↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒見役だった私を拾ったのは、村で一番怖い小料理屋の店主でした ~捨てた勇者は、そのあと村に来ないでください~  作者: 月神世一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/39

EP 5

「触らない理由」

翌朝、彼はいつも通りだった。

竈に火を入れ、大根を炊き、包丁を研ぎ、角砂糖を齧っていた。

「おはようございます」

「ああ」

いつも通りだった。

いつも通りすぎた。

最初に気づいたのは、二日目の昼だった。

洗い場に立とうとしたとき、彼が一歩、横にずれた。

すれ違うだけの距離を、わざわざ空けたのだ。

三日目、荷物を運ぼうとして手を出したら、彼は籠をカウンターに置いた。

手渡しを、しなかった。

「マスター、この皿——」

「そこ置いとけ」

「渡しますけど」

「置いとけ」

四日目。

賄いの膳が、一人分だった。

「あの、マスターのは」

「済ませた」

「いつ」

「さっきだ」

嘘だった。

竈の灰が、冷たかった。

五日目の夜。

わたしは、カウンターを拭きながら待っていた。

閉店後。行灯がひとつ。彼が手を拭いて、布巾を畳む。

いつもなら、ここで言う。

「今日、何が食いたい」

四ヶ月間、一日も欠かさず。雨の日も、事件の日も、彼が村を出る前夜も。

彼は、何も言わずに、裏口へ歩いていった。

「嬢ちゃん、喧嘩したのか?」

翌日、常連のおじさんが小声で聞いてきた。

「してません」

「ありゃ喧嘩の顔だぞ」

「してませんってば」

「ミレイユさん!」

昼過ぎ、マンミアさんが血相を変えて飛び込んできた。

「わ、わたし、余計なことを言ったでしょうか!」

「なんの話ですか」

「先日、マスターに『お二人はいつご結婚を』と……」

「マンミアさん」

「申し訳ありません!! わたし、二十五年、恋愛を経験しておらず、距離感というものが——」

「マンミアさん」

「二十五歳です」

「落ち着いてください」

その日、彼女は三回謝って帰っていった。

村長が仲裁に来て、なぜか話がこじれて、ネギオ先生がハリセンで全員を黙らせた。

わたしは、笑えなかった。

六日目の夜。

わたしは、裏口の前に立った。

彼が出ようとしたところを、塞いだ。

「どけ」

「いやです」

「ミレイユ」

「なんで避けるんですか」

彼は、答えなかった。

「わたし、なにかしましたか」

「してねぇ」

「じゃあ、なんでですか」

「……」

「ごはんも、一人分にして」

「あの問いも、言わなくなって」

「手も、渡してくれなくなって」

わたしの声が、震えた。

「わたしが、あの話を聞いたからですか」

「違う」

即答だった。

「じゃあ、なんですか」

「違うって言ってんだろ」

「なら、言ってください」

彼は、しばらく黙っていた。

行灯の火が、じじ、と鳴った。

そして。

「……守るもんを持つとな」

低い声だった。

「必ず、失くすんだよ」

「え」

「母さんも。ユイも。ユウも」

「全部、俺の手の届く距離にいた奴だ」

「そんなの、たまたまじゃ」

「三回だ」

彼は、こちらを見なかった。

「三回とも、同じだ。俺が、そばにいた」

「でも」

わたしは、一歩、前に出た。

「わたし、四ヶ月、生きてますけど」

「……」

「毎日ここにいて、毎日あなたのごはん食べて、四ヶ月、生きてます」

「死んでません」

彼の顎が、わずかに動いた。

「今んとこは、な」

「マスター」

わたしは、もう一歩、踏み出した。

そして、両手で。

彼の手を、取った。

固かった。

大きくて、ごつごつしていて、刃物の傷だらけで。

そして、冷たかった。

「……っ」

彼の体が、跳ねた。

「離せ」

「いやです」

「離せ」

「確かめましょう」

わたしは、その手を握ったまま言った。

「触っても、わたし、死にません」

「今、触ってます」

「ほら、生きてます」

振り払われた。

乱暴に。

四ヶ月で、初めてだった。

手の甲が、カウンターの角にぶつかった。

鈍い音がした。

「……あ」

彼の顔が、初めて、変わった。

手を伸ばしかけて。

止まった。

そして、握りしめた。

「……悪ぃ」

「痛くないです」

「見せろ」

「いやです」

「ミレイユ」

「見せません」

わたしは、赤くなった手を、背中に隠した。

「触ったら、死ぬんじゃなかったんですか」

「……」

「じゃあ、見ないでください」

長い、沈黙があった。

そして、彼は言った。

とても、低い声で。

「お前が死ぬのが怖ぇんじゃねぇ」

「え」

彼は、こちらを見なかった。

「お前が死んだ日にな」

「俺が、何をするかが、怖ぇんだよ」

わたしの背中を、冷たいものが走った。

闘技場の、四千人。

数えていない、と言った。

「この村、千人だ」

彼は、淡々と言った。

「隣町も入れて、三千。街道沿いまで入れりゃ、もっとだ」

「俺は、一回やってんだよ」

「二回目をやらねぇ保証は、どこにもねぇ」

「だから、近づくな」

彼は、そう言った。

そして、最後に。

一番、ひどいことを言った。

「たかが四ヶ月だろ」

「お前は、ここで飯食っただけだ」

裏口の戸が、閉まった。

わたしは、その場に立っていた。

振り払われた手が、まだ熱かった。

痛いからじゃない。

この四ヶ月で、一番長く触れていたからだ。

「……四ヶ月です」

誰もいない店に、わたしは言った。

「たかが、じゃ、ないです」

そして、奥の席を見た。

膳が、無かった。

わたしが置かなかったからではない。

今日は、あの人も、置いていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。