EP 5
「始祖竜ロード」
裂け目を抜けた瞬間、世界が白くなった。
光ではない。
砂だ。
地平線まで、砂しかなかった。
風が吼えて、砂が波のようにうねっている。空は白く焼けて、太陽の位置もわからない。
「南の砂海」
ユイが、窓から顔を出した。
「三百年、誰も踏んでない場所」
「暑い……」
「ガジェットさん、水」
「すみません、もう飲みました」
「三分でですか!?」
車は、砂の上を進んだ。
轍がすぐに消える。ガジェットさんが何度も装置を叩いた。
「この下です」
ユイが、前方の丘を指した。
「丘?」
「丘じゃないよ」
そのとき、丘が、動いた。
砂が、滝のように流れ落ちた。
現れたのは、鱗だった。
一枚が、家ほどあった。
「……っ」
わたしは、声が出なかった。
首が持ち上がる。
首だけで、村の集会所より長い。
黄金の瞳が、砂の中から開いた。
始祖竜ロード。
世界が生まれたときから、いるもの。
「……あー」
気の抜けた声がした。
「なんやねん、うるさいなあ」
「え」
「三百年ぶりやで。ちょうどええとこやってんけどなあ」
巨体が、光に包まれた。
縮んだ。
砂の上に降り立ったのは。
作業着を着た、軽そうな青年だった。
肩に伝票の束。腰に台車の鍵。胸に名札。
「はい、どうも。ロードでーす」
「……配達員?」
「せやで。人型のときはこれが一番動きやすいねん」
「三百年、寝てたんですよね」
「寝てた」
「なんで配達員の格好を」
「寝る前がそうやったから」
「単刀直入に言う」
彼が、車を降りた。
「時を、巻き戻してほしい」
「あー」
ロードは、耳の穴を小指でほじった。
「やらへんよ」
「……理由は」
「因果いじるとな、上から怒られんねん」
彼は、伝票を指で弾いた。
「始末書やで、始末書。三百年前に一回やってもうて、それでずっと寝かされとったんや」
「もう懲りとる。帰り帰り」
「待ちんさい」
リベラさんが、書類を出した。
「始祖竜の権能行使に関する神界判例、第七条——」
「読まへん」
「まだ何も言うとらんが」
「紙は読まへん主義やねん」
「……くそ」
「では、取引を」
ガジェットさんが進み出た。
「僕の技術を、全て差し上げます。次元転送、魔導機関、全設計図を——」
「いらん」
「え」
「三百年寝てた奴が、機械もろてどうすんねん」
「じゃあ、僕が言う」
ユイが、前に出た。
空気が、軋んだ。
砂が、逆巻いた。
「雷帝神ユイだよ」
「聞いたことないなあ」
「三百年前は、まだいなかったからね」
彼女の金色の瞳が、細くなった。
「僕、神様やめてもいいんだ」
「やめる前に、この砂海を硝子に変えられる」
ロードは、あくびをした。
「ふーん」
「……聞いてる?」
「お嬢ちゃん」
彼は、名札を指で弾いた。
「ワシ、あんたが生まれる三百億年前からおんねん」
ユイの顔から、表情が消えた。
「脅しは、順番が逆や」
「格下が上にやるもんちゃうで」
砂が、静まった。
誰も、何も言えなかった。
法も、技術も、暴力も、通じなかった。
そのとき。
砂を踏む音がした。
彼が、歩いていった。
ロードの、正面まで。
「なんや、兄ちゃん。あんたが本人か」
「そうだ」
「悪いけどな、無理やねん。ワシも立場が——」
膝が、砂についた。
「……は?」
両手が、砂についた。
そして。
額が、砂についた。
「マス、ター」
わたしは、車の窓から手を伸ばしかけた。
伸ばして、止めた。
「頼む」
砂の上で、低い声がした。
「……それだけ?」
ロードが、目を丸くした。
「理屈は? 取引は? 脅しは?」
「何も無ぇ」
彼は、顔を上げなかった。
「金も無ぇ。技もお前には効かねぇ。神も格下だ」
「差し出せるもんが、何も無ぇ」
「だから、頼むしかねぇ」
砂が、鳴いた。
ロードは、長い間、その背中を見ていた。
黄金の瞳が、細くなった。
「……兄ちゃん」
「ああ」
「あんた、それ、何回目や」
「初めてだ」
「嘘つけ」
「初めてだ」
砂風が、伝票を巻き上げた。
ロードは、頭を掻いた。
そして、心底面倒くさそうに言った。
「……あー、もう」
「これやからなあ」
「三百年寝ても、こういうのが来るんや」
「立ちぃ。砂、口に入るで」
「やって、くれるのか」
「条件が一個ある」
彼は、指を一本立てた。
「ワシが巻き戻すんは、その弟の死や」
「死ぬ前まで、時を戻す。……そこに、あんたが生きとらんとあかん」
「え」
「因果は繋がっとんねん。兄が死んでたら、弟の死も戻らん」
「つまり」
彼は、砂の上の男を見下ろした。
「あんたが死んだら、巻き戻しは無効や」
「地獄で死んだら、全部パーやで」
「必ず、生きて連れて帰り」
「それが、契約や」
彼は、砂を払って立ち上がった。
そして、短く答えた。
「わかった」
車に戻る途中だった。
「——お嬢ちゃん」
呼ばれて、振り向いた。
ロードが、伝票を肩に担いだまま、こちらを見ていた。
軽い顔が、少しだけ、真面目になっていた。
「あんた、ひとつだけ守り」
「……はい」
「あの男より先に、死なんこっちゃ」
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