【08】 偉大なる先人たちの記録
爽香「それで、さっきの話。その選手は、またフライングをしてしまったんですね?」
千鶴「そう、『02』のフライングを。蒲郡へ4回斡旋されて、その内3回がフライング」
爽香「そのレーサー、蒲郡と相性が悪かったんですかねぇ? あたしじゃもう二度と行きたくなくなるな」
千鶴「ところがね、その選手、こう言ったの。『ボートは楽しい!』って」
爽香「えっ! なんで。その人すごい!!!」
千鶴「私もそう思うのよ。フライングだって、最初は『06』、次が 『04』、三度目が『02』。つまり、『02』ずつ減っているのよ。修正能力が高いと思わない?」
爽香「そうか。そう考えればいいんだ」
千鶴「『02』ずつ減ると次は、『00』(ゼロゼロ)のタッチスタートでしょう」
爽香「なるほど」
千鶴「彼女はもう体でタッチスタートの感覚を身につけたのよ」
爽香「で、その選手は、その後どうなったんですか?」
千鶴「それから蒲郡へ行くと、彼女必死にスタート練習をしたわ、何度も何度も。そしてその後は、蒲郡でのフライングは無し。この前の開催では、8回走って平均10のスタートだったの」
爽香「完全に克服していますね」
千鶴「そう。とにかく彼女は前向きで努力家。今や立派なA1選手よ」
車は、東名高速道路、浜名湖橋に差し掛かった。
爽香「うわーっ、きれい」
千鶴「浜名湖よ。いつか、あなたもここを走るのよ」
爽香「そうですね。頑張らなくちゃ」
千鶴「そう、その意気よ。さっきはフライングの多い選手の話をしたけれど、逆にフライングをほとんどしない選手もいるのよ」
爽香「どのぐらいフライングをしてないのですか?」
千鶴「そう、20年以上ね」
爽香「20年以上も?」
千鶴「走った回数で言うと、5782回」
爽香「えーっ、5782回も!」
千鶴「そこで引退したの。だから記録は、そこで終わり」
爽香「すごい!」
千鶴「徳島支部の選手だったけれど、私たち埼玉支部にもすごい選手がいたのよ」
爽香「どんな?」
千鶴「71歳で優勝という最年長優勝記録を打ち立てた人よ」
爽香「71歳で。」
千鶴「外のコースが大好きなレーサーだった」
爽香「じゃぁスタートが早くて、スタート事故も多かったんじゃないですか?」
千鶴「そう思うでしょう?」
爽香「はい。今日のあたしみたいに」
千鶴「ところが、ほとんどフライングをしなかったのよ」
爽香「ウソぉー」
千鶴「連続3千回以上フライング無しが1回。連続2千回以上フライング無しが2回」
爽香「信じられない!」
千鶴「それで、しかも強いのよ。勝とうとして瞬時に判断する力があるのね」
爽香「見習いたいわ」
千鶴「選手生活が57年間と長かったので、昔の詳しい記録はもう残ってないんだけれど、残存する記録では、通算勝率が6.54」
爽香「バケモノだわ」
千鶴「言い方は悪いけれど、それ以外の表現がないわよね」
爽香「優勝回数は?」
千鶴「120回」
爽香「平均すると、毎年2回。ウソでしょう」
千鶴「もう引退しちゃったけれど、今ではハンドルをテニスラケットに持ち替えて、近所の奥様方をテニスでやっつけに行っているらしいわよ」
爽香「やっぱり勝負師の血が流れているんですね」
千鶴「そのようね。私がね、こんな話をしたのは……、」
爽香「はい、」
千鶴「その選手は男性だったけれど、今度は女子レーサーとして、あなたに同じようになってもらいたいのよ」
爽香「えっ、あたしが? ムリ、ムリ、ムリ、ムリ、ムリ。無理が5回で御無理です」
拓也「ははははは」
千鶴「スタートは行かなくてもいいのよ」
爽香「えっ、そうなんですか」
千鶴「あなたがこれから94回フライングをしたいと言うのなら私は止めないわよ」
爽香「その話ですか?!」
千鶴「人それぞれ生き方があるし、レーサーが1,600人いれば、1,600通りの戦法があるわけだから、私はいっさい他人のことを否定も非難もしないし、これまでもしたことないわ」
爽香「はい」




