリーがシルヴィの護衛騎士?」
「えぇ。レヴィ王国とシェッド帝国の戦争が終わってから約四年、シルヴィ様に仕えさせて頂きました」
ジェロームは笑顔を浮かべた。レヴィ王国の、しかもエドワードの近衛兵をシェッド帝国の軍人として雇い入れ、大切にしている娘の護衛を任せるという、父の見る目のなさにナタリーは愕然とする。ジェロームが間者として優れているのだろうと思っても、見抜ける者が誰もいないシェッド帝国内部が彼女には不安に思えた。
「一体シルヴィに何をしたの? 護衛騎士の事を疎ましく思っている様子だったわ」
ナタリーはシルヴィから定期的に手紙を受け取っていた。そこには父に結婚相手として薦められた護衛騎士が苦手だと書かれていたのである。
「こちらへ歩いて連れてくる都合上、どうしても身体を鍛えて頂く必要がございました。シルヴィ様はそれが辛かったのでしょう」
「シェッド皇宮からここまで歩いてきたの?」
ナタリーは驚いた。馬車で半月もかかる道を歩く事など彼女には想像出来ない。しかもシルヴィは身体を動かす事を非常に嫌っていた。とても歩けるとは思えない。
「厳密に言うと国境までです。レヴィ国内の移動用にレスターで馬車を用意して頂きましたから」
レスターはレヴィ王国の都市の名前である。シェッド帝国へ行く為の道があるが、それは二国間の国境である山脈を越える事になる。馬車移動の遠回りと比べて距離は短くなるものの、その分歩きやすい道ではなくなる。
「よくシルヴィが歩いたわね」
「こちらもシルヴィ様の性格を考えて計画を立てましたから。ただ、信頼が得られなかったのは私の落ち度です」
「シルヴィは信頼していない者と一緒に行動をするようには思えないけれど」
「そうですね、語弊がありました。人としては信頼して頂けたと思うのですけれども、男性としては受け入れてもらえませんでした」
ジェロームは寂しそうに答えた。ナタリーはシルヴィの気持ちを想像する。ジェロームの髪や瞳の色は一般的でも顔立ちは整っている。エドワードの近衛兵なら頭も良く、剣術も優れているに違いない。二人でここまで歩いているうちにシルヴィの心が動いてもおかしくない気がする。
「シルヴィ様は馬車を降りる際に差し出した私の手さえも無視されたのです」
考え込んでいるナタリーにジェロームは続ける。しかしそれが彼女に違和感をもたらした。彼女は以前、何かを貰った時は喜んでみせるべきだとシルヴィに教えて貰った。そのシルヴィが厚意を無視するとは思えない。
「シルヴィを怒らせるような事をしたの?」
「まさか。私は誠心誠意シルヴィ様にお仕え致しました」
ジェロームは真剣な表情だ。ナタリーには嘘を吐いているとは思えない。だが、横に腰掛けているエドワードがジェロームの言葉に笑みを浮かべた。その反応でジェロームの何かがシルヴィと合わなかったのだろうと彼女は判断をした。彼女は必死に慰めの言葉を探す。
「シルヴィは本気で陛下の事を好きだったと思うの。まだ忘れられないのかもしれないわ」
「陛下より私の方がまともなのですけれども」
「それは聞き捨てならないな」
エドワードはジェロームに笑顔を向けるが目が笑っていない。しかしジェロームはそれをものともせず微笑むだけ。ナタリーは慰めの言葉を探すのをやめた。ジェロームがシルヴィの態度に傷付いているわけではないと思えたのだ。
「とにかくジェリーが狂わせた計画の軌道修正が必要だ。その為にナタリーに力を貸してほしい」
「私に出来る事などありますでしょうか」
「あぁ。こちらの計画通りにシルヴィを説得してほしい。これから計画を説明し、もしその内容が嫌なら説得を拒否して貰っても構わない。ただ、これは皇妃殿下も願っているという事だけは忘れないでほしい」
エドワードは真剣な表情をナタリーに向けた。彼女は何やら重要な任務を負わされそうだと思い、姿勢を正して頷いた。




