【四年生・三月】 第二十八話「盤根錯節(ばんこんさくせつ)と12倍の恐怖」
「週刊大衆」編集部から何の返信もないが、3月は特に忙しいというわけではないので、定時に帰宅できるのが嬉しい。
「かつ〜、帰ったぞ」とドアを開けると、「お帰りなさい」の声と同時に、「お父さん、困ったよ」と泣きそうな勝太郎の顔が見えた。
「男が『困った』なんていちいち声を上げるんじゃねえ! 男の一生は困ったことだらけだ。盤根錯節に逢ってこそ男子の本懐だ。とりあえず茶を淹れろ」
背中を向けて靴を脱いだが、正直、俺の顔色は変わっていた。勝太郎が「困った」なんて言うのを聞いたことがなかったからだ。
しかし、親が慌ててはいかん。
親たるもの、山のように不動であって初めて子供が安心するのだ。大丈夫だ。
万引きやカツアゲくらいだったら俺にも覚えがある。
いちいち露見したくらいで取り乱すなと、優しく言うつもりだった。
手と顔を洗い、茶を飲んでから「で、どうした」と聞くと、
「バレンタインデーのお返しをしないといけない日だったのに、なんにも用意してなかったから……」
何を言っているのかよくわからなかったが、「あのチョコレートを貰った日」と言われて思い出した。
「お返ししないと駄目なのか?」
「僕もそう聞いたんだけど……」
お返しを期待して送るプレゼントなど、不純も甚だしいと言わざるを得ない。
得ないが、貰ったら礼をするというのも世間の常識だ。
さおりちゃんが「誰でも忘れることはあるよ」と言ってくれたので、明日持っていけばいいという話になったそうだ。
「何をお返しすればいいのか考えているのか。俺はよくわからんぞ」
「アメかマシュマロでいいみたい。ベーカリー高田でマシュマロが520円で売っていたから、それでどうかな」
俺は財布から1000円札を取り出した。
「どうかなもなにも、お前が決めたんならそれで構わん。早く買ってこい」
俺は、小さなことにこだわらない親を演じた。
「……12人分だから、これじゃ足りないよ」
正直、血の気が引いた。
背中に嫌な汗がじわりと滲む。
「お前、12人から貰ったのか?」
「……うん」
「来年からもう貰うんじゃねえぞ。何考えてるんだ、最近の女生徒は!」
学校側が配布したものじゃなかったのか。
ひどい勘違いだ。
ああ、ひどい勘違いだ。
俺は泣く泣く財布のなかから1万円札を取り出したが、ふとある考えが頭をよぎったので、「二人で出かけるぞ」と言った。
勝太郎が「一人で行ってくるからお父さんは待ってて」と申し訳なさそうに言うので、疑念が確信に変化した。
大体、12人からチョコレートを貰うなんてあるわけがない。
きっと金が欲しくてそう言っているに違いない。
金が欲しいなら欲しいと言えば良いのに、どこでそんな小ずるい知恵をつけてきやがった。
「早く正直に真相を話せ。長引けば長引くほど辛くなるのに……」と思っているうちに、ベーカリー高田に着いた。
「おい、本当にいいのか。本当に必要なのか」
店に入ろうとした勝太郎に尋ねると、
「えっ、でも180円のマシュマロだと……」
確信が落胆に変化したが、「520円で構わん。安いものを渡すと安く見られるからな」と少々声を震わせながら店に入った。
ちなみに12個も買ったので、「何かサービスしてくれ」と軽く食い下がったら、一つおまけしてくれた。おまけのマシュマロを食べつつ、製菓業界の販促活動に関して批判的に考えている旨を勝太郎に聞かせながら帰った。
常に恬然としている俺をここまで動揺させるとは、勝太郎は実に親不孝な子供だ。




