EP 5
「わたしの舌は、たぶん武器になる」
「今年もやってまいりました! みなさまの安心を守る、メルカド商会でございます!」
村の入り口。
先頭の男が、大袈裟に両手を広げていた。
四十がらみの、脂ぎった男だった。上等な外套を着ているが、その下の革鎧には無数の傷がある。
「昨年ご好評いただきました『暴行しない券』——本年度はさらにお得な安心パックプランをご用意しました!」
背後の二十人が、揃って剣を鳴らした。
村人たちが、じりっと後ずさる。
「お引き取り願います」
進み出たのは、マンミアさんだった。
背中のパイルバンカーを、いつでも抜ける角度で構えている。その後ろに、自警団が横一列。
——魔導ライフルが、七挺。
わたしは息を呑んだ。撃てば、たぶん一瞬で終わる。
なのに、誰も撃たない。
「おいおい、物騒だなあ」
商会の男が、ひらひらと紙を振った。
「うちは今年から、ルナミス帝国の認可を受けた正規の商会なんだよ。ほら、認可状」
「……っ」
マンミアさんの表情が、硬直した。
「認可商会に武力行使したらどうなるか、村長サンならわかるだろ? 帝国が『緩衝地帯の治安維持』を口実に、軍を入れてくる」
キャルル村長が、唇を噛んだ。
ウサギの耳が、ぺたんと倒れる。
「……ええ。それが狙いね」
「話が早くて助かる」
「けど、うちも慈善事業じゃない」
男が、荷馬車の幌を開けた。
積まれていたのは、小瓶だった。淡く光る、乳白色の液体。
村人たちが、ざわめいた。
「な——」
「月光薬だ」
男が、にやりと笑った。
「知ってるだろ? ポポロ村秘伝の万能薬。今年からうちが、正規の販売代理店になった」
「ふざけないで!」
キャルル村長が叫んだ。
「あれは月兎族の力を注いで作るの! わたし以外に作れるはずが——」
「作れるさ。製法を買ったからな」
男は、二枚目の紙を掲げた。
「前村長、ロップ殿からね」
村が、しんと静まり返った。
「ゲートボール大会で意気投合してねぇ。金に困ってらしたから、こっちで買い取ってやったんだ。ほら、署名。印章も本物だ」
「そんな……」
村長の手が、震えていた。
「じゃあ、こういうことにしよう」
男が、指を三本立てた。
「安心パック代として、村の年間予算の三割。それと、村での月光薬の製造販売権をこっちに寄越せ。そうすりゃ、この村は今年も平和だ」
「そんなの、飲めるわけ——」
「じゃあ、帝国軍を呼ぶ。署名入りの契約を反故にされたってな」
誰も、動けなかった。
自警団の指が、引き金にかかったまま止まっている。マンミアさんが、悔しそうに歯を食いしばっていた。
正しいのは村の側だ。それは誰にでもわかる。
でも、紙が。
たった二枚の紙が、この村の全員を縛っていた。
わたしは。
わたしは、荷馬車の小瓶を見ていた。
——おかしい。
なにか、違和感がある。
気づいたら、足が出ていた。
「あの」
自分の声が、やけに小さく聞こえた。
「その薬、一口いただけますか」
村中の視線が、わたしに集まった。
「ミレイユさん!?」
「嬢ちゃん、下がってろ!」
商会の男が、わたしを見た。
品定めするような、粘つく視線。
「……なんだ、あんた。見ない顔だな」
「よそから来ました。鬼龍で働いてます」
「ふぅん」
男は少し考えて、それから、下卑た笑い方をした。
「まあいいさ。飲んでみな。本物だってわかるだろ?」
小瓶が一本、放り投げられた。
わたしは、受け止めた。
栓を、抜いた。
匂いを、吸った。
——ああ。
やっぱりだ。
口に含んだ瞬間、情報が奔流のように流れ込んできた。
「……ふふ」
自分でも、驚くほど冷たい声が出た。
三年間。
わたしが飲んできたものに比べれば、こんなものは。
「これ、月光薬じゃありません」
「あ?」
「陽薬草を煮出して、水で八倍に薄めたものです」
村が、ざわりと揺れた。
「月兎族の力なんて、微塵も入っていません。そもそも聖なる泉の水も使っていない。使ったのは井戸水。しかも、濾していない」
「て、テメェ何を——」
「陽薬草の産地は、レオンハート王国南部の緩衝地帯寄り。収穫は十一日前。乾燥が不十分なまま煮出したので、雑味が出ています」
わたしは、小瓶を掲げた。
「そして、乳白色を出すために白粉を混ぜてあります。鉛です」
村人たちが、いっせいに男を見た。
「飲めば、たしかに一時的に熱は下がるでしょうね。陽薬草ですから。……そのあと、確実に体を壊しますけど」
「で、でたらめだ! 証拠は——」
「あなたの手袋に、白い粉が付いています」
男が、反射的に自分の手を見た。
見た。
その仕草が、答えだった。
「製法を買ったんですよね?」
わたしは、一歩前に出た。
膝が笑っていた。声も震えていた。それでも、止まらなかった。
「本物の製法を持っているなら、なぜ偽物を作るんですか」
「……」
「答えは簡単です。買っていないからです」
「っ、」
「その契約書、たぶん署名も偽物です。だって、本物の製法を知らないんですから」
村が、爆発した。
「詐欺だ!」
「捕まえろ!」
「魔導バズーカ用意しろ!」
「て、テメェ——!」
男の手が、腰の剣にかかった。
刃が、鞘から半分ほど覗いて。
「ひっ」
わたしは、体が動かなかった。
そのとき。
わたしの背後に、影が落ちた。
大きな影だった。
男の顔から、血の気が引いていく。剣を抜きかけた手が、そのまま石になったように固まった。
わたしは、振り返らなかった。
振り返らなくても、わかった。
野菜の匂いがした。買い出しの荷物を、そのまま持ってきたのだ。
彼は、何もしなかった。
殴らなかった。脅さなかった。武器も持っていなかった。
ただ、そこに立っていた。
そして、低く言った。
「うちの店員だ」
たった、それだけ。
「……っ、ひ、」
男は剣を鞘に戻し、後ずさり、そして踵を返して逃げ出した。
商会の二十人が、悲鳴を上げて追いかけていった。
荷馬車を、三台とも置き去りにして。
歓声が、上がった。
「嬢ちゃん、すげぇ!」
「なんだあの舌!」
「あんた、うちの村の宝だよ!」
わたしは、へたりこんだ。
膝が、もう完全に笑っていた。
「ミレイユさん!」
キャルル村長が駆け寄ってきて、わたしの手を握った。
「ありがとう! ありがとう、本当に!」
「い、いえ、わたしは、ただ、味を」
「証拠は自警団が押さえます」
マンミアさんが、荷馬車を封鎖しながら言った。
「鉛入りの薬を認可商会が売っていた。これは帝国側の落ち度です。……ミレイユさん。あなた、恩人ですよ」
役に、立った。
三年間、地味だ、光らない、絵にならないと言われ続けた。
そのわたしが。
「……ぐす」
「泣くな」
頭の上から、声が降ってきた。
見上げると、彼が野菜の袋を持ったまま、こちらを見下ろしていた。
そして。
「ミレイユ」
心臓が、跳ねた。
初めて、名前を呼ばれた。
「お前、いい舌してんな」
「————」
顔が、熱くなった。
たぶん、耳まで真っ赤だった。
彼は、それだけ言って、暖簾のほうへ歩いていく。
「大根が余ってる。飯にすっぞ」
「……はい!」
わたしは、立ち上がった。
膝は、まだ笑っていた。
でも、それはもう、恐怖のせいではなかった。
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