EP 6
「あなたは、取り上げようとしてる」
店は、普通に開いていた。
竈に火が入り、大根が炊かれ、暖簾が上がる。
わたしは皿を洗い、彼は包丁を研ぐ。
注文が通り、料理が出て、村人が笑って帰っていく。
何も、変わらない。
何も変わらないことが、いちばん堪えた。
「ミレイユさん!」
三日目の朝、村長が飛び込んできた。
「わたしに任せて! こういうのは、第三者が入るのがいちばんなの!」
「あの、村長」
「マスター! ちょっといい!?」
キャルル村長は、カウンターに身を乗り出した。
「あのね、恋愛っていうのはね、伝えないと伝わらないの! わたしもね、好きな人がいるんだけど——」
「誰だ」
「それは今いいの!!」
「気になるだろ」
「気になるところそこじゃないでしょ!?」
結果として、話は一ミリも進まなかった。
そのうえ、村長の想い人が誰かという噂だけが村中に広まり、翌日には賭けが始まっていた。
「オイ姉チャン! 元気出セヨ!」
「……はい」
「男ナンテナ、星ノ数程イル! 例エバホラ、目ノ前ニ!」
「畑に還れ」
「ギャアアア!」
ネギオ先生のハリセンだけが、この村の秩序だった。
四日目、わたしは村の外れへ歩いた。
ポポロ・コーポ。
村で唯一の、集合住宅。その二階の一室を、彼は借りている。
「はいはい」
戸を開けたのは、黒い服の青年だった。
「あ、この前の。……ミレイユさん、だっけ」
「中村さん」
「優太でいいよ。中村さんって呼ばれると、なんか役所の人みたいだから」
部屋は、恐ろしく片付いていた。
本と、薬品と、紙の束。
「で。診察? 手の傷、まだ痛む?」
「いえ」
「じゃあ、なに」
わたしは、しばらく言葉を探した。
「……あの人のことです」
「ああ」
彼は、椅子を引いた。
「じゃあ、座って」
わたしは、全部話した。
フラッシュバックのこと。子供の泣き声のこと。
呼吸が浅くなって、瞳孔が開いて、腰のあたりを探る仕草をすること。
そして、この一週間、避けられていること。
過去の話は、しなかった。
あれは、わたしが喋っていいものじゃない。
優太さんは、黙って聞いていた。
そして、言った。
「典型的だね」
「……典型?」
「心的外傷後ストレス障害。PTSDって言うんだけど」
「ぴー、てぃー」
「覚えなくていい。要するに、心の傷が治らないまま、体が覚えてる状態」
彼は、紙に何か書いた。
「特定の音、匂い、状況が引き金になって、その瞬間に戻される。本人の意思とは無関係にね」
「戻される」
「そう。思い出すんじゃない。戻るんだ」
わたしは、拳を握った。
「治りますか」
「治療法はあるよ。俺の国にはね」
「教えてください」
「時間をかけて、安全な場所で、何度も言葉にしていく。……きみ、もうやってるじゃん」
「え」
「聞いたんでしょ。最初から最後まで」
わたしは、頷いた。
「じゃあ、それが一番の治療」
「なら、どうして」
「どうして避けられてるか?」
優太さんは、筆を置いた。
そして、静かに言った。
「あの人、治す気ないよ」
「……え」
「一回も言ってないでしょ。治りたいって」
「でも、苦しそうで」
「苦しいよ。苦しいに決まってる」
彼は、こちらを見た。
「でもね、ミレイユさん」
「その苦しみが無くなったら、どうなると思う?」
「……楽に、なります」
「うん。弟が死んだことが、どうでもよくなる」
わたしの喉が、鳴った。
「そんな」
「そんな、じゃないよ」
優太さんの声は、静かなままだった。
「十年だよ」
「十年、毎日、飯をよそってきたんだ。誰も座らない席に」
「あれが、あの人の弔いだった」
「苦しいまま生きることが、あの人の供養だったんだよ」
「……」
「で、きみが来た」
彼は、続けた。
「飯を食って、泣いて、居着いて、名前を呼ばれて」
「事件を解決して、勇者を潰して、店の権利をもらって」
「そんで、十年誰にも喋らなかったことを、喋らせた」
「あなたは、それを取り上げようとしてる」
わたしは、動けなかった。
「わたし、そんなつもりは」
「うん。そんなつもりはないと思う」
「じゃあ」
「でも、結果はそうだよ」
彼は、少し身を乗り出した。
「聞くけどさ」
「なんで聞いたの」
「え」
「『ユウさんって、誰ですか』」
「……」
「あれ、なんで聞いたの」
わたしは、答えようとした。
知りたかったから。
そう言おうとして。
口が、止まった。
——誰のために?
あの席の意味がわかったから?
あの人を救いたかったから?
違う。
知らないのが、嫌だったからだ。
リベラさんは知っていた。優太さんも、たぶん察していた。
村の人たちは、聞かないという形で知っていた。
わたしだけが、何も知らなかった。
四ヶ月、毎日隣にいて、毎日ごはんを食べて。
それでも、いちばん遠かった。
だから、聞いた。
あの人のためじゃない。
「……最低ですね、わたし」
「うん、まあ」
優太さんは、あっさり頷いた。
「否定しないんですね」
「嘘つくと高くつくから」
彼は、湯呑みに茶を注いだ。
そして、わたしの前に置いた。
「でも、最低なのは普通だよ」
「え」
「みんな、誰かを助けたいって言いながら、自分が仲間外れなのが嫌なだけだったりする」
「俺もそう」
「……」
「大事なのは、気づいたあとに何をするかだよ」
わたしは、茶を飲んだ。
苦かった。
三年間で、いちばん苦い茶だった。
帰り際、戸口で、優太さんが言った。
「ひとつだけ、聞いてもいい?」
「はい」
「あの人、十年、誰にも喋らなかったんだよね」
「……はい」
「リベラさんにも、ガジェットって人にも、村長にも」
「はい」
彼は、少しだけ首を傾げた。
「なんで、きみには喋ったんだと思う?」
わたしは、答えられなかった。
その夜、雨が降った。
店を閉めて、行灯を落とそうとしたとき。
戸が、吹き飛ぶ勢いで開いた。
「ひっ」
そこに立っていたのは、巨大な塊だった。
ずぶ濡れで、泥だらけで、肩で息をしている。
小太りの、中年の男だった。丸眼鏡が曇りきっている。
「た、」
彼は、カウンターの奥を見た。
「龍魔呂さんっ!!」
「見つけましたよ、僕は!! 三年かけて!!」
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




