EP 7
「飲ませてください」
翌朝、村の広場に、舞台が組まれていた。
一晩で建てたらしい。白木の演壇、垂れ幕、椅子が二百脚。
『勇者ゼロス 公開説明会』
「断れんぞ」
リベラさんが、金の煙管を噛みながら言った。
「断った瞬間、『やましいことがある村』として大陸中に流れる」
「わかってます」
「これはな、説明会やない」
彼女は、演壇を睨んだ。
「処刑場じゃ」
広場は、人で埋まった。
村人だけじゃない。隣町から、街道から、噂を聞いた者が押し寄せていた。
そして頭上に、光る球体が三つ。
「あれ、神様が見てるんだって」
「大陸中に流れてるらしいぞ」
「うちの村が、映ってるのか?」
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
ゼロスが、演壇に立った。
朝日が、彼の白い外套を照らしていた。角度が完璧だった。
「僕は今日、弁解に来たのではありません」
彼は、深く頭を下げた。
「謝罪に来ました」
——上手い。
わたしは、拳を握った。
「昨日の家宅捜索。あれは僕の関与ではありませんが、僕が村に来たことが引き金になった。……この村の皆さんの生活を壊してしまった」
「本当に、申し訳ありませんでした」
村人が、ざわめいた。
「いや、あんたのせいじゃ」
「そこまで言わんでも」
空気が、動いた。
「ですが、皆さん」
彼は、顔を上げた。
「僕は、危険だと申し上げているんです」
「北の戦線で、二百三十四名が消えました。その男が、この村にいた」
「皆さんは、恩人だと言う。飯を作ってもらったと。子供を助けてもらったと」
「……それは、いつまで続くんですか?」
広場が、静かになった。
「一度、堤防が切れたら。……皆さんの隣にいるのは、二百三十四人を殺した男です」
わたしは、立ち上がった。
「違います」
声が、震えた。
「あの人は、そんな人じゃありません」
「ほう。根拠は?」
「……」
「三ヶ月、一緒に暮らしたから?」
「はい」
ゼロスは、悲しそうに微笑んだ。
「感情論ですね」
広場に、乾いた笑いが起きた。
「僕はね、ミレイユ。君を責めていない。三年間、僕のために毒を飲んでくれた君を、責められるはずがない」
「でも、君は今、判断力を失っている」
「それは、恋ではなく、依存です」
わたしは、言葉を失った。
反論が、出てこなかった。
「——ええ加減にしんさいや」
リベラさんが、演壇の前に立った。
書類を、掲げた。
「独占契約書。あんたが村長に押しつけた紙じゃ」
「これがどうかしましたか」
「インクが二種類ある」
広場が、どよめいた。
「本文と署名で、書かれた日が違う。中身を決める前に、先に判子を押させる書式じゃ。詐欺の常套手段よ」
「——それだけですか?」
ゼロスは、拍子抜けしたように言った。
「代筆の書面に、後から署名する。商取引では普通のことです」
「弁護士先生なら、ご存知でしょう?」
「……っ」
「支店長、次いこか」
ニャングルさんが、キセルを咥えて算盤を弾いた。
「ゼロスはん。あんたのオリハルコン装備な。ウチの商会のローンや。残債八千枚、三ヶ月滞納中」
「ええ、その通りです」
ゼロスは、あっさり認めた。
「装備を買うために借金をしました。恥だとは思いません」
「僕は平民の生まれです。姓もありません。金もなかった」
「借りてでも強くならなければ、誰も守れなかった」
——拍手が、起きた。
「かっけぇ……」
「苦労してんだな」
「借金してでも勇者やってんのか」
わたしは、目の前が暗くなった。
全部、跳ね返されている。
「……閣下」
リバロンさんが、静かに前へ出た。
「先ほどから、あなたの汗の匂いに、酸味が混ざっております」
「人狼族の嗅覚では、これは明確な嘘の反応です」
「へえ」
ゼロスは、笑った。
「匂いは、証拠になりますか?」
——ああ。
三年前と、同じだ。
十日前と、同じだ。
証拠は?
紙に残る?
それ、法廷で通りますか?
わたしは。
ずっと、それに負けてきた。
——なら、もう、いい。
わたしは、演壇の下まで歩いた。
「ミレイユさん、待ちんさい」
リベラさんが、腕を掴んだ。
「あんたの舌は証拠にならん。何度も言うたじゃろ」
「証拠は、要りません」
「え」
わたしは、彼女の手を、そっと外した。
「この人に、断らせるだけでいいんです」
「ゼロス様」
わたしは、演壇を見上げた。
二百人が、こちらを見ていた。
球体が、三つとも、こちらを向いた。
「はい、なんでしょう」
彼は、余裕のある笑みを浮かべていた。
「お願いがあります」
「なんなりと」
わたしは、彼の腰を指差した。
革の水筒が、提げられていた。
三年間、毎日見た形だった。
「その水筒の中身を、飲ませてください」
空気が、止まった。
「……なんだって?」
「一口でいいです」
わたしは、両手を差し出した。
「わたし、あなたの毒見役でした。三年間、毎日それを先に飲みました」
「だから、味を全部覚えています」
「今、そこに何が入っているか。三年前と同じものか。飲めば、わかります」
村人が、ざわめいた。
「水筒?」
「飲ませてやりゃいいじゃねぇか」
「水だろ?」
ゼロスは、動かなかった。
「……ミレイユ」
彼の声が、少しだけ低くなった。
「君は、混乱している」
「これはただの水だ」
「なら、飲ませてください」
「意味がない」
「一口です」
「聞き分けなさい」
「一口です」
広場の空気が、変わった。
村人の顔から、共感が引いていった。
「……なんで飲ませねぇんだ?」
「水なんだろ?」
「一口だぞ?」
球体が、三つとも、ゼロスの顔に寄った。
わたしは、両手を差し出したまま、動かなかった。
「わたしには、証拠が出せません」
はっきりと、言った。
「わたしの舌は、紙に残りません。法廷でも通りません」
「三年間ずっと、そう言われてきました」
「でも」
「あなたが今、断ったことは、全員が見ています」
白すぎる歯が、消えた。
ゼロス・ディバインの顔から、初めて。
笑みが、剥がれ落ちた。
読んでいただきありがとうございます。
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