三人の兄
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生誕祭が終わり、王宮内もすっかり日常を取り戻していた。
クロードは朝早くから起き出して稽古、そのあとはひたすら勉強、勉強、勉強。
王子と王女、両方の勉強をこなしつつ、将来のためにと少しずつ執務も回ってくるから、クロードの毎日はそれなりに忙しい。
その日は雨が降っていた。
私は雨というだけでなんとなく鬱屈としていた。
仕事中だからもちろん例え晴天だったとしても外には出ないけど、雨が降っているだけで無条件に気分が沈む。
クロードも時々窓の外に目をやってため息をつきながら執務をこなしていた。
しかも今日は気温が高く、部屋の中はかなり蒸し暑い。
夏が近づいているせいなのだろうが、最近はこういう日が多かった。
部屋の扉が叩かれたのは、クロードが暑さに耐えきれずウィッグを外したときだった。
再びクロードがウィッグをつけて王女モードになったのを確認して、扉を開けた。
廊下には案内係の兵が立っていた。
「なにか?」
「ゲイリー隊長、ローレンス閣下、ノーマン隊長がクラリス王女殿下にお目通りを願いたいと」
「えっ?」
何故あの三人が?
驚くままクラリスに顔を向けると、クラリスも意外そうな顔をしていた。
「どうしたのかしら。早くこちらへ連れてきて」
「はっ」
案内係はきびすを返して部屋を後にした。
それからいくらも待たずに、三人はやってきた。
「失礼いたします」
「いらっしゃい。ーーご苦労様、下がっていいわ」
早々に案内係を追い出して五人だけになると、私は我慢できずに三人に飛びついた。
「兄さま!!」
突然抱きついたのに、三人はびくともせず私を受け止めてくれた。
「セシリア!久しぶりだなぁ」
「髪が伸びましたね」
「セシリア、殿下の前だ。慎め」
「とか言ってゲイリー兄、セシリアのことしっかり支えてるけど」
私のことを抱きかかえながら口々に話すこの空気も懐かしい。
この人たちは全員私の兄で、愛すべき家族だ。
まず、美しい銀の髪を持っているのがゲイリー兄さま。
エスカチオン家の長男で、つねに冷静沈着。
王国騎士団で“盾”の一番隊隊長をつとめている。
そのそっけない口調と、美しすぎる顔立ちを常に無表情にしているせいで冷たい人だと誤解を受けやすいけど、本当はとってもやさしい私たち兄弟のまとめ役。
つぎに、長い緑の髪を一つにまとめているのがローレンス兄さま。
5兄弟の二番目に生まれたローレンス兄さまは、控えめで、いつも一歩引いたところで穏やかに笑っているような人。
武術はあまり得意ではない代わりに、頭がとてもよくて、書記官長として陛下に仕えている。
ローレンス兄さまが怒るところは滅多に見たことがないけど、たぶん怒ったら一番怖い人だと思う。
そして、オレンジの髪を短く刈り上げているのは、三番目の兄であるノーマン兄さまだ。
ノーマン兄さまは、男兄弟の中で末っ子なだけあって甘え上手というか、どこか憎めないところがあって、小さい頃ノーマン兄さまと一緒にいたずらをすると叱られてもすぐに許してもらえることが多かった。
いつも太陽みたいに朗らかに笑う人で、武術もかなり出来る。
その実力は騎士団長に次ぐと言われていて、今や王国騎士団の“矛”の一番隊隊長だ。
兄さまたちに会うのは何年ぶりだろう。
私も兄さまたちもお互い忙しくて、最近はほとんど会っていなかった。
その分、会えた喜びもひとしおだ。
「お久しぶりです、兄さまたち。すごく会いたかったです」
「本当に久しぶりですね。風邪などひきませんでしたか?」
「大丈夫です、ローレンス兄さま。兄さまたちもお元気そうで…」
そこで話が中断された。クロードが咳払いをして注意を引いたのだ。
「再会を喜び合っているところ悪いが、一体何の用で来たんだ?」
そうだった。
この三人の兄さまたちは、みんな私を可愛がってくれる。
やっぱり待望の末生まれた女の子である姉さまみたいなお姫様扱いじゃないけど、末っ子ということで色々と甘やかしてもらった自覚はある。
でも立場がある三人が、わざわざ私に会うために来たとは思えない。
“盾”と“矛”の一番隊隊長と、書記官長。
それぞれ要職についている身だ。
こうして時間を作り、三人でそろって来たということは、なにか重要な用なのだろう。
三人はクロードの言葉に目配せをして軽く頷いた。
硬い口調で口火を切ったのは、ゲイリー兄さまだった。
「殿下。我々は、ある重要な話をお耳に入れるべく参りました」
「どういう内容の話だ」
ゲイリー兄さまは怖いくらい真剣な顔で続けた。
「殿下の正体に関わる話です」
一気にクロードの顔が険しくなる。
私も緊張につばを飲み込んだ。
「詳しく話せ」
「は。ノーマン」
ゲイリー兄さまの声に応じて、ノーマン兄さまが口を開いた。
「はい。俺の友人で、ラングレーという男がいます。騎士学校時代の同期で、先日偶然再会して一緒に飲みに行きました。最初は他愛もない昔話なんかに花を咲かせていたんですが、そのうちラングレーはこんなことを洩らしたんです。『“クラリス王女は男だ”と吹聴して回る男がいた』と」
はっと息をのんだ。
ノーマン兄さまはいつも明るく笑顔を浮かべているその顔を引き締め、ローレンス兄さまも厳しい表情をしている。
兄さまたちは、三人ともクラリス王女がクロードであることを知っている。
というか、家族には全員、私が騎士学校に入る前に陛下の許可を得て事情を話していた。
でも私の家族はその場で命をかけてでも秘密を守ることを誓ったし、それ以外は陛下の側近しか知らないことだ。
秘密が露見すれば、それは直接クロードの命に関わる。
「ラングレーは面白い冗談だと、変な男がいたという話の種くらいに思っているようだったので、俺もその場は調子を合わせて、さりげなくその男のことを尋ねましたが、ラングレーはそれ以上のことは知らないようでした。そこで、俺は兄たちに相談しました」
そこで、ローレンス兄さまが話を引き継いだ。
「相談を受けた私たちは話し合い、まず私が内密に調べることになりました。結果、男の容姿はわかりましたが、男を見つけることは出来ませんでした」
「そうか…」
クロードは険しい顔で考え込んだ。
私は一つの可能性に気づいて、おそるおそる言い立ててみた。
「ねえ、クロード。その人、アゼルさんってことはないかな…?」
秘密を知っている人は、元々知っている人たちを除けばアゼルさんしかいない。
もちろん疑いたくはないけど、可能性の話をすれば考えられないことではない。
でもクロードは首を振って否定した。
「…庇いたくはないが、あいつじゃないだろう。下手すりゃあいつの命も危ないんだからな」
そっか、そうだよね。
アゼルさんは誓いを立てているし、なによりあの優しいアズがこんな大事な秘密言いふらすわけない。
少しだけ安堵するけど、正体が分からない以上本当に安心することは出来ない。
そこでゲイリー兄さまがいぶかしげな顔をしているのに気づいた。
「セシリア、そのアゼルというのは誰だ?」
「あ、はい」
そこで、私は兄さまたちにアゼルさんのことを簡単に話した。
私と文通していた相手であること、クロードの秘密を父さまから聞いていること、父さまと“魂の誓い”をしていること。
三人は黙って聞いていたけど、話し終えるとローレンス兄さまが尋ねた。
「そのアゼルという人は、大柄な方ですか?」
「身長は高かったですけど…細身ですし、大柄というほどでは」
兄さまたちはまた目と目を見交わすと、クロードに向き直った。
「では例の男はそのアゼルという人物ではないでしょう。町に放った細作からの報告によれば、男はかなり大柄でがっしりした体格だということですから」
「だろうな。ーー話は分かった。頭に入れておこう」
「我々の方で引き続き調査は進めますが、殿下もどうかお気をつけて」
「ああ。くれぐれも内密に頼む」
「は!」
兄さまたちはクロードに一礼して、そのまま私のところへやってきた。
まずゲイリー兄さまが、ためらいがちに声をかけてくれた。
「セシリア。…あまり殿下のご迷惑になるようなことはするな」
するとノーマン兄さまが呆れつつフォローをいれる。
「ゲイリー兄、そこは素直に『心配してる』って言おうよ」
そしてローレンス兄さまが哀願するように私の顔をのぞき込んだ。
「本当に、無茶だけはしないで下さい」
三人が三様のやり方で心配してくれる。
私は心が温かくなって、やっぱり耐えきれず三人に飛びついた。
「ありがとう、ゲイリー兄さま、ノーマン兄さま、ローレンス兄さま。私、頑張ります!」
クラリスの秘密を知っているという謎の男の話で少し怖くなってしまったけれど、そんな場合じゃない。
私がクロードを守らなきゃいけないんだ。
しっかりと気を引き締め、腰に下げた剣の柄を握りしめた。