第16話:冬の編み目と、星を隠す陽だまりの鞘
第16話、なんと雫の戦闘シーンがあります!!そしてクリスマスに向け、結衣の細やかな戦闘も始まる...
十二月も半ばを過ぎると、藤ケ丘女子学園は深い冬の底に沈んだように冷え込んだ。
中庭の木々はすっかり葉を落とし、灰色の空からは時折、粉雪にも満たない細かな氷の粒が舞い落ちてくる。
放課後の教室は、魔力式のヒーターが稼働し、ふんわりとした温気に包まれていた。
日の短くなった窓の外を背にして、結衣は自分の机で毛糸と編み棒に向かっていた。彼女の指先がリズミカルに動き、淡いグレーの毛糸が少しずつ、柔らかなマフラーの形を成していく。
私はその向かいの席に座り、彼女の作業をずっと眺めていた。
「雫ちゃん、そんなに見つめられると、ちょっと緊張しちゃうな」
結衣が編み棒を動かしたまま、くすくすと笑う。
「ご、ごめん。結衣があんまり器用だから、つい見惚れちゃって。……それ、誰かのプレゼント?」
私が恐る恐る尋ねると、結衣はパチリと瞬きをして、それから編み棒の動きを少しだけ止めた。
「……秘密」
彼女は目を伏せ、毛糸の結び目を指先でそっと撫でる。
「でも、寒がりで、いつも手を冷たくしてる人に渡したいなって思ってる。……受け取ってもらえるか、分からないけど」
ほんの少しだけ自信なさげに揺れる声。それが誰のことなのか、期待してしまっていいのか分からず、私は誤魔化すように手元のマグカップに口をつけた。
結衣から漂う陽だまりのような魔力と、毛糸の温かい匂い。
この平和な教室の空気に守られ、私の前髪に留められた星型のヘアピンは、今日も私の巨大な魔力を完全な『無』の底に繋ぎ止めていた。
「あ、いけない。もうこんな時間」
ふと壁の時計を見た結衣が、編みかけのマフラーを丁寧に鞄にしまった。
「ごめんね雫ちゃん、今日これから図書委員の定例会があるの忘れてた。少し遅くなっちゃうかも」
「ううん、大丈夫。じゃあ私、先に日誌を職員室に出してくるよ。図書室の前で待ち合わせしよう」
「うん、お願い!」
結衣と別れ、私は日誌を抱えて教室を出た。
暖房の効いた教室から一歩廊下に出ると、肌を刺すような冷気が全身を包む。
職員室へ向かうため、私はあえて旧校舎へ続く薄暗い渡り廊下を選んだ。一般の生徒があまり通らないこの場所は、学園の敷地を囲む『境界線の防御結界』に最も近い。
数日前、紫苑が屋上で見せてくれた、学園の外を這いずる黒い影――『猟犬』の気配を、私は密かに警戒し続けていたのだ。
コツ、コツ、と冷たいリノリウムの床を歩く。
その時だった。
――ズズッ……。
渡り廊下の窓の外。裏山の木立と学園の境界を隔てる空中で、何かが粘り気のある音を立てた。
私は足を止め、日誌を胸に抱きしめながら、窓ガラス越しに目を凝らす。
(……猟犬)
黒く、ドロドロとしたタールのような魔力の塊が、学園の防御結界の表面に張り付いていた。
力任せに結界を破ろうとしているのではない。猟犬は自らの魔力をアメーバのように変質させ、学園の結界が持つ「生徒の魔力波長を透過する」というフィルターの性質を学習し、その隙間をすり抜けるように液状化して浸透しようとしていたのだ。
御影の放った自律型術式は、単なる獣ではなく、恐るべき知能と執念を持っていた。
ポタリ、と。
結界を透過した猟犬の分体が、真っ黒な泥の滴となって学園の内側の地面に落ちた。
(侵入された……!)
ゾワリと全身の毛穴が粟立つ。
這いずる泥は、渡り廊下のすぐ外の地面で丸くなっていた一匹の野良猫に向けて、音もなく滑るように近づいていく。学園内の生物に寄生し、内側から『特異点』の匂いを探り出そうとしているのだ。
止めなければ。
私は反射的に窓ガラスに手を当て、魔力を引き出そうとした。
だが、ダメだ。ここで私が魔力の圧縮を解いて攻撃すれば、猟犬の本体に私の波長を完全に察知されてしまう。それは自ら位置を知らせる発炎筒を上げるようなものだ。
(紫苑を呼ぶ? いや、間に合わない……!)
黒い泥が、野良猫の足元まで数センチに迫る。
どうする。どうすれば、バレずにあれを消せる?
思考が極限まで加速する中、私の右手が、無意識に前髪の『星型のヘアピン』に触れていた。
冷たい金属の感触。そして、そこから伝わってくる、結衣の優しく穏やかな波長の記憶。
――その瞬間、私の中に一つの直感が閃いた。
(結衣の波長を錨にするんじゃない。結衣の波長を『鞘』にして、私の魔力を包み込めば……!)
私は目を閉じ、胸の奥で圧縮している星の魔力を、ほんの僅かだけ――針の先ほどの極小の量だけ引き出した。
そして、その圧倒的に高密度で巨大な魔力の粒を、星型のヘアピンから引き出した『結衣の生活魔法の波長』で、何重にも、何重にもコーティングしていく。
イメージするのは、結衣が冷えた私の手を温めてくれた時の、あの『陽だまりの魔法』だ。
少しでも結衣の波長の再現を間違えれば、内包する巨大な魔力が鞘を突き破り、私ごと周囲を吹き飛ばす大暴発を起こす。額に冷たい汗が滲む。歯を食いしばり、結衣の優しさ、結衣の体温、結衣の香りを極限までイメージし、強引に形を保つ。
外側から見れば、それはただの「空気をほんの少し温めるだけ」の、無害で微弱な生活魔法。
しかし、その極薄の膜のすぐ内側には、恒星の核のように超高密度に圧縮された、致死量の星の魔力が隠されている。
「――っ」
私は息を詰め、窓ガラス越しにその『偽装された魔法』を、野良猫に迫る黒い泥へと放った。
パサリ。
それは、粉雪が地面に落ちるような、あまりにも静かな着弾だった。
猟犬の泥の表面に、結衣の波長を纏った魔力が触れる。猟犬はそれを「ただの生徒が放った無害な生活魔法」だと判断し、防御反応を一切示さずに取り込んだ。
直後。
鞘が溶け、内側に秘められた『星の質量』が、泥の内部で解放された。
爆発音すら鳴らなかった。猟犬の分体は、内部から発生した超高重力に耐えきれず、一瞬にして極小の点へと自らを圧壊させ、そのまま空間ごと『消滅』した。
焼け焦げた痕一つ残さず、野良猫のヒゲ一本すら揺らさない、完全な物理的抹消。
「……にゃ?」
足元の脅威が消えたことにも気づかず、野良猫が小さく欠伸をして、校舎の裏へと歩き去っていく。
「……信じられない」
背後から、微かな震えを帯びた声が響いた。
振り返ると、渡り廊下の陰に、コート姿の紫苑が立っていた。彼女の青い瞳が、驚愕に見開かれている。
猟犬の侵入を察知して駆けつけた彼女は、私が迎撃した一部始終を見ていたのだ。
「紫苑……」
「今のは……何ですか」
紫苑がゆっくりと歩み寄り、私の手を見た。
「猟犬の感知をすり抜けるほど微弱な『生活魔法』の波長でありながら……その実態は、事象そのものを圧殺する流星の力。あなたは、自身の破壊的な力に、ただの生徒の波長を『鞘』として被せて偽装したとでも言うのですか」
「……うん。結衣の魔法の感触を、死に物狂いで真似してみたの」
私が息を吐き出しながら答えると、紫苑は絶句したように口元を覆った。
「あり得ない。自分の魔力波長を他者のそれに完璧に偽装するなど……高度な暗殺者でさえ不可能です。少しでも波長の模倣がブレれば、内包した魔力に耐えきれず自爆する。……あなたは、あの一瞬で、白瀬さんの波長を寸分違わず再現してみせた」
紫苑は恐ろしいものを見るように私を見つめ、やがて、深く息を吐き出した。
「……あなたは、強すぎます。そして、その力の手綱を握る白瀬結衣さんという存在が、私には恐ろしい。二人のその奇跡のような結びつきは、もはや五家の常識すらも超えている」
「結衣は恐ろしくなんかないよ。彼女が優しいから、私の魔法も、あんな風に静かに使えたんだ」
私は静かに、けれどはっきりと告げた。
猟犬を消し飛ばした右手を握りしめる。
ただ力を隠すだけじゃない。結衣の波長を通せば、私はこの学園を、結衣の日常を守るために『戦う』ことができるのだ。
「……そうですね」
紫苑はふっと微笑み、元の優雅な次期当主の顔に戻った。
「猟犬の残骸処理は、私がやっておきます。今日はこのまま、お友達のところへ戻ってあげてください。あなたの帰りを、待っているはずですから」
「うん。ありがとう、紫苑」
私は日誌を抱え直し、図書室へと急いだ。
図書室の前の廊下では、すでに仕事を終えた結衣が、両手を息で温めながら立っていた。
「あ、雫ちゃん! 遅いから、心配しちゃった」
「ごめんね、日誌出すの少し手間取っちゃって」
小走りで駆け寄る私を、結衣はふわりと笑って出迎えた。
外の凍てつくような寒さも、五家の猟犬の恐ろしさも、彼女のこの笑顔の前では嘘のように遠ざかっていく。
「手、冷たくなってるよ」
結衣が私の右手を両手で包み込んでくれる。猟犬を消滅させたその手を、彼女は何も知らずに、ただ愛おしそうに温めてくれた。
「ねえ、雫ちゃん」
「ん?」
「クリスマス、私と一緒に過ごしてくれないかな。……もし、雫ちゃんがよかったら、だけど」
結衣の頬が、寒さのせいではなく、ほんのりと赤く染まっていた。
教室で編んでいた、あの淡いグレーのマフラー。それを受け取ってもらえるか不安で揺れていた瞳が、今は真っ直ぐに私を見つめている。
「……うん。もちろん」
私は結衣の手を優しく握り返し、溢れそうになる感情を堪えて微笑んだ。
冬の猟犬の息遣いは、すぐそこまで迫っている。
けれど、私にはこの陽だまりがある限り、絶対に負ける気はしなかった。
第17話に続く




