シルヴィとナタリー
翌日の午後、ナタリーは自室のソファーに腰掛けていた。暫くして扉をノックする音がし、彼女が答えると一人の女性が室内へ足を踏み入れる。
『シルヴィ、久しぶりね』
ナタリーは入室した女性に帝国語で話しかけた。ナタリーの記憶ではふくよかな体型だったシルヴィだが、今はすらりとしている。一瞬誰なのかと迷ったものの、面影は確かにシルヴィだった。
『本当に痩せて綺麗になったわね』
『夫婦で同じ事を言わないで』
シルヴィは不満そうにナタリーを睨む。ナタリーは口調がシルヴィそのもので安心した。宝飾品をひとつも身に着けていないのも見慣れないが、心を閉ざしている感じはしなかった。
『少し話をしたいの。ソファーに腰掛けて』
『敬語も使わないなんて随分と偉くなったものね』
『シルヴィは遠慮を覚えたのね。以前なら勝手にソファーへ腰掛けていたのに』
ナタリーはシルヴィに微笑みかけた。ナタリーの侍女イネスが紅茶を淹れてテーブルの上にカップをふたつ並べると、壁際へと下がった。
『自分の立場を弁えたのよ』
『それはいい心がけね。それでもこの部屋の中なら私の異母姉という態度で結構よ』
ナタリーはエドワードに話を聞いた時に、ジェロームからもシルヴィがどのように四年を過ごしてきたのか、皇宮からここまで歩いてきた時にどのような話をしたのかも聞いた。その上で、計画通りになるようシルヴィを説得しようと決めたのだ。
シルヴィは大人しくナタリーの向かいのソファーに腰掛けた。
『四年も経ったのに、この部屋は変わらないわね』
『部屋は変わらないけれど子供が増えたわ。会う?』
『そんな話をする為に呼び出したわけじゃないでしょ。本題に入りなさいよ』
シルヴィは不機嫌そうにナタリーを睨む。ナタリーは困ったように微笑み、紅茶を一口飲んでから口を開いた。
『私は兄が苦手なの。あの人が未だに皇太子なのが信じられないわ』
『四年前の戦争で真っ先に逃げ出して捕虜になった男が、未だに皇太子なのは私も納得いかないわ』
『シルヴィはそのような事も知っているの?』
『父が教えてくれたの。父もルイが嫌いなのよ。そもそもルイ側の人間はあれの恩恵を受けた人間ばかりで、国の行く末なんて考えてもいないわ』
シルヴィは嫌そうな顔をする。あれが祖父を指しているのだとナタリーにはわかった。ナタリーにとっても祖父と兄は関わりたくない人である。シルヴィと違うのは父に対しての感情だ。
『私には父もシェッドの未来を考えているのかわからない』
『それなら私をシェッドへ帰して。私の言葉なら父上は耳を傾けてくれるはずよ』
『手紙を書くなら筆記具を用意させるわ』
『人の話を聞きなさい。帰りたいと言っているの』
『申し訳ないけれど私の権限ではシルヴィをレヴィ王宮から出せないのよ』
『そこは色仕掛けでも何でもいいから、殿下、じゃなかった、陛下を説得して』
『私が彼を説得出来ると思う?』
ナタリーの問いかけにシルヴィは一瞬考えてため息を吐いた。
『あんたは昔からそう。最初から諦めて自己主張をしないのが美徳だと思ったら大間違いよ。私にも色々としがらみがあったけど、もう知らないわ。こんな所で燻っている場合じゃないの。父上に早くシェッドの内情を伝えて、政治を見直してもらわないと』
ナタリーはシルヴィから出てくるとは思わなかった言葉に驚く。ジェロームから話を聞いていても、ナタリーの知っているシルヴィとはかけ離れていたのだ。しかし目の前でそう言われてしまえば、ナタリーもシルヴィが変わったのだと納得するしかない。
『いつからそのような考えを持つようになったの?』
『ここまで来る間よ。あの男に色々と現実を見せられたわ。皇宮には食糧が沢山あったのに、市井には余裕が一切ないなんて知らなかった。皇宮にいた軍人は体格がしっかりしていたし、聖職者達は皆太っていたわ。でも途中で出会った人達は司祭も含めて皆痩せ細っていたの』
シルヴィは苦しそうな表情を浮かべている。ナタリーはレヴィ王都にある大聖堂の司教や司祭を知っているが、決して太ってはいない。教理に則り慎ましく暮らしている。だがそれはルジョン教を国教としていないレヴィ王国では寄付金が集まり難いという側面もある。勿論、国としてはレヴィ王国の方が豊かなので、ルジョン教徒だからといって生活に困窮する事はない。
『陛下がレヴィから輸出した食糧は皇宮で留められ、市民には配られないと言っていたわ。父は囲い込みをしていたの?』
『そこまでは知らない。女性が政治に口を挟めない事はあんたも知ってるでしょう?』
シルヴィに言われナタリーは頷く。レヴィ王国でも女性は政治に口を挟めないが、シェッド帝国ではまず女性の地位が低い。むしろアナスタシアは皇妃として活動出来ている方なのだ。
『私はこちらに来て以降を知らないけれど、父は皇帝になってから政治を動かしていたのかしら』
『あれ程ではなくても皇帝である父上には誰も逆らえない。父上が黙認したからナーシャ様も活動出来るようになったのよ』
ナーシャと言われて、ナタリーはアナスタシアとシルヴィの間に交流があるのだと理解した。アナスタシアの愛称であるナーシャは北方語の発音であり、帝国語ではない。アナスタシアの手紙で知ってはいたのだが、にわかに信じられなかったのだ。
『父と母の関係はシルヴィから見てどう感じた?』
『父上は宗教上の夫婦だと言っていたわよ。皇妃はナーシャ様でなければ務まらないと私も思う。いくら女性の地位が低いとは言え、ナーシャ様は独自の勢力を持っている』
『勢力?』
ナタリーは首を傾げた。アナスタシアが力を持っているとは思えなかったのだ。
『敬虔なルジョン教徒達。皇宮にいる聖職者達は腐っているから論外だけど、ここへ来る途中に種を渡した人達は皆、ナーシャ様の名前を聞いて笑顔になったわ。凶作続きで未来が見えないシェッド帝国の光なのでしょうね』
シルヴィのアナスタシアに対する感情が悪くないと感じたナタリーは、本題である計画の話をしようとシルヴィをまっすぐ見据えた。
『今回の皇宮襲撃は母の思惑とは違うの。もしシルヴィが母を助けてくれるのなら嬉しいわ』
『父上に言いたい事を言った後なら修道女になってもいいわよ』
『修道女にはならなくていいわ。母が望んでいるのは出産だから』
ナタリーの言葉にシルヴィは眉を顰める。そして暫く考えた後、結論に思い至ったのかため息を吐いた。
『私はもう若くないわ。他を当たって』
『どうして? シルヴィはシェッド帝国の未来を憂いているのでしょう? 何とかしなければと思っているのでしょう?』
『それは思っているわよ。一刻も早く戻って父上に政治を見直せと言いたいわよ。だけど、相手があの男なら死刑で結構よ』
シルヴィは心底嫌そうな表情だ。ナタリーはそこまでシルヴィが嫌がる理由がわからない。
『どうして? ジェリーの何が不満なの?』
『じぇりー?』
ジェリーはあくまでもレヴィ語の愛称である。ジェロームはレヴィ語でも帝国語でも同じ発音になるが、愛称も同じとは限らない。
『ごめんなさい、ジェロームの事。馬車から降りる時に差し出した手を無視されたと寂しそうにしていたけれど、理由があるのでしょう?』
シルヴィはナタリーを睨みながら暫く口を引き結んでいた。そして視線を外す。
『あの男は猫を被るのが上手いのよ。今から私がされた事を教えてあげるから、それでも私に薦める気になるか考えるといいわ』
そう言ってシルヴィは今までのジェロームについて話し出す。ナタリーはそれを微笑みながら聞いていた。シルヴィは思い出せる限りジェロームのあり得ない態度について話したが、ナタリーの表情が一向に変わらない事に苛立った。
『何で笑ってるのよ。馬鹿なの?』
ナタリーは久しぶりに聞いたシルヴィの口癖により笑みを深くする。
『私は昨日ジェロームからも話を聞いているの。幸せそうで何よりだわ』
『はぁ? あんたが同じ立場になっても幸せだと言えるの?』
『ジェロームと同じ行動を陛下が取ったとしても、私は彼を愛し続けるわ』
ナタリーはジェロームがシルヴィに妙な態度を取ったのだろうと思っていた。しかし話を聞いている分には別段違和感がなかった。エドワードを受け入れてしまったが故にナタリーの価値観が一般常識から外れてしまったと、本人は気付くはずもない。
『誰が惚気なさいと言ったのよ。あんたじゃ話にならないわ。イネス、今の話を聞いておかしいと思ったわよね?』
シルヴィは壁際で控えていたイネスを睨んだ。急に話を振られてイネスは言葉に詰まる。イネスはジェロームの行動を受け入れられなかったが、侍女として近衛兵を否定するような言葉を口にするのに抵抗があったのだ。シルヴィは苛立ちが募ってソファーを叩く。
『もう、何なの。私に生贄になれというの?』
『生贄だなんて思っていないわ。きっとジェロームはシルヴィを一生大切にしてくれるわよ』
『だから私は嫌だと言っているでしょう?』
『それなら相手がジェロームでなければいいの? こちらの願いとしてはシルヴィが男児を出産する事であって、相手を強要する気はないのよ。勿論、陛下は譲れないけれど』
『陛下の事なんて今は何とも思っていないわよ』
『陛下に会いにここまで来たのではないの?』
シルヴィは本気で言っているとナタリーは思った。だが、シルヴィがここまで歩いてきた理由がナタリーには他に思い浮かばなかったのだ。
『あの男が親戚の所へ避難すると言うから一緒に歩いた結果がここだったの。私は騙されたのよ』
『ジェロームはルジョン教徒だから嘘は吐かないわ。実際、彼は陛下の従弟だから親戚で間違いないもの』
従弟と聞いてシルヴィの表情が歪む。しかし、暫く考えて納得したのかシルヴィは表情を無にした。
『レヴィに入国した時、やたら軍人が下手に出ておかしいと思ったの。王家の血筋って事?』
『そうね。彼は王族ではないけれど、レヴィ王家の血は流れているわ』
『もしかしてシェッド帝国を乗っ取るつもり?』
『まさか。レヴィ王国はこれ以上国土を広げる気はないわ。ただ、シェッドが大人しくしていてくれればそれでいいの。兄が皇帝にならなければそれでいいのよ』
シルヴィは俯いた。彼女の中で葛藤があるのだろうと、ナタリーはシルヴィの考えがまとまるまで大人しく待った。
『考える時間をくれないかしら。私もルイが皇帝になるのは嫌。それでも今すぐに答えは出せない』
『えぇ。勿論よ。いい返事を待っているわ』
ナタリーは微笑んだ。シルヴィも困ったように微笑むと紅茶を口に運んだ。




