第二章「偽物」
「迎えに来てあげたよ」
暖簾が、地面に落ちた。
拾わなければ、と思った。
思ったのに、指が動かなかった。
三年間、この人の前で、わたしの体は勝手に決まっていた。
背筋を伸ばして、目を伏せて、両手を前で組む。
今も、そうなっていた。
「やあ」
白い歯が、光った。
「迎えに来てあげたよ、ミレイユ」
村の入り口が、人で埋まっていた。
荷馬車が五台。揃いの白い外套の従者が二十人。
そして、魔導カメラが三台。
「な、なんじゃありゃ」
「勇者様? 本物の?」
「うわ、テレビで見たまんまだ!」
村人が集まってくる。
畑仕事の手を止めて、ルナキンの店員がエプロンのまま出てきて、ガーリッ君が畝から顔を出した。
「オイオイ! 何ノ騒ギダ!? 芸能人カ!?」
「近寄るな。臭う」
ネギオ先生が、ハリセンで押し戻した。
ゼロスが、歩いてくる。
厚底のブーツが、石畳を鳴らす。
こつ、こつ、こつ。
三年間、毎日聞いた音だった。
胃の奥が、冷たくなった。
「ミレイユ」
彼は、わたしの三歩手前で止まった。
そして。
膝を、ついた。
村が、どよめいた。
「え」
「勇者様が?」
「跪いた?」
カメラが、寄る。
「僕が間違っていた」
ゼロスの声が、震えていた。
「君を追い出したあの日から、僕はずっと後悔していた。……君がいないと、僕は何も出来ないんだ」
「毎晩、思い出すんだ。君が僕のために毒を飲んでくれたことを。僕は、それを当たり前だと思っていた」
彼は、顔を上げた。
涙が、頬を伝っていた。
「頼む。……帰ってきてくれ」
村が、静まり返った。
そして。
「……勇者様」
「あんた、いい人じゃねぇか」
「泣いてるよ、あの人」
空気が、変わっていた。
わたしは、それを見ていた。
見ながら、思った。
——ああ。
上手い。
だって、絵が完璧なのだ。
英雄が、村の入り口で、地面に膝をついている。
泣いている。頭を下げている。
カメラの位置。太陽の向き。膝をついた角度。涙の落ちる速度。
全部、計算されている。
「あの、勇者様」
キャルル村長が、おずおずと前に出た。
「事情は、その、よくわからないんですけど」
「ああ、村長さんですね」
ゼロスが立ち上がって、村長の手を取った。
「彼女がお世話になりました。本当に、ありがとうございます」
「い、いえ」
「この村の月光薬の話も伺っています。素晴らしい」
——来た。
わたしは、その一言に気づいた。
「ミレイユ」
彼が、こちらに向き直った。
そして、従者から包みを受け取り、差し出した。
「君の好きだった砂糖菓子だ。覚えてる? 王都のマルグリット堂の」
——好きだった?
わたしは、一度もそんなことを言っていない。
三年間、一度も。
でも、村人には伝わらない。
「まあ、あの店の」
「よく覚えてらっしゃるねぇ」
わたしは、包みを受け取った。
受け取ってしまった。
体が、勝手に動いた。
三年間、この人が差し出したものを、わたしは全部受け取ってきたから。
紙を開いた。
そして、ひとつ、口に入れた。
流れ込んでくる。
砂糖、卵白、レモンの皮。王都の製法。焼き上げは五日前。
毒は、無い。
でも。
別のものが、入っていた。
『焦るな。三秒待ってから微笑め』
『涙は左目から先だ。右は不自然に見える』
『村長を先に立てろ。あの女は後だ』
——演技指導だ。
この菓子を包んだ手が、覚えていたのだ。
彼は、三日前から練習している。
跪く角度も、涙も、この菓子を渡す順番も。
全部、リハーサル済みだ。
「……っ」
わたしの手が、震えた。
「どうした? 美味しくない?」
ゼロスが、心配そうに首を傾げた。
その顔を、カメラが捉えた。
「……あなた」
わたしは、声を絞り出した。
「三日前から、練習してますね」
村が、ざわついた。
「え?」
「なんて?」
ゼロスは、きょとんとした顔をした。
そして、優しく笑った。
「ミレイユ。……証拠は?」
——また、これだ。
胃の底が、抜け落ちた。
「彼女、少し混乱しているみたいで」
ゼロスが、村人たちに向き直った。
「三年間、僕のために毒を飲み続けたんです。……体だけじゃなく、心も、傷ついているんだと思う」
「だから、僕が責任を取ります」
村人が、頷いていた。
「そりゃそうだ」
「かわいそうに」
「嬢ちゃん、良かったなぁ」
——違う。
違うんです。
言葉が、出なかった。
三年間、言葉の出し方を奪われた口が、また閉じていた。
ゼロスが、わたしの手を取った。
「さあ。帰ろう」
冷たい手だった。
そのとき。
かちゃん。
背後で、皿の置かれる音がした。
いつもより、ほんの少しだけ、強く。
わたしは、振り返った。
鬼龍の暖簾の下に、彼が立っていた。
洗い物の途中だったのだろう。
袖をまくったまま、濡れた手を布巾で拭いている。
顔は、いつも通りだった。
無表情で、退屈そうで、何を考えているかわからない。
でも。
わたしは、見てしまった。
布巾を持つ手が、いつもより深く握られていた。
「……」
彼は、何も言わなかった。
ただ、そこに立っていた。
「——ああ」
ゼロスの声が、明るく響いた。
「君が、例の店主か」
彼は、わたしの手を握ったまま、笑顔を崩さなかった。
そして、はっきりと、村中に聞こえる声で言った。
「噂は聞いてるよ」
「————DEATH4」
村の音が、消えた。
カメラが、三台とも、彼のほうを向いた。
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