第12話:星型の誓いと、魔女が遺した陽だまり
九重咲耶が去り、結衣と一緒に文化祭を回る雫。しかし結衣が離れた際に声を掛けられて...
九重咲耶という極寒の嵐が過ぎ去った後も、星華祭の喧騒は止むことなく続いていた。
午後からはクラスのシフトを他の生徒に代わってもらい、私と結衣は二人で学園を回る時間を与えられた。
「雫ちゃん、あっちのクレープ屋さん、すごく並んでる! 限定のイチゴ味が美味しいらしいの、行ってみよう!」
結衣に手を引かれながら、色鮮やかな装飾が施された校舎の間を歩く。
彼女の横顔は無邪気な喜びに満ちていて、繋いだ手から伝わる温もりが、咲耶との遭遇で芯まで冷え切っていた私の心を少しずつ溶かしてくれていた。
グラウンドに設営された屋台通りは、他校からの来場者も相まって身動きが取れないほどの賑わいだった。
「すごい人だね。雫ちゃん、ここで待ってて。私、二つ買って戻ってくるから!」
「えっ、でも私も並ぶよ」
「ううん、さっきまで具合悪そうだったから、日陰で休んでて。すぐ戻るからね」
結衣は有無を言わせず私を中庭の大きなケヤキの木陰に押し込むと、小走りで人混みの中へと消えていった。
木漏れ日の下で一人になると、不意に、周囲の賑やかな音が遠のいていくような錯覚に陥った。
結衣の温もりが離れた右手が、急に心細く冷たく感じる。
(この祭りが終われば、日常に戻る……いや、戻れるはずがない)
咲耶のあの疑念に満ちた瞳。彼女は確実に、この学園に「何か」が潜んでいると確信して帰っていった。今夜、すべてを結衣に打ち明けて学園から逃亡するべきか。しかし、何の当てもなく逃げれば、すぐに五家の探知網に引っかかるだろう。
「――やはり、あなたでしたか」
ふいに。
背後の木の幹の裏側から、鈴の音のように澄んだ声が降ってきた。
私はビクッと肩を揺らし、即座に振り返る。周囲の喧騒が、まるで薄いガラスの壁に遮られたようにピタリと消え去っていた。高度な結界魔法。体内の魔力が防衛本能で跳ね上がりかけたが、すんでのところで強引に押さえ込んだ。
そこに立っていたのは、藤ケ丘の制服ではない、白を基調とした豪奢な衣服を纏った少女だった。
咲耶と同じか、少し年下だろうか。透き通るような銀色の髪をふわりと揺らし、深海のように穏やかな青い瞳で私を見つめている。
九重咲耶がすべてを凍らせる「氷」だとするなら、彼女は凪いだ「湖」のような、静かで柔らかな魔力を纏っていた。
「あなたは……?」
警戒心も露わに後ずさる私に対し、少女はふわりと微笑み、深く、とても優雅に頭を下げた。
「驚かせてしまって申し訳ありません。私は五家の一つ、宝生家の次期当主、宝生紫苑と申します」
ドクン、と心臓が跳ねた。五家の人間。咲耶以外にも、この学園に入り込んでいたのか。
「私を、捕まえに来たの」
逃げ道を計算しながら低く問うと、紫苑はパチリと瞬きをし、それから小さく首を横に振った。
「違います。私はあなたを五家の管理下に置くためではなく……あなたに、直接お礼を伝えるために、ずっと探していたのです」
「お礼……?」
紫苑は静かに、けれど熱を帯びた声で語り始めた。
「今から十年前。幼かった私の魔力回路は、先天的な欠陥によって暴走を起こし、命の危機に瀕していました。五家の長たちでさえ匙を投げた私を救ってくれたのは……他でもない、あなたの祖母君である『流星の魔女』様だったのです」
「おばあちゃんが……?」
「はい。彼女は自身の強大すぎる力を極限まで細く絞り込み、私のひび割れた魔力の『器』を、星の力で繋ぎ止めてくださいました。そのせいで、彼女の魔力波長が五家に感知され、深い山奥へと追いやられることになってしまったのに……」
紫苑の青い瞳が、痛ましそうに揺れる。
「宝生家は、流星の魔女様に多大な恩義を感じています。彼女の力は世界を壊すものではなく、私という小さな命を救うための、最高に優しく、美しい魔法でした」
祖母の魔法が、誰かを救っていた。
破壊の象徴として畏怖され、一族から孤立していた祖母が、その規格外の力を「誰かを助けるため」に使っていたという事実に、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
私が結衣に見せるために構築した『五感共有の魔法』と同じだ。祖母もまた、ただ巨大なだけの力を、愛するもののために細く、美しく紡ごうとしていたのだ。
「どうか、軽率にこの学園から逃げ出そうなどと考えないでください」
紫苑の表情が、スッと引き締まった。
「咲耶様は、世界の均衡を守るという使命に忠実です。彼女の目はもう、この学園から逸れることはないでしょう。……さらに厄介なことに、もう一つの名家を統べる『男性の族長』も、強引な手段であなたを炙り出そうと動き始めています」
「男性の族長……」
「ええ。異端の力を持つ彼は、私たち四家とは違い、目的のためなら周囲の犠牲を厭わない『剣』です。今あなたが学園という隠れ蓑を捨てて動けば、間違いなく彼の罠に落ちます。今はまだ、一般の生徒たちに紛れて息を潜めていてください」
紫苑は一歩前に出て、私の手に、銀色に光る小さな魔力石を握らせた。
「近いうちに、私は必ずあなたの傍へ行きます。魔女の遺した絆を、決して忘れはしませんから」
紫苑の手は、少しだけ震えていた。五家という巨大な組織の中で、彼女もまた孤独に『恩義』を貫こうとしているのだと分かった。
「雫ちゃーん! お待たせ!」
遠くから、結衣の明るい声が聞こえた。
その声が結界をすり抜けて届いた瞬間、紫苑は眩しいものを見るように目を細め、静かに一歩下がった。
「……お友達ですね。とても温かい、まるで陽だまりのような波長を持った方だ。……また、お会いしましょう」
風が吹き抜け、銀色の髪が翻る。私が振り返った時、そこにはもう紫苑の姿はなく、ケヤキの葉がサワサワと揺れているだけだった。
「ごめんね、並んじゃった。はい、限定のイチゴクレープ!」
息を切らせた結衣が、とびきりの笑顔でクレープを差し出してくる。
私は掌に握り込んだ銀色の石をそっとポケットの奥深くにしまい、クレープを受け取った。
「ありがとう、結衣。……美味しそう」
「あ、あとね! 並んでる途中に雑貨屋さんの出店があって、これ、買っちゃった」
結衣が少し照れくさそうにエプロンのポケットから取り出したのは、小さな星型の飾りがついた、お揃いのヘアピンだった。
「雫ちゃんの魔法、なんだか星空みたいに綺麗だなって、前からずっと思ってたから。……一緒に、着けてくれる?」
その言葉に、私は息を呑んだ。
自分の力を恐れるばかりだった私に、紫苑は「あなたの祖母の魔法は優しかった」と教えてくれた。
そして目の前の結衣は、私の不器用に漏れ出た魔力のかけらを「星空みたいに綺麗だ」と笑って受け入れてくれている。
私の血に流れるこの魔法は、ただ恐ろしくて孤独なだけの呪いなんかじゃない。
(今夜見せて、逃げるつもりだった。でも……)
紫苑の忠告が頭をよぎる。今私が消えれば、結衣は五家の争いや『男性の族長』の標的にされるかもしれない。
逃げない。私は、結衣の日常を守るために、ここに残る。
五家の包囲網がどれほど狭まろうと、この学園で、ただの女子高生として結衣の隣に立ち続ける。私が完成させたあの星空の魔法は、すべての脅威を退け、結衣に本当の安全を約束できるその日まで、私の胸の奥に大切にしまっておこう。
「うん……着ける。結衣とお揃い、すごく嬉しい」
私は泣きそうな顔を必死で笑顔に変えて、結衣から星型のヘアピンを受け取った。
結衣が私の前髪にヘアピンを留めてくれる。指先が触れるたび、彼女の優しい魔力が私の心に流れ込んでくる。その温もりが、私の内側にある巨大な魔力の海を、静かに、力強く鎮めていくのを感じた。
「似合うよ、雫ちゃん。すっごく可愛い」
夕日に染まるグラウンド。楽しげな祭りの喧騒の中、私は結衣の笑顔を見つめながら、かつてないほど強い決意を胸に抱いていた。
第一の嵐は去った。だが、季節が秋から冬へと移ろう中で、五家の包囲網は確実に私たちの日常へと迫ってくるだろう。
それでも私は、この星型の誓いと共に、彼女の隣で戦い抜く。
私の長く短いモラトリアムは終わりを告げ、誰にも見えない、私たちだけの冷たくも温かい戦いの日々が始まろうとしていた。
【第一章 「日常と星華祭の攻防」 終】
第一章「日常と星華祭の攻防編」をご覧頂きありがとうございました!!続く第二章「五家の包囲網と、深まる疑念編」もお楽しみに!
ーーーカニかま太郎




