EP 13
「死を呼ぶ四番」
カチ。
その音がした瞬間、村の音が消えた。
キメラの咆哮は、まだ続いていた。
自警団の号令も、村人の悲鳴も、鳴っていたはずだ。
なのに、聞こえなかった。
「……逃げ」
隣の村人が、掠れた声を出した。
「逃げろ、嬢ちゃん」
「え」
「あっちに逃げろ! 店のほうに行くな!」
わたしは、振り返った。
暖簾が、上がっていた。
彼が、そこから出てきた。
走っていなかった。
ただ、歩いていた。
いつも通りの、ゆっくりとした歩幅で。通りの真ん中を、まっすぐに。
手ぶらだった。
包丁も持っていない。武器もない。
なのに。
「……ぁ」
わたしの膝が、勝手に折れた。
呼吸が、できなかった。
胸を殴られたみたいに、息が入ってこない。
見ているだけなのに。
まだ、二十歩も離れているのに。
顔が、蒼白だった。
血の気が、一滴もない。
目は開いている。開いているのに、何も映していない。
そして。
笑っていた。
「て、テメェ……!」
鮫島が、悲鳴のような声を上げた。
「な、なんだよ! お前、ただの飯屋だろ!」
彼は、震える手を自分の胸に当てた。
空中に、光る文字が浮かび上がる。
コード
【鮫島剛】
攻撃力:99999
防御力:99999
称号 :竜殺し
「み、見たかァ! 俺は——」
彼が、鮫島を見た。
それだけだった。
「ひっ」
数字が、意味を持たなかった。
この人の前では、鑑定も、称号も、等級も、何ひとつ機能しない。
わたしは、そのとき初めて理解した。
この三日間、わたしたちが必死で戦ってきた「数字の嘘」というものが。
この人にとっては、最初から存在しないのだと。
キメラが、動いた。
獅子の胴が沈み、山羊の首が空気を裂き、蛇の尾がしなった。
三つの頭が、同時に彼を狙った。
わたしは、見ていた。
見ていたのに。
何も、見えなかった。
音が、ひとつ。
低く、鈍い、紙が破れるような音。
それだけだった。
風が、通り抜けた。
土煙が晴れたとき、キメラは。
——そこに、無かった。
「……」
倒れていたのでもない。
砕けていたのでもない。
広場の石畳に、黒い体液が広い扇のかたちに散っていて。
それ以外は、何も。
自警団の誰かが、武器を取り落とした。
「あ、ああ、ああ……」
火原が、腰を抜かして後ずさっていた。
作業着の膝が、黒く濡れていた。
「ちが、違うんだ、俺は、頼まれて、俺は、ただ増やしただけで——」
彼が、火原のほうへ歩いた。
「マンミアさん!」
わたしは叫んだ。
「止めて、止めてください!」
マンミアさんは、動かなかった。
パイルバンカーを構えたまま、栗毛の馬体が、震えていた。
「……できません」
「え」
「足が、動かないんです」
彼女は、歯を食いしばっていた。
「わたしは、騎士団長でした。戦場も知っています。それでも」
「マンミアさん」
「あれは、戦いじゃない」
キャルル村長が、走ってきた。
「みんな下がって! 建物の陰へ!」
「村長! マスターを!」
「無理よ」
村長のウサギの耳が、真っ直ぐ倒れていた。
顔が、真っ青だった。
「わたしの脚でも届かない。届いても、意味がないの」
「そんな」
「あれは、止まらないのよ。誰にも」
火原の悲鳴が、途切れた。
見なかった。
見ないようにした。
でも、音は聞こえてしまった。
「……ひ、ひぃ、ひぃ」
鮫島が、地面を這っていた。
金メッキの時計が外れて、石畳に転がっていた。
「た、助け、助けて、俺は、下っ端で、上に、上にはスリーって人が——」
彼が、そちらを向いた。
「やめんさい!」
銃声が、しなかった。
リベラさんが、拳銃を構えていた。
両手で、まっすぐに。
震えていなかった。少なくとも、手は。
でも、撃たなかった。
「龍魔呂」
彼女の声が、震えていた。
「その男は、証人じゃ」
彼は、止まらなかった。
「聞こえとるじゃろ! そいつが吐けば、上が獲れる! 三千本の被害者が救われる! 隣町の子が——」
彼は、止まらなかった。
「……っ、龍魔呂!!」
リベラさんが、銃を下ろした。
そして、掠れた声で、こう言った。
「……三年前と、同じじゃ」
わたしは、彼女を見た。
「三年前?」
「……」
「リベラさん、三年前に何が」
「今は、いい」
彼女は、唇を噛んだ。
「今は、あれを止めることだけ考えて」
鮫島の声が、途切れた。
広場に、静寂が落ちた。
キメラが消えた。
火原がいない。
鮫島がいない。
なのに。
彼は、止まらなかった。
「……なあ、あれ」
自警団の若い隊員が、震える声で言った。
「終わったんだよな? もう、敵、いないよな?」
「……」
「なんで、まだ」
年老いた村人が、答えた。
「死を呼ぶ四番だ」
「え」
「昔、そう呼ばれてたんだ。北の戦線でな」
老人の声は、ほとんど囁きだった。
「一度あれが出ると、敵も味方も見境がなくなる。戦が終わっても止まらねぇ。……だから四番。四人目に殺されるのは、味方だって意味さ」
「そんな」
「三年前、あの人が村に流れてきたときな」
老人は、目を伏せた。
「雪の中で倒れてた。半分死んでた。……あれはな、逃げてきたんじゃねぇ」
「じゃあ」
「止まらなくなって、誰も殺すもんがいなくなって、そこで力尽きたんだ」
風が、吹いた。
彼が、ゆっくりと、顔を上げた。
赤黒い陽炎が、全身から立ち上っている。
空気が歪んで、色が変わって見える。
そして。
その顔が、広場の中央を向いた。
「————」
わたしの心臓が、止まった。
石畳の上に。
さっき転んだ、いちばん小さい子が。
まだ、そこにいた。
膝を抱えて、うずくまって。
泣いていた。
「……マス、ター」
彼は、そちらへ、一歩を踏み出した。
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