EP 15
「鬼龍、営業中」
四十八時間後。
リコーヌ地方裁判所、第三法廷。
「証拠物件、第七七四ロット、七月九日製造」
リベラさんの声は、静かだった。
黒いスーツ。結い上げた金髪。眼鏡の奥の目が、まったく揺れていない。
「鑑定を」
法廷の中央で、瓶が掲げられた。
鑑定官が、手をかざす。
空中に、光る文字が浮かんだ。
コード
傍聴席が、ざわめいた。
検察側の弁護人が、勝ち誇った顔をした。
「ご覧の通りです。この薬は正規品——」
「あと、九秒じゃ」
「は?」
「八、七、六」
リベラさんは、鑑定表示を見上げたまま数えた。
「三、二、一」
光る文字が、崩れた。
コード
法廷が、爆発した。
「鮫島剛のスキル【ステータス偽装】、持続時間は四十八時間」
リベラさんの声が、その騒ぎを切り裂いた。
「数字は、嘘をつきます。裁判長」
「この国の法は、鑑定を信じすぎた。だから三千本が市場に出た。だから、隣町で十七人が倒れた」
彼女は、傍聴席をゆっくりと見回した。
「わたしの依頼人、グレアム・ボットは、字が読めません」
「読めない人間に、鉛の配合が決められますか」
三日後、グレアム・ボットの処刑は取り消された。
未遂の詐欺幇助で、労役三年。
判決を聞いたとき、彼は法廷で泣き崩れた。
隣町の子供二人は、助かった。
キャルル村長が、本物の月光薬を持って走った。
三日三晩、村長は帰ってこなかった。
帰ってきたとき、耳がぺたんと倒れたまま、彼女は言った。
「……ぜんぶ、間に合ったわ」
そして、その場で寝た。
火原元と、鮫島剛。
二人は、「魔獣暴走時の巻き添え」として処理された。
書類を作ったのは、リベラさんだった。
「ええんじゃ」
彼女は、金の煙管を弄びながら言った。
「わたしは弁護士じゃ。あの男の弁護人でもある」
「マスターの?」
「三年前からな」
わたしは、聞かなかった。
聞いていいことと、いけないことの区別だけは、この三ヶ月で覚えた。
彼は、二日間眠っていた。
三日目の朝、階段を降りたら、竈に火が入っていた。
「……マスター」
「ああ」
いつもの背中だった。
包丁を研いで、角砂糖を齧って、大根を炊いていた。
まるで、何もなかったみたいに。
「あの、体は」
「なんともねぇ」
「二日寝てましたよ」
「寝すぎたな」
会話は、それで終わった。
彼は、あの日のことを何も言わなかった。
謝りもしなかったし、説明もしなかった。
わたしも、聞かなかった。
ただ、ひとつだけ。
その日の夕方。
彼が、奥の席に膳を置こうとしていた。
小さな茶碗。小さな椀。小さな箸。
わたしは、飯櫃を持って、隣に立った。
「……」
彼が、こちらを見た。
わたしは、何も言わなかった。
ただ、しゃもじで、小さな茶碗に飯をよそった。
長い、沈黙があった。
彼は、それを受け取った。
そして、奥の席に、置いた。
「……ありがとよ」
それだけだった。
でも、三ヶ月で初めて聞く言葉だった。
村は、日常に戻った。
ガーリッ君がまた絡んできて、ネギオ先生に埋められた。
マンミアさんは、非番の日に子供たちを背中に乗せて村を一周していた。「二十五歳ですが」と言いながら。
ルナキンは今日も二十四時間営業だった。
「嬢ちゃん! うちの井戸水も頼む!」
「うちの旦那の弁当も!」
「浮気してないか味でわかるか?」
「わかりません」
たぶん、わかるけれど。
「あんた」
BARの時間。
リベラさんが、紅茶を飲みながら言った。
「あの男に惚れとるじゃろ」
「————」
わたしは、グラスを落とした。
割れた。
「あらら」
「ちっ、ちがっ、あの、そういうのでは」
「顔が真っ赤じゃ」
「湯気です!」
「紅茶はわたしのじゃが」
洗い場のほうから、水を止める音がした。
彼が、こちらを見ていた。
「なんかあったか」
「なんもないわ」
リベラさんが、しれっと言った。
「グラス、割ったんですけど」
「ええよ。あんたの分は、後で聞いたる」
「なんの話ですか!!」
その夜、閉店後。
わたしは、カウンターを拭いていた。
彼は、洗い物を終えて、手を拭いていた。
行灯が、ひとつ。
「ミレイユ」
「はい」
彼が、いつもの問いを口にした。
「今日、何が食いたい」
三ヶ月前、答えられなかった問い。
四日前、やっと「甘いもの」と言えた問い。
わたしは、顔を上げた。
窓の外に、月が出ていた。
国境の村の、静かな夜だった。
明日もきっと厄介事は来る。
わたしはまだ、何も持っていない。
この人が背負っているものが何なのか、わたしはまだ、何ひとつ知らない。
でも。
「全部です」
「……全部か」
「全部です」
彼は、鼻から息を吐いた。
そして、袖をまくった。
「じゃあ、座って待ってろ」
翌朝。
村の入り口に、鐘が鳴った。
カン。カン。カン。
わたしは、暖簾を出しに外へ出たところだった。
土煙が、上がっていた。
荷馬車が、五台。
その周りを、揃いの白い外套の従者が囲んでいる。
そして、先頭に。
魔導カメラが、三台。
「————」
わたしの手から、暖簾が落ちた。
白い歯が、光った。
厚底のブーツが、石畳を鳴らした。
「やあ」
三ヶ月ぶりの、声だった。
「迎えに来てあげたよ、ミレイユ」
勇者ゼロス・ディバインが、両手を広げて笑っていた。
第一章「鬼龍の暖簾」 完
第二章「偽物」へ続く
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