EP 7
「もう一回やろう」
「龍魔呂さんっ!! 見つけましたよ、僕は!! 三年かけて!!」
ずぶ濡れの巨漢が、土間で叫んだ。
丸眼鏡が曇りきっていて、たぶん何も見えていない。
彼は、洗い場から顔を上げた。
そして、心底うんざりした声で言った。
「……帰れ」
「そんな!!」
「マスター、お知り合いですか」
「知らねぇ」
「知ってるでしょ!!」
男は、眼鏡を拭いて、かけ直した。
そして、こちらに向き直り、深々と頭を下げた。
「失礼しました。僕、ガジェットと申します」
「ミレイユです」
「あっ」
彼の目が、いきなり輝いた。
「あなたが、噂の! 毒見役の! 勇者を舌一枚で沈めたという!」
「え、あの」
「素晴らしい! 実に素晴らしい! あの記録、三回見ました!」
「記録?」
「神界の配信映像です。友人に頼んで焼いてもらいました」
「……勝手に人んちで騒ぐな」
「あっ、すみません」
彼は、即座に縮こまった。
巨体が、ぬいぐるみみたいに萎んだ。
「タオル、使ってください」
「ご親切に!」
「……あと、風邪ひきますから、着替えを」
「妻が持たせてくれました!」
彼は、背負っていた鞄を叩いた。
「三日分! ミザリーが、『三日で帰らなかったら地の果てまで追う』と!」
「怖い奥さんですね」
「世界で一番怖いです」
わたしの後ろで、彼が小さく鼻を鳴らした。
笑った、と思う。
「あの」
熱い茶を出しながら、わたしは聞いた。
「お二人は、どういう」
「敵同士でした」
「え」
「僕、要塞を持っていたんです。北の山に」
彼は、湯呑みを両手で包んだ。
「魔導技師でしてね。生涯をかけて、防衛機構を作り込んだ要塞でした」
「七重の防衛ライン。魔導砲台が百二十門。自動迎撃、トラップ、迷路、全部、僕の設計です」
「すごい」
「でしょう!!」
「……で、なんで敵同士に」
彼の勢いが、少し落ちた。
「僕の作った装置が、奴隷商に流れていたんです」
「え」
「僕は知らなかった。……いや、知ろうとしなかった、が正確です」
「金は入る。技術は認められる。買った奴が何に使うかなんて、考えないようにしていた」
「そんで、ある日」
彼は、湯呑みを見た。
「七重の防衛ラインが、二時間で抜かれました」
「二時間!?」
「一つ目で三十分。二つ目で二十分。三つ目からは、五分ずつでした」
「僕の三十年が、二時間でした」
「玉座の間で、僕は震えてました。もう死ぬと思って」
「扉が開いて、血まみれの男が入ってきて」
「僕、目をつぶって——」
「そしたら、こう言われたんです」
わたしは、身を乗り出した。
「『お前、一人も殺してねぇな』」
「え」
「トラップです」
ガジェットさんは、恥ずかしそうに言った。
「網とか、糊とか、落とし穴とか。……全部、死なないやつなんです」
「僕、血が苦手で。人が死ぬのが、どうしても嫌で」
「だから、三十年かけて、誰も殺さない要塞を作ってました」
「見抜かれました。二時間で」
わたしは、洗い場のほうを見た。
彼は、何も言わずに皿を洗っていた。
掟の、一つ目だ。
カタギには、手を出さない。
「そのあと、この人が」
ガジェットさんの声が、少し震えた。
「**『もう一回、最初からやろう』**って」
「は?」
「**『今度はもっと難しくしていいぞ』**って」
わたしは、三秒ほど固まって。
「……ふっ」
吹き出した。
「な、なんですかそれ」
「僕もそう思いました!!」
「三十年の要塞を、遊びだと」
「遊びだと言われました!!」
「くっ、ふふ、あはは」
久しぶりに、声を出して笑った。
一週間ぶりだった。
「うるせぇぞ」
洗い場から、声がした。
「すみません」
「笑ってんじゃねぇ」
「……すみません」
でも、止まらなかった。
そして、わたしは気づいた。
彼が、背中を向けたまま。
少しだけ、肩の力を抜いていることに。
「——で」
ガジェットさんが、茶を置いた。
空気が、変わった。
「三年です。三年、探しました」
彼は、鞄から分厚い紙束を出した。
「見つけましたよ、龍魔呂さん」
洗い場の水音が、止まった。
「因果改変の、方法です」
彼は、紙を広げた。
「条件は、四つあります」
「一つ。始祖竜ロード」
「時を巻き戻せる、唯一の存在です。……ただし、生きている者にしか干渉できません」
「え」
「死んだ魂は、冥界の管轄なんです。竜の権能でも、届かない」
「二つ。冥界の門を、開けること」
「開けられる神格が、一柱だけいます。女神ルチアナ」
「三つ。突入手段」
「これは僕が用意します。……三年、そのために作ってました」
「四つ」
彼は、そこで言い淀んだ。
「閻魔を、どうにかすること」
「順番が、逆なんです」
ガジェットさんは、続けた。
「先に、地獄からユウくんの魂を連れ戻す」
「そのあとで、ロードが時を巻き戻す」
「そうすれば、死んだという事実そのものが、消えます」
わたしは、彼のほうを見た。
彼は、まだ何も言っていなかった。
布巾を握ったまま、動いていなかった。
「ガジェットさん」
わたしは、聞いた。
「ひとつ、いいですか」
「はい」
「ユウさんは、地獄の、どこにいるんですか」
ガジェットさんは、しばらく黙った。
そして、紙の一枚を、指で押さえた。
「賽の河原、という場所だそうです」
「さい、の」
「かわら、です」
わたしは、わからなかった。
聞いたことのない言葉だった。
「マスター。それ、なんですか」
彼は、答えなかった。
「マスター」
長い間があって。
そして、低い声が、答えた。
「幼ぇうちに死んだガキが、行くとこだ」
「そこで、石を積む」
「塔になるまで積む。もう少しで完成ってとこで」
「鬼が来て、崩す」
「また積む。また崩される」
「永遠にだ」
「なん、で」
わたしの声が、掠れた。
「なんで、そんな」
「親を、悲しませた罪だとよ」
布巾が、落ちた。
彼は、そのまま動かなかった。
そして、初めて。
声を、荒らげた。
「あいつが」
「あいつが、誰を悲しませたってんだ」
店が、静まり返った。
わたしは、立ち上がった。
「ガジェットさん」
「はい」
「その、突入するとき」
「何人まで、乗れますか」
ガジェットさんが、こちらを見た。
丸眼鏡の奥の目が、初めて、技師のものになった。
「……お嬢さん」
「あんた、行きますか」
「行かせるわけねぇだろ」
読んでいただきありがとうございます。
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