【05】 里見先輩と夜のドライブ
最終日が終わり辺りがすっかり真っ暗な中、爽香は大きなスーツケースを引きずりながら憔悴しきった姿で選手宿舎を出た。
宿舎の自動ドアを出ると宿舎の駐車場がある。
そこに停めてあった車の窓が開いた。
車の後部座席に居たのは、里見千鶴(さとみ・ちづる48歳)埼玉支部のA1級レーサーだった。
車の窓から女性の顔がにょきっと出てきた。
千鶴「速水さーん」
窓にある顔は笑顔だった。
爽香がその声に気づき車の方を見た。
女性は車から降りるとその場で爽香をこまねいた。
爽香(《同じ埼玉支部の》里見先輩だ!)
爽香は重いスーツケースを引きずりながら速足で千鶴に近寄って行った。
千鶴「速水さんはこれからどこか寄るの? もしまっすぐ帰るのなら一緒に埼玉までどう?」
千鶴の息子が車でレース場宿舎まで迎えに来ていた。
爽香「どこも寄るところはないです」
千鶴「じゃぁ、一緒に埼玉までドライブしません?」
爽香「いいんですか?」
千鶴「もちろんよ。長い道のり、話し相手も欲しかったし、何より同じ埼玉支部じゃない」
爽香「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて」
千鶴「良かった」
爽香「良かったのはあたしの方です。今もらった旅費も使わないで済むので家計に大助かりです」
千鶴は爽香のスーツケースを持ち、車のトランクへの方へ押していった。
爽香「先輩いいんです、あたしやります、やりますから」
千鶴「いいのよ、私の方が慣れているから」
車には鳥のエンブレムがついていた。
スポーツタイプでありながらトランク部分が広く使い勝手が良い。
しかも走りが良く、乗り心地も良いので千鶴はこの車を選んだのだ。
千鶴は手際よく爽香のスーツケースを車に積んだ。
千鶴「さぁ、乗って乗って」
千鶴と爽香が後部座席に座った。
ボートレース蒲郡はナイター開催である。
最終日が終わり、蒲郡から美浦市まで夜のドライブとなった。
◇
車中で。
千鶴「お疲れ様」
爽香「お疲れ様です」
仕事を終えた定番の挨拶をしてから、
爽香「初めてのフライングをしてしまいました」
千鶴「『初めてのフライング』かぁ。そう言えば、テレビの番組で『はじめてのおつかい』と言うのがあったわね」
爽香「あっ、それ知ってます。見たことあります」
千鶴「小さい子が、親からお使いを頼まれて買物に行くのよね」
爽香「そうそう」
千鶴「だけれど、いろんな困難に遭い、泣いてしまうのよ」
爽香「あたしも今回泣いてしまいました」
千鶴「でも、落ち込む必要はないわよ」
爽香「はい」
千鶴「落ち込んだって同じよ」
爽香「はい」
千鶴「どのくらいのフライングだったの?」
爽香「『03』です」
千鶴「たったゼロサン(03)のフライングぐらい、」
『03』とは、100分の3秒を意味していた。
爽香「はい」
千鶴「選手の中には、その10倍『100分の30以上』のフライングをした選手もいるのよ」
爽香「本当ですか?」
千鶴「本当よ。しかも複数いるわ」
爽香「そうなんですか」




