第3話:陽だまりの校庭と、芽吹く想い
「少し植物の成長を促す魔法」他の生徒には簡単な魔法だが、雫にとっては絶大な労力を必要とする魔法。
しかし、ほんの少し意識が途切れてしまう...
果たしてどうなってしまうのか?!
私立藤ケ丘女子学園の講堂裏にある実技グラウンドには、やわらかな日差しが注いでいた。
今日の魔法実技の課題は『植物の成長を少しだけ促す』という、生活魔法の中でも庭いじりや園芸に使われる基礎的なものだ。生徒たちは数人ずつのグループに分かれ、用意された小さな植木鉢の土に指先を向け、それぞれの魔力を注いでいる。
「ふう……できた! 見て雫ちゃん、芽が出たよ」
隣で結衣がパッと表情を輝かせた。彼女がそっと魔力を通した植木鉢からは、鮮やかな緑色の双葉が可愛らしく顔を出している。
「すごいね、結衣。すごく素直で綺麗な芽だ」
「雫ちゃんのおかげだよ。隣にいてくれると、なんだか安心するの」
結衣が嬉しそうに微笑み、私の心がふわりと温かくなる。
ふと、視界の隅で自分たちの高校生活の始まり――二年前の春の光景が重なった。
高校一年生の春。祖母を亡くし、息苦しい一族の元から逃げるようにこの学園へ入学した時の私は、まるで尖ったガラス片のようだった。
自分の内側にある恐ろしいほどの魔力に怯え、誰かと関わればいつか害を与えてしまうのではないかと恐れて、周囲に分厚い壁を作っていた。実技の授業でも、出力を抑えすぎるあまり魔法を不発させ続け、周囲からは『落ちこぼれ』と噂されていた。
そんな私に、誰よりも真っ直ぐに踏み込んできたのが結衣だった。
『魔法、あんまり得意じゃないの? もしよかったら、一緒に練習しない?』
孤立していた私に、何の裏もなく差し出された温かい手。
高一、高二と季節が巡る中で、結衣はいつだって私の隣にいてくれた。放課後に図書室で勉強をしたり、一緒に買い物に行ったり、何気ない日常の喜びを教えてくれた。冷え切っていた私の世界に優しく光を灯してくれたのは、他でもない結衣だったのだ。
彼女と過ごす日常が愛おしくなればなるほど、私の感情は単純な友情から、胸が苦しくなるような恋心へと変わっていった。そして同時に、「いつか彼女に、私が見た最高の景色を見せたい」という強い想いが芽生えたのだった。
「雫ちゃんの番だよ。焦らないで、ゆっくりやれば大丈夫だからね」
結衣の優しい声に引き戻され、私は呼吸を整えた。
目の前にある、何も生えていない植木鉢。
私は土の上にそっと手をかざした。
意識を内側へと沈める。途端に、私の身体の奥底で眠る巨木のような魔力が、待ってましたとばかりに蠢き始める。それはほんの一雫でも漏れ出せば、このグラウンド一面を一夜にして深い森に変え、あるいは学園全体を押し潰してしまうほどの圧倒的な生命の濁流だ。
(ダメ……抑えて、もっと繊細に……極限まで小さく……!)
額にじんわりと冷や汗が滲む。全身の神経を擦り減らし、巨大な魔力の濁流から、ほんの糸くずほどの魔力だけをピンセットでつまみ上げるようにして指先へと誘導する。
私にとって、生活魔法とはリラックスして使うものではなく、全身の全神経を集中させる極限の精密作業だった。
その時――ほんのコンマ一秒、思考が途切れた。
(あ――)
抑え込んでいた魔力の枷が、かすかに緩む。
指先から漏れ出しかけたのは、植物を育てる魔法などではない。私の心象風景に深く刻まれた、あの『星の力』だった。
一瞬にして、周囲の空気がきんと冷たく澄み渡り、真昼の太陽の下であるにもかかわらず、頭上に遥かな夜空の静寂が一瞬だけ揺らめいた。グラウンドを包む風が、かすかに星の匂いを帯びる。
「くっ……!」
私は奥歯を噛み締め、全身の力を振り絞ってその揺らぎを強引に押し戻した。心臓が早鐘のように高鳴り、視界が一瞬白く明滅する。
静寂。
幸いにも、他の生徒たちは自分の植木鉢に夢中で、今の一瞬の異変には誰も気づいていないようだった。教員も遠くで別の生徒を指導している。
「はぁ、はぁ……」
荒い息を吐きながら植木鉢を見ると、土からは申し訳程度に小さな、ひょろりとした芽がひとつ、ぽつんと顔を出していた。
「あはは……やっぱり、うまくいかないな……」
私は疲弊した顔で苦笑いを浮かべた。落ちこぼれの演技としては完璧だったかもしれない。けれど、結衣の前でまた不器用な姿を見せてしまったことが、少しだけ情けなかった。
だが、隣にいた結衣は違っていた。
彼女は目を見開き、信じられないものを見るような瞳で、私の手元と私の顔を交互に見つめていた。
「結衣……?」
「……ねえ、雫ちゃん」
結衣はそっと私の手に自分の手を重ねてきた。彼女の指先は温かく、少しだけ震えているようだった。
「今ね、すごく不思議な感じがしたの。まるで……すっごく広くて、綺麗で、静かな夜空の下にいるみたいな……そんな温かい気配がしたの」
ドクン、と胸が跳ね上がった。
普通の人間には感知できないはずの、ほんの極小の魔力の揺らぎ。それを、結衣は確かに感じ取っていた。恐怖や警戒ではなく、「綺麗だった」と表現して。
「……気のせいだよ、結衣。私、魔法がヘタだから、へんな感じになっちゃっただけ」
「ううん、気のせいじゃないよ。私、雫ちゃんの魔法の感じ、すごく好きだな」
結衣は心の底から愛おしそうに微笑み、重ねた手にぎゅっと力を込めた。
その笑顔を見た瞬間、私の胸の奥で、カチリと何かが噛み合う音がした。
私が執着する『五感共有の魔法』。他者の心に直接触れる恐ろしい魔法。けれど、もしも完成させることができたなら。結衣ならきっと、私の本当の姿を、私が隠し続けてきた星空を、受け止めてくれるかもしれない。
(絶対に……完成させるから)
握り返した結衣の手の温もりを噛み締めながら、私は心の中で、誰にも聞こえない誓いを新たにした。
第4話に続く




