EP 2
「勇者が村を買いに来た」
カメラ三台が、彼を向いていた。
村の音が、消えていた。
「……DEATH4?」
「なんだそりゃ」
「マスターのことか?」
村人は、その名前を知らない。
知っているのは、あの日広場にいた者だけだ。
マンミアさんの馬体が、わずかに前へ出た。
キャルル村長の耳が、ぴんと立った。
リベラさんが、いつの間にか人垣の後ろに立っていた。
彼は。
布巾を、畳んだ。
それだけだった。
「……昼、まだやってる」
低い声で、そう言って。
彼は、暖簾をくぐって店に戻った。
沈黙が落ちた。
「……あ、あれ?」
「行っちゃったよ」
「昼の営業?」
「オイ! 今ノナンダヨ! 盛リ上ガル所ダロ!」
ガーリッ君が畝から飛び出した。
「オレモ映セ! カメラ! コッチ! オレ、喋レルガーリック——」
「畑に還れ」
「ギャアアア!」
ネギオ先生が、無表情でハリセンを振り下ろした。
ゼロスは、笑顔のままだった。
でも、わたしは見た。
彼の眉が、一瞬だけ動いたのを。
——無視された、と思ったのだ。
この人は、それが一番嫌いだ。
会談は、その日の午後だった。
村長宅の広間。
キャルル村長、マンミアさん、村の顔役が三人。リベラさんが同席し、わたしは壁際に立たされた。
ゼロスは、上座で足を組んだ。
「単刀直入に言おう」
朝の涙は、跡形もなかった。
「月光薬の独占販売契約を結びたい」
キャルル村長の耳が、ぴくりと動いた。
「……独占?」
「三年契約。製造は村、流通は僕の商会。利益は八対二」
「八が、そちらですか」
「もちろん」
彼は、書類を滑らせた。
「見返りは大きいよ。ルナミス帝国の正式な後ろ盾だ」
「この村、どこの国にも属してないだろ? 緩衝地帯。……便利だけど、危ういよね」
「明日、獣人が攻めてきても、誰も助けに来ない」
村の顔役が、唾を飲んだ。
「あと、条件がもうひとつ」
ゼロスが、わたしを見た。
「聖女を返してもらう」
「お断りします」
キャルル村長が、即答した。
「あら」
「三つとも、お断りです」
彼女は、立ち上がった。
二十歳の少女が、上座の英雄を見下ろしていた。
「月光薬は売り物じゃありません。病気の人が飲むものです」
「八対二の契約を結んだら、値段は今の十倍になる。買えない人が出ます」
「そして、ミレイユさんはこの村の人です。物じゃありません」
わたしの喉が、詰まった。
「……なるほど」
ゼロスは、頷いた。
そして、笑った。
「じゃあ、こっちの話をしようか」
彼は、従者に指を鳴らした。
新しい書類が、卓に置かれた。
「あの店の男の身柄は?」
部屋の温度が、下がった。
「北の戦線。三年前の冬」
ゼロスは、指で書類をなぞった。
「ルナミス帝国第七方面軍、一個中隊、二百三十四名が消えた」
「敵の襲撃じゃない。味方の陣内でだ」
「生き残りは十一人。全員が、同じ供述をしている」
彼は、顔を上げた。
「『音がしただけだった』」
わたしは、壁に手をついた。
あの夜、BARで震えていた男の言葉と、一言一句、同じだった。
「帝国は三年、こいつを探してる」
ゼロスは、最後の紙を出した。
手配書だった。
似顔絵は、粗い。目撃者の証言から起こしたものだ。
でも。
赤黒い瞳の色だけが、正確だった。
「懸賞金、金貨五万枚」
顔役の一人が、椅子から落ちそうになった。
「村の年間予算の、何年分かな?」
「……三十年分です」
マンミアさんが、絞り出すように言った。
「へえ」
ゼロスは、心底楽しそうに笑った。
「じゃあ、こうしよう」
「契約を飲めば、僕はこの手配書を見なかったことにする」
「飲まなければ——明日、帝国調査団を呼ぶ」
リベラさんが、初めて口を開いた。
「その手配書、正規のもんじゃな」
「もちろん」
「……くそ」
彼女は、金の煙管を噛んだ。
「弁護士として言うが。これは合法じゃ」
「一晩、考えていいよ」
ゼロスは立ち上がった。
「僕は、この村の味方なんだから」
去り際、彼はわたしの横を通った。
そして、聞こえないくらいの声で、囁いた。
「——お前が消えてから、数字が落ちたんだよ」
「聖女がいない勇者パーティって、絵面が締まらないんだ」
「代わりの子、三人試したけど全部ダメでね」
わたしは、動けなかった。
「だから、戻ってこいよ。毒見の仕事は、お前が一番上手かった」
日が暮れた。
鬼龍の暖簾は、いつも通り出ていた。
昼の営業も、夜の営業も、普通にやったらしい。
わたしが店に入ると、彼はカウンターの内側にいた。
大根を、炊いていた。
「……マスター」
「ああ」
「懸賞金の話、聞きましたか」
「聞いた」
わたしは、そこで気づいた。
この人は、何も驚いていない。
「マスター」
「あ?」
「知ってたんですか」
彼は、鍋の蓋を戻した。
「三年前からな」
「そんな」
膝から、力が抜けた。
「じゃあ、ずっと」
「ああ」
「ずっと、そうやって、店を——」
「ミレイユ」
彼が、こちらを向いた。
そして、聞いた。
低く、いつもより少しだけ、硬い声で。
「あいつに、何かされたか」
わたしは、顔を上げた。
彼は、まっすぐにわたしを見ていた。
自分の首に五万枚の値がついた話を、たった今、脇に置いて。
「……いえ」
「そうか」
彼は、頷いた。
そして、膳を置いた。
「食え。冷める」
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