第6話:図書室の星屑と、踏み込まない優しさ
図書室に訪れた雫と結衣。しかし雫の魔力が暴発してしまい「流星の空間」が現れてしまい…..
私立藤ケ丘女子学園の図書室は、旧校舎の三階に位置している。
重厚なオーク材の扉を開けると、古い紙とインク、それに微かな埃が混ざった独特の匂いが鼻をくすぐる。天井まで届く背の高い書架が迷路のように入り組んでおり、夕暮れ時になると、西日がステンドグラス風の窓を抜けて、飴色の床に色とりどりの幾何学模様を落としていた。
「ええと、魔法史のレポートの参考文献……『近代生活魔法への変遷と応用』、だったかな」
結衣は小さな声で呟きながら、蔵書検索用の端末には向かわず、直接書架の間に足を踏み入れた。
彼女はそっと目を閉じ、指先を宙に浮かせる。微かな魔力の波紋が広がり、結衣の探しているキーワードに合致する本が、書架の中で蛍のように淡く発光し始めた。これもまた、学生たちが日常的に使う、生活に根ざした検索魔法の一つだ。
「あ、あった。あそこの棚だ」
結衣が嬉しそうに小走りで奥へ向かうのを見送りながら、私も別の通路へと足を踏み入れた。
私が探しているのは、もちろん授業の課題などではない。
一般の生徒はあまり立ち入らない、魔法心理学や古代魔法理論が収められた一番奥の棚。私はカビの匂いがする古い文献の背表紙を指でなぞりながら、目当ての記述を探した。
(精神感応……他者の感覚器官との同調、および魔力の譲渡……)
私が完成させようとしている『自身の心象風景を、相手の五感に直接共有する魔法』。祖母から教わった理論だけでは、どうしても安全性の面で壁にぶつかっていた。
問題は、私と他者の「器」の圧倒的な差だ。
私の内側で荒れ狂う星の魔力は、例えるなら濁流となってうねる大河。対して、一般的な現代人の精神や魔力回路は、繊細な薄張りのグラスのようなものだ。大河の水をグラスに注ごうとすれば、当然グラスは水圧で粉々に砕け散ってしまう。
他者の心という脆いガラス細工に、私の強大すぎる魔力をどうやって傷つけずに繋ぐか。その変換フィルターとなる術式の手がかりが、古い時代の魔女たちの記録に残っていないかを探りたかったのだ。
分厚い古書を一冊抜き出し、パラパラとページをめくる。
難解な専門用語と古いルーン文字が並ぶページに目を落としていると、ふいに背後からトントン、と肩を叩かれた。
「雫ちゃん、難しい本読んでるね」
「っ……!」
ビクッと肩が跳ね、手から本が滑り落ちそうになる。慌てて抱え込むと、すぐ背後に結衣が立っていた。
彼女は目当ての本を胸に抱き、私の肩越しに古書を覗き込んでいる。亜麻色の髪が私の頬に触れるほど距離が近く、彼女の甘い花の香りが図書室の古い紙の匂いと混ざり合って、私の脳をクラリと揺らした。
「ご、ごめん。驚かせちゃった?」
「ううん、大丈夫。結衣はもう本、見つかったの?」
「うん。雫ちゃんは何を探してたの?」
結衣の純粋な瞳が、至近距離で私を見上げる。
その体温を感じるほどの近さに、心臓がトクトクと警鐘を鳴らした。嘘をつく罪悪感と、彼女の存在そのものがもたらす強烈な引力。
「ええと、その……ちょっと昔の魔法の仕組みに興味があって。大昔の魔法使いはどうやって魔力を制御してたのかなって」
「へえ、雫ちゃんって勉強熱心だね。魔法の実技はちょっと苦手みたいだけど、理論の方は得意だもんね」
結衣はくすくすと笑い、さらに一歩、私の方へ身を乗り出してきた。
「ねえ、これなんて書いてあるの? この文字、今の教科書には載ってないよね」
彼女の細い指先が、私が開いていた古書のページを指し示す。
――その瞬間だった。
結衣の柔らかな声と香りに意識の大部分を持っていかれ、私の内側で厳重に管理していた魔力のコントロールが、ほんのわずかに、手元から滑り落ちた。
ポタッ、と。
見えない魔力の雫が、私と結衣の間の空間に落ちたような感覚。
直後、薄暗い本棚と本棚の間の通路に、静かな異変が起きた。
窓から差し込んでいた西日の帯が、ふっと青白く澄んだ宵闇の光へと変覚する。そして、光の帯の中を漂っていた無数の埃の粒子が、私の漏れ出た魔力に当てられ、チカチカと淡く発光し始めたのだ。
それはまるで、私たちの周囲だけが無重力の宇宙空間になり、微小な星屑が漂っているかのような、ひっそりとした、けれど決定的な『異常』だった。
「あっ……」
私は息を呑み、血の気を引かせた。
全身の毛穴が粟立つ。慌てて魔力の供給を断ち切り、空間の揺らぎを強引に元の夕暮れへと引き戻す。発光していた粒子はふわりと輝きを失い、ただの埃に戻って床へと舞い落ちた。
ほんの数秒の出来事。だが、結衣のような繊細な魔法使いが、今の明確な魔力現象に気づかないはずがなかった。
「雫ちゃん、今のは……」
結衣が目を丸くして、宙と私を交互に見つめる。
「ち、違うよ! これは、たぶん……」
私は必死に頭を回転させ、しどろもどろになりながら嘘を重ねた。
「この古い本に残留してた昔の魔力が、結衣と私の魔力に反応して漏れ出たんだと思う! ほら、図書室の古い本って、たまにそういう不思議な現象が起きるって聞いたことあるし……!」
苦し紛れの、穴だらけの言い訳。声が上ずってしまったのが自分でもわかった。こんな作り話、結衣が信じるはずがない。怯えられる。気味悪がられる。
私はギュッと目を瞑り、彼女からの拒絶の言葉を待った。
しかし、結衣は少しの間沈黙した後、「ふふっ」と優しく、とても柔らかい声で笑ったのだ。
「そっか。昔の魔法使いさんが、本の中に星空を閉じ込めてたのかな」
「え……?」
「すごく綺麗だった。ロマンチックだね、雫ちゃん」
結衣は本を胸に抱え直し、私に向かって微笑んだ。
その瞳には、疑いや追及の色は一切なかった。ただ、深く静かな湖面のような思いやりだけが湛えられている。
彼女はきっと、気づいているのだ。今の星屑が本から出たものではなく、私の内側からこぼれ落ちたものであることに。私が『魔法が苦手な落ちこぼれ』ではないことに。
それでも結衣は、私が必死に隠そうとしていることを見透かした上で、あえてそれ以上は踏み込まず、私の拙い嘘をそのまま受け入れてくれたのだ。
その不器用で優しすぎる気遣いに、私は胸の奥をぎゅっと鷲掴みにされたような痛みと、泣きたくなるほどの愛おしさを覚えた。
他者の心に土足で踏み込まない彼女の繊細さ。私が恐れていた「心のコップ」は、私が思っているよりもずっとしなやかで、美しい形をしているのかもしれない。
「……行こっか。貸し出しの手続き、しなきゃ」
「うん……そうだね」
結衣が先に歩き出し、私は小さく息を吐いてから古書を閉じ、彼女の背中を追った。
貸し出しカウンターへ向かう彼女の小さな背中を見つめながら、私は強く唇を噛む。
(ごめんね、結衣。いつも嘘ばかりついて)
彼女の優しさに甘えている自分が情けなかった。
来月の星華祭には、九重咲耶がこの学園にやってくる。五家の手がすぐそこまで迫っている。もう、モラトリアムの時間は残されていない。
彼女を傷つけず、私の全てを伝えるための『変換フィルター』の構築。それを一刻も早く完成させなければならない。
図書室を出ると、廊下はすっかり夕闇に染まっていた。
窓の外に広がる本物の夜空を見上げながら、私はこの命を削ってでも、あの魔法を完成させることを改めて心に誓った。
第7話に続く




