第四章「僕っ娘の神様」
「僕っ娘の神様」
砂煙が、落ちきった。
その中心に、小さな影が立っていた。
小さい、というのは、比喩ではなかった。
わたしより、頭ひとつ低い。
十歳か、そのくらいに見えた。
白い装束。裸足。
そして、雪みたいな白い髪。
金色の瞳が、まっすぐに運転席を見ていた。
「————」
そのとき、空気が、軋んだ。
音ではない。
重さだった。
村の入り口に立っていた千人が、波が引くように膝をついた。
「ぐ、っ」
リバロンさんが、片眼鏡を押さえて崩れ落ちた。
キャルル村長が、耳を垂らしたまま地面に手をついた。
マンミアさんの前脚が、砕けそうに震えていた。
後部座席で、リベラさんが煙管を落とした。
「……神格じゃ」
「え」
「それも、上位の」
彼女の声が、初めて掠れていた。
「わたしゃ悪人専門の弁護士よ。神も何柱か相手取った。……こんなもんは、初めてじゃ」
ガジェットさんは、何も言わなかった。
丸眼鏡の奥で、目を見開いたまま固まっていた。
わたしは、助手席で動けなかった。
膝が笑うのでも、息が詰まるのでもない。
ただ、体がわたしの言うことを聞かなかった。
そして、その子が。
走り出した。
裸足で。
石畳を蹴って、まっすぐに。
運転席の扉が、開いた。
彼が、降りた。
小さな体が、飛んだ。
音が、した。
分厚い胸に、正面からぶつかる音。
「————っ」
その子は、彼のシャツを両手で掴んで。
わんわん泣いた。
声を上げて。
顔をぐしゃぐしゃにして。
しゃくり上げて、鼻水を垂らして。
神様には、見えなかった。
ただの、泣いている子供だった。
彼は、動かなかった。
両手が、宙に浮いたままだった。
どこに置けばいいのか、わからない、という手つきだった。
「たつまろ」
その子が、顔を上げた。
「たつまろ、たつまろ、たつまろ」
名前を、何度も呼んだ。
「ごめん、ごめんね、僕、僕、間に合わなくて」
「ずっと、ずっと見てたのに、一回も、」
言葉が、途中で崩れた。
そして、彼の手が。
ゆっくりと降りて。
その白い頭に、置かれた。
人ひとりを片手で潰せる手を。
羽根みたいに、そっと。
わたしは、それを見ていた。
見ながら、彼の顔を、見てしまった。
——知らない顔だった。
怒っているのでも、驚いているのでもない。
笑ってもいない。
崩れていた。
四ヶ月間。
毒を飲んで泣いたわたしにも。
四千人を焼いたと告白した夜にも。
村を出ていく前の夜にも。
一度も、見せなかった顔だった。
「ユイ」
彼が、言った。
たった二文字だった。
それだけで。
わたしの胸の奥が、音を立てて凹んだ。
「……生きてたのか」
「死んだよ」
その子は、泣きながら笑った。
「ちゃんと死んだ。焼かれて死んだ」
「けど、戻ってきた」
「十年かかった」
「神様になるのに、十年かかったんだ」
彼は、何も言わなかった。
手を、動かさなかった。
「あ、そうだ」
やがて、その子が、袖で顔を拭いた。
そして、くるりと振り返った。
目が、合った。
金色だった。
底が、見えなかった。
「……きみ、だれ?」
わたしは、答えようとした。
口が、動かなかった。
「ミレイユです」
やっと、それだけ言えた。
「ここで、働いてます」
その子は、しばらくわたしを見ていた。
まばたきを、一度もしなかった。
そして。
にっこり笑った。
「そっか」
「よろしくね、ミレイユ」
——あ。
わたしは、そのとき気づいた。
この子、わたしを見ていない。
見ているのは、わたしの背中の向こう。
助手席だ。
わたしが座っていた、五つの席のうちの、一つだ。
「僕ね」
その子は、両手を後ろで組んだ。
そして、子供みたいに首を傾げた。
「雷帝神ユイっていうんだ」
村が、どよめいた。
「雷帝神」
「まさか、あの」
「三百年前に、世界を救ったっていう——」
ユイは、それを聞いていなかった。
わたしだけを、見ていた。
そして、言った。
にこにこ笑ったまま。
悪気なんて、一ミリもない顔で。
「たつまろの、最初の女の子だよ」




