EP 4
「五席目」
翌朝、広場にもう一度、全員が集まった。
ガジェットさんが、図面を広げ直していた。
「説明を、やり直させてください」
丸眼鏡の奥の目は、一睡もしていない目だった。
「五席目の件です」
「神格でないと保たない、ってやつですか」
「はい。あれは、座席の話ではありません」
彼は、門の図の中心を叩いた。
「生者が冥界の門をくぐると、魂が体から引き剥がされます」
「え」
「冥界は、そういう場所なんです。死んだ魂を受け入れる構造ですから、生きた魂は剥がすべきものとして処理される」
「それって」
「くぐった瞬間、全員、死にます」
広場が、静まった。
「だから、錨が要ります」
彼は、図の五つ目の座席を指した。
「魂を体に繋ぎ止める存在。冥界の理に逆らえるもの」
「つまり、神格です」
「三年、そこだけが埋まらなかったんです」
彼は、深く息を吐いた。
「錨がなければ、車も装置も、ただの棺桶でした」
「じゃあ、僕でいいね」
その声は、あっさりしていた。
ユイが、車の後部座席に腰かけていた。
いつの間にか。誰も、入るところを見ていない。
「雷帝神ユイ。上位神格だよ」
彼女は、足をぶらぶらさせた。
「四人くらいなら、繋いどける」
「ほ、本当ですか!?」
「うん」
「それと、その、女神ルチアナへの接触手段が——」
「知ってる」
「え」
「あの子、僕の後輩だよ」
ガジェットさんの手から、指示棒が落ちた。
「始祖竜ロードの居場所も、知ってるよ」
ユイは、退屈そうに言った。
「南の砂海。あそこで昼寝してる。……三百年、寝てる」
広場が、どよめいた。
「揃った」
「全部、揃ったぞ!」
「神様だ! 神様が味方だ!」
キャルル村長が、涙ぐんでいた。
リバロンさんが、深く一礼した。
マンミアさんが、胸に手を当てて祈っていた。
わたしは、その輪の外に立っていた。
わかってしまった。
錨は、ユイ。
竜への案内も、ユイ。
神への口利きも、ユイ。
技師がいて、弁護士がいて、神がいて、そして彼がいる。
わたしは、何を持っているのだろう。
胸に抱えた布包みの中に、茶碗が二つ。
昨夜、畦道の土から拾い上げたものだ。
割れては、いなかった。
「ミレイユ」
呼ばれて、振り向いた。
彼が、車の横で工具を片付けていた。
「はい」
「弁当、詰めたか」
「あ、はい。ネギオ先生の三段重と、村長の飴玉と」
「水は」
「積みました」
「そうか」
彼は、頷いた。
そして、いつも通りの調子で聞いた。
「今日、何が食いたい」
わたしは、答えられなかった。
四ヶ月前は、言葉を知らなかったからだ。
今は、違う。
口の中が、乾いていた。
「……あの」
「あ?」
「なんでも、いいです」
彼は、少し眉を動かした。
「そうか」
それだけ言って、また工具を片付け始めた。
「ねえ」
背中に、声がかかった。
ユイが、車の窓から身を乗り出していた。
「きみ、ミレイユだっけ」
「はい」
「きみ、たつまろのごはん係なんだって?」
「……はい」
ユイは、窓枠に顎を乗せた。
そして、心底うらやましそうに言った。
「いいなあ」
悪気は、なかった。
一ミリも。
だから、逃げ場がなかった。
「……あの」
「うん?」
わたしは、何か言おうとした。
「わたしは」
わたしは、何?
四ヶ月、隣にいました?
毎日ごはんをよそいました?
十年、雲の上から見ていた子に、何を言うつもりだ。
「……なんでもないです」
「そう?」
そのとき、ユイが車内を見回した。
そして、運転席と助手席の間の窪みに置かれた、瓶を見つけた。
角砂糖の瓶だった。
「なにこれ」
彼女は、蓋を開けた。
一粒、摘まみ上げる。
「砂糖?」
「触るな」
低い声がした。
いつもより、ずっと硬い声だった。
「えー、なんで」
「いいから、置け」
「なんでだよー。ケチ」
ユイは、唇を尖らせて、瓶に戻した。
「なんなの、それ」
彼は、答えなかった。
工具箱の蓋を閉めて、ぶっきらぼうに言った。
「行くぞ」
わたしは、その瓶を見ていた。
知っている。
あれが何なのか、わたしは知っている。
縁側の匂いだ。
十年分の墓標だ。
毎日ひとつずつ齧る、あの人の弔いだ。
十年見ていたユイが、知らないことを。
わたしは、知っている。
胸の中の、小さな火みたいだった。
情けないくらい、小さかった。
それでも、消えなかった。
「乗れ」
わたしは、助手席に座った。
後ろに、ガジェットさんとリベラさん。
そして、五席目にユイ。
扉が、閉まった。
エンジンが、吼えた。
村人が、いっせいに手を振った。
千人が、何かを叫んでいた。
エンジンの音で、何ひとつ聞こえなかった。
「開けるよ」
ユイが、右手を上げた。
指先で、空気が裂けた。
村の前の街道が、縦に割れた。
向こう側に、何も無かった。
色も、光も、音も。
ただ、黒かった。
「ミレイユ」
彼が、ハンドルを握ったまま言った。
「はい」
「ちゃんと掴まってろ」
車が、吼えた。
黒い裂け目が、正面に膨れ上がった。




