第13話:祭りの後と、銀色の防波堤
五家の1人がまさかの...⁈
一体雫と結衣はどうなってしまうのか...
星華祭の熱狂が嘘のように引き、私立藤ケ丘女子学園には、ひんやりとした十一月の風が吹き抜けていた。
朝。第三寮の自室で、私は鏡の前に立っていた。
右手で前髪を掬い上げ、パチンと小さな金属を留める。
星華祭の終わりに結衣がプレゼントしてくれた、星型のヘアピン。
指先でその冷たい感触をなぞると、私の胸の奥底で極小の点に圧縮された『星の魔力』が、ヘアピンの重みを物理的な楔にして、ピタリと安定するのがわかった。
私が暴走させかけた巨大な魔力は、結衣の優しく穏やかな波長を「精神の錨」とすることで、初めて完全な静寂を保つことができている。この小さな星の飾りが、私を『ただの女子高生』としてこの世界に繋ぎ止めてくれているのだ。
(逃げない。私はここで、結衣の隣に立つ)
九重咲耶の氷のような視線。そして、紫苑から告げられた『男性の族長』という、手段を選ばない異端の脅威。もし私が結衣を遠ざけ、一人で逃亡したり五家に投降したりすれば、結衣の温かい日常を根本から壊すことになってしまう。だから私は、この学園で五家の目を欺き通すことを選んだ。
身支度を整え、寮を出る。
息を吐くと、白く煙った空気が冬の足音を告げていた。
「あ、雫ちゃん! おはよう」
校門の前で、マフラーを巻いた結衣が小走りで駆け寄ってくる。彼女から漂う甘い花の香りが、冷たい空気に溶けて私の鼻腔をくすぐった。
「おはよう、結衣。急に寒くなったね」
「うん。……あ」
結衣は私の前髪で光る星型のヘアピンを見つけると、ふわりと花が綻ぶような笑顔を見せた。
「着けてきてくれたんだ。えへへ、お揃い」
彼女は自分の亜麻色の髪をかき分け、同じ星型のヘアピンを指差した。
「うん。結衣の魔法の匂いがするから、着けてるとすごく落ち着くんだ」
「もう、変なこと言うんだから」
照れくさそうにくすくすと笑う結衣と並んで、枯れ葉の舞う通学路を歩く。結衣の波長を近くで感じるだけで、私の魔力はより一層深く、静寂の底へと沈んでいく。
教室に入ると、数日前まで『森のお茶会』として蔦やランタンで飾られていた空間は、すっかり元の無機質な姿に戻っていた。祭りの終わり特有の、少しだけ寂しい空気。
けれど、私にとってはこれが守るべき大切な日常の形だった。
八時半のチャイムが鳴り、担任の教師が教卓の前に立つ。
日直が号令をかけようとした時、先生がそれを手で制した。
「えー、ホームルームの前に、皆さんに紹介したい人がいます」
先生の言葉に、教室内がざわついた。三年生の十一月という何とも中途半端な時期に転校生とは珍しい。
「入ってきなさい」
ガラリ、と教室の前のドアが開いた。
その瞬間。私の肌を、凪いだ湖面のような、静かで柔らかな……それでいて、圧倒的な質量を持った魔力が肌を撫でた。
教室に入ってきた少女を見て、クラス中の生徒たちが一斉に息を呑むのがわかった。
藤ケ丘女子学園の指定の制服に身を包んでいるものの、彼女が纏う空気は明らかに一般生徒のそれとは異なっていた。透き通るような銀色の髪と、深海を思わせる穏やかな青い瞳。雪の妖精か、あるいは精巧なアンティークビスクドールのような非現実的な美貌。
「――宝生紫苑です。家庭の事情で、本日からこちらの学園でお世話になることになりました。不慣れな点も多いかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
鈴の音のように澄んだ声が響き、優雅に頭を下げる。
生活魔法の微かな波長しか知らない生徒たちでさえ、紫苑が持つ『格の違い』を本能で感じ取ったのか、教室はしんと静まり返っていた。
(……紫苑)
私は呼吸を忘れ、教卓の横に立つ銀髪の少女を見つめた。
中庭のケヤキの木陰で『近いうちに、必ずあなたの傍へ行きます』と言い残して去った彼女。まさか、自ら転校生としてこの教室に乗り込んでくるとは。
紫苑は顔を上げると、真っ直ぐに私の方を見た。
青い瞳が、私の前髪で光る星型のヘアピンを捉え――そして、安心したようにふっと細められた。
『逃げずに、ここに留まる道を選んでくれたのですね』
言葉には出さずとも、彼女の穏やかな魔力の波長が、そう語りかけているのがわかった。
「宝生さんの席は……白瀬さんの後ろ、空いている席を使いなさい」
「はい。ありがとうございます」
先生に促され、紫苑が静かな足取りでこちらへ歩いてくる。
私の席の斜め前が結衣の席で、紫苑の席はその結衣の真後ろ――つまり、私と結衣のすぐ隣の配置になる。
「よろしくお願いいたします」
紫苑が席に着きながら、私と、そして結衣に向かって軽く会釈をした。
「あ、うん。よろしくね、宝生さん。私、白瀬結衣って言います。何か分からないことがあったら、何でも聞いてね」
結衣が持ち前の温かい笑顔でそう返すと、紫苑は少しだけ目を見張り、それから「……ありがとうございます。白瀬さん」と、少し眩しいものを見るように微笑んだ。
(五家の次期当主が、同じ教室に……)
私は手元のノートに視線を落としながら、静かに息を吐いた。
紫苑は味方だ。彼女がわざわざ転校してきた理由は、九重咲耶や『男性の族長』からの監視の目を欺くための、防波堤となるためだろう。
しかし、五家の人間がこうして物理的に私の『聖域』に入り込んできたという事実は、私の日常がすでに薄氷を踏むような冷戦状態に突入していることを、痛烈に突きつけていた。
「ねえ雫ちゃん、宝生さんって、すごく綺麗な人だね」
一限目の準備中、結衣がこっそりと振り返って私に耳打ちしてきた。
「うん、そうだね」
「なんだか、お姫様みたい。……でも、雫ちゃん、さっき宝生さんのこと、ずっと見てたでしょ」
結衣の声が、ほんの少しだけ震えているような気がして、私はハッとして顔を上げた。
「えっ? そ、そうかな」
「見てた。……星華祭の時、私がクレープ買ってる間に、ケヤキの木の下で会ってたのって、宝生さん?」
結衣の洞察力に、私は冷や汗をかいた。あの時、紫苑が立ち去る後ろ姿を、結衣はしっかり見ていたのだ。
「……うん。ちょっと、道を道を聞かれただけで」
私が咄嗟に嘘をつくと、結衣は少しだけ寂しそうに目を伏せた。
「そっか。……なんかね、宝生さんが教室に入ってきた時、雫ちゃんと宝生さんの間に、私の知らない透明な糸みたいなのが見えた気がしたの」
「透明な、糸?」
「うん。……雫ちゃんが、また遠くにいっちゃいそうな気がして、ちょっとだけ怖かった」
結衣の指先が、私の机の端をきゅっと握る。
単なるヤキモチなどではない。結衣は、紫苑が放つ『非日常の気配』を無意識に感じ取り、私がそちら側の世界へ引き込まれてしまうのではないかと怯えているのだ。
私が守りたいと願っている日常は、私が嘘をつき続ける限り、結衣の心を不安で削り続けてしまう。
「行かないよ。私は、結衣の隣にいるって約束したから」
私は結衣を安心させるように、机を握る彼女の手に、自分の手をそっと重ねた。
結衣は私の顔を見つめ返し、やがて「うん」と小さく頷いて、前を向いた。
窓の外では、木枯らしが桜の枯れ葉を散らしている。
紫苑という銀色の防波堤を得た代わりに、私の抱える秘密はより一層重く、冷たさを増していた。
見えない緊張感が張り詰める教室の中で、私たちの過酷で静かな冬が始まろうとしていた。
第14話に続く




