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毒見役だった私を拾ったのは、村で一番怖い小料理屋の店主でした ~捨てた勇者は、そのあと村に来ないでください~  作者: 月神世一


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14/19

EP 14

「あなたのごはんが、食べたいんです」

彼が、一歩を踏み出した。

「————っ」

わたしの体は、動かなかった。

膝が地面についていた。呼吸が、うまくできなかった。

わたしは、怖い。

七話の夜から、ずっと怖い。

ライターの音を聞いてから、この人が本当は何なのか、わたしはずっと怖かった。

でも。

石畳の上で、あの子が泣いている。

わたしは、胸に抱えていた瓶を見た。

第七七四ロット。七月九日製造。

三千本の詐欺を崩す、たった一本の証拠。

隣町の子供の命。処刑される男の命。

わたしが、自分から毒を飲んで手に入れたもの。

「リベラさん」

「……何じゃ」

わたしは、それを差し出した。

「これ、お願いします」

「ミレイユさん」

「四十八時間、守ってください」

「あんた、何をする気じゃ」

「わかりません」

「わからんのに行く気か!」

「はい」

わたしは、瓶を彼女の手に押しつけた。

そして、両手を、空にした。

「やめろ!」

「嬢ちゃん、死ぬぞ!」

「誰か止めて!」

村人の声が、遠かった。

わたしは、立ち上がった。

そして、歩き出した。

十歩で、耳が鳴り始めた。

十五歩で、鼻から血が出た。

二十歩で、皮膚が痛み出した。

赤黒い陽炎が、渦を巻いていた。

熱くはない。冷たくもない。

ただ、空気が、重い。

水の底を歩いているみたいだった。一歩ごとに、体が押し戻される。

——わたしには、何もない。

歩きながら、そう思った。

戦えない。魔法も使えない。剣も持てない。

三年間、地味だと言われた。光らないと言われた。カメラの前で何ができる、と言われた。

四日前、百人の前で笑われた。ハズレスキルだと。

その通りだ。

わたしは、何も持っていない。

でも。

わたしは、この人の作った飯を、食べた。

震える手で、三年ぶりに。

毒も、嘘も、打算も、侮蔑も、何ひとつ入っていない飯を。

この人が作ったものを、この世界でいちばんたくさん食べたのは、わたしだ。

だったら。

わたしにしか、できないことがある。

三十歩。

赤黒い瞳が、わたしを見下ろした。

そこには、誰もいなかった。

「マスター」

声が、出なかった。

風に、掻き消された。

わたしは、袂に手を入れた。

指先に、硬いものが当たった。

潜入の朝、瓶からひとつだけ、袂に入れたのだ。

お守りのつもりだった。

十二年ぶりに、自分で「欲しい」と言って貰ったもの。

無くしたくなくて、食べずに持っていた。

白い、角砂糖。

わたしは、それを両手で包んで、差し出した。

震えていた。

情けないくらい、震えていた。

「あの」

喉から、掠れた音が出た。

「お腹、空きました」

赤黒い風が、ほんの少しだけ、緩んだ。

「わたし、朝から何も食べてないんです」

言葉が、勝手に出てきた。

「昨日も、あんまり食べられなくて。緊張してて」

「今日、あの人たちに嘘をつくの、すごく怖かった」

「頭を下げて、わたしには何もありませんって言うの、すごく、嫌でした」

涙が、出ていた。

風に飛ばされて、頬の上で乾いた。

「だから」

わたしは、もう一歩、前に出た。

「わたし、あなたのごはんが食べたいです」

「毒も、嘘も、なんにも入ってない」

「『冷めないうちに食え』しか入ってない、あなたのごはんが」

「食べたいんです」

赤黒い瞳が、揺れた。

「……あなたが、言ったんですよ」

わたしは、掌の角砂糖を、もっと高く掲げた。

「減らねぇよって」

「わたし、十二年間、何も欲しがりませんでした」

「欲しがったら、誰かが減ると思ってたから」

「でも、あなたが、減らないって言ったんです」

「だから、わたし、欲しがります」

「あなたのごはんが、欲しい」

「明日も、明後日も、その次も」

「だから」

「————帰りましょう」

風が、止んだ。

沈黙が、広場に落ちた。

赤黒い瞳が、わたしを見ていた。

一秒。

二秒。

三秒。

大きな手が、伸びてきた。

わたしは、目を閉じなかった。

その手は。

わたしの掌から、角砂糖を、一粒だけ摘まみ上げた。

口に、入れた。

かり、と。

小さな音が、した。

「……ああ」

低い声だった。

いつもの、あの声だった。

「悪ぃ」

赤黒い陽炎が、ほどけていった。

空気が、色を取り戻した。

そして、彼の膝が、折れた。

「マスター!」

わたしは、受け止めようとした。

無理だった。百九十センチある。わたしの倍以上の重さがある。

一緒に、石畳に倒れ込んだ。

肩を貸したまま、わたしは、彼の顔を見た。

蒼白だった。

でも、目に、ちゃんと色があった。

「……ミレイユ」

「はい」

「怪我は」

「してません」

「そうか」

彼は、目を閉じた。

そして、それだけ言った。

「冷める前に、帰るか」

わたしは、頷いた。

頷いて、それから。

「うっ、……ぐ、うぁぁ」

その場に座り込んで、わんわん泣いた。

みっともなく、鼻水を垂らして、しゃくり上げて。

三ヶ月前、彼の作った飯を食べたときと、まったく同じ泣き方で。

村人が、駆け寄ってきた。

母親が、泣いている子を抱き上げた。

マンミアさんが、パイルバンカーを下ろした。

キャルル村長が、わたしの背中をさすってくれた。

リベラさんが、瓶を抱えたまま、こちらへ歩いてきた。

そして、彼女は。

わたしの頭に、そっと手を置いた。

「……あんた」

金の煙管を、噛んだまま。

「三年かかっても誰にも出来んかったことを、三ヶ月でやりよったな」

読んでいただきありがとうございます。

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