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「はは、珍しいタイプの花嫁候補ですね!」
「うぅ、すみません……」
侯爵家の元に嫁ごうというのだ。本来であればこういう贅沢にも慣れなければならないのだろうが、どうやら鈴には向いていない。
そんな事を言って顔を隠そうと俯いた鈴を見て、さらに喜兵衛は笑った。そこへ雅がスキップでもしそうな上機嫌で戻ってくる。
「はぁ~百貨店はいいね! 楽しいね!」
「……姉さん、その荷物は一体……」
「いや~店員と意気投合しちゃってね! さっきの子に着せるって言ったらさ、奥からあれこれ持ってきてくれたんだよ。はい、これがあんたのね」
そう言って雅に大量の洋傘や帽子、反物などの荷物を渡された。そして雅もちゃっかり自分の物も買ってきたらしい。
「ブラウスどころの騒ぎじゃない量ですね、姉さん」
「ははは! まぁいいじゃないか。どうせ出資者は千尋だ。溜め込んでばっかであいつは使わないからな!」
「そ、それを勝手に使っても良いのでしょうか……」
「大丈夫。気にしなさんな。女を着飾るのは男の仕事だよ! さて、それじゃあ喜兵衛お待ちかねのミルクホールに行くとするか」
「待ってました!」
雅の言葉に喜兵衛はパッと顔を輝かせた。それを聞いて鈴は思わず首を傾げる。
「雅さん、ナイフはいいのですか? 今日はそれを書いに来たんですよね?」
「違うよ? あんたの服を買いに来たんだよ。飾り切りのナイフはそりゃあるにはあるけど、包丁でも十分だ。ああでも言わないとあんたは首を縦に振らなかったろ?」
「……」
まさかそんな罠が張ってあったとは知らずにホイホイついてきてしまった鈴は、雅の言葉につい唖然としてしまったけれど次第にじわじわと笑いが込み上げてくる。
「なに笑ってんのさ」
「いえ、何だか……雅さんは凄いですね。尊敬します」
「嫌味?」
「違います! 褒めてます! 私には無い豪胆さは羨ましいです」
どちらかと言うと内気な鈴は、雅のこの大胆さが羨ましい。
「まぁ、実際に姉さんは大雑把で豪胆ですよ。千尋さまがいつも頭を抱えていますから。でも今回の件は姉さんに賛成です。鈴さんはもっと自分に自信を持っていいと思います」
「そうだよ。ほら、顔隠しなさんな。街歩いてる人たち見てごらん? あんたは誰よりも洋装が似合ってる。それにそのうち容姿なんかで判断されない時代がきっとくるよ」
「……はい。ありがとうございます」
二人に慰められて鈴はようやく顔を上げた。冬の風が頬を撫で、ようやく季節をちゃんと感じた気がした。
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鈴は物静かで穏やかだ。これが千尋の鈴への見解である。今まで嫁いで来た者達の中にもこういうタイプの人間は居た。
彼女たちは皆、家の打算で神森家に売られてきたようなものだったが、鈴のようなタイプの人たちはとにかく大人しい為、千尋にとっては苦手な部類だった。
「でも、雅達からの評価は良いんですよね……」
家の女主になるからには使用人とも出来れば最低限仲良くはしてほしい。かといって家の事にズカズカ入り込んでくるような者も困る。
千尋はもう何度目かのため息を落として書類に目を通した。
「英語が堪能、家柄に不足無し、血も最良、性格は穏やかで温厚、家事も得意。これだけ揃うのもなかなか珍しいんですがね」
あと何か一つ足りない。それが何なのかが分からない。刑期が終わるまであと何度の結婚を繰り返せばいいのか。
千尋は机の引き出しを開けて中から手鏡を取り出した。
「この鏡も久しぶりですね」
これは都との唯一の連絡手段だ。最近、都の事を考える時間が少しずつ減ってきたような気がする。それは屋敷の中の雰囲気がいつになく過ごしやすくなったからなのだろう。
100年に一ヶ月だけ都に戻る事を許されている千尋だが、最近は少しだけ都に戻るのが憂鬱だ。
けれどそんな自分の気持ちが理解出来なくて困っている。
そんな事を一人手鏡を握りしめて悶々と考え込んでいると、玄関から上機嫌な雅と喜兵衛の声が聞こえてきた。
「おーい! 帰ったぞー」
「ただいま戻りましたー!」
その声に何故かホッとしつつ千尋は手鏡を引き出しに仕舞って席を立った。
玄関に行くと、そこには雅が一生懸命外に向かって声をかけていた。
「ここまで来て往生際の悪い! そんなに嫌なら挨拶無しにここを駆け抜ければいいじゃないか!」
「そ、そんな失礼な事は出来ません!」
「だったら腹括りな! 大丈夫だよ、ミルクホールでも注目の的だったろ?」
「そうですよ、鈴さん。斜め向かいに居た男なんて、ずーっとあなたを見てました!」
「ほらね、正直が取り柄の喜兵衛がこう言ってんだよ。早く出てきな!」
「賑やかですね。街は楽しかったですか?」
「ああ千尋、良い所に来た! ちょっとあんたからも何か言ってやってくれよ。鈴ってばあんたに見られるのが恥ずかしいって言ってちっとも動こうとしないんだ! あとはいこれ、お土産。皆で選んだんだよ」
そう言って雅は千尋の手に風呂敷を押し付けてくる。それを受け取りながら千尋は笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。けれど、それは困りましたね。花嫁候補の変身を私は見ることが出来ないのですか?」
玄関のドア越しにヒラヒラと風に靡いているのはスカートだろうか?
今までは着物ばかりだった衣装も今は随分と様変わりして、最近では女性でも洋装の人が増えてきたと言う。滅多に外に出ない千尋は女性の洋装などほとんど見たことが無い。
純粋な好奇心から千尋は玄関を下りて戸口の外を覗き込んだ。
するとそこには海外の絵本に出てきそうな可憐な少女が恥ずかしそうに佇んでいる。
雅がやたらと上機嫌なので大変身を遂げたのだろうとは思ってはいたが、顔を隠すための前髪を切り、サイズの合わない着物を着替えただけで随分と印象が違う。
「これは驚きました。見違えましたよ、鈴さん」
「ち、千尋さま!? も、申し訳ありません。龍神さまの前でこんなはしたない格好……」
「いえいえ、むしろ大変似合っています。さあ、外は寒いでしょう? そろそろ中へ入ってください。風邪を引いてしまいますよ」
「は、はい」
千尋の言葉に鈴がおずおずと家に入ってきて、すぐさま雅の後ろに隠れてしまう。そんな鈴に雅は呆れた様子でお小言を言うが、それでも雅はどこか嬉しそうだ。
「さて、それでは街での話を聞かせてくださいますか?」
「では自分はお茶とお菓子の用意をしてきます」
「あ、私も――」
「何言ってんだ。あんたが話さないでどうするんだい? 街、初めてだったんだろ?」
「はい。とても賑やかで華やかで、私なんて誰も見てなくて……少しだけ安心しました」
「なんだ、その感想。ほら、あたしは荷物置いてくるから先に千尋とリビングに行きな」
「行きましょう、鈴さん」
いつもなら千尋は移動する時には必ず女性に手を差し出すのだが、何だか今回ばかりは手を差し出すのを躊躇ってしまった。
珍しく手を差し出さなかった千尋に鈴が嫌な思いをしていないか心配したけれど、そんな心配とは裏腹に鈴の顔は明らかにホッとしている。
「鈴さんはあまり手を差し出されるのはお好きではないですか?」
思わず千尋が正直に問いかけると、鈴はハッとして千尋を見上げて言った。
「私が好きか嫌いかというよりも、相手に何か失礼をしてしまわないか不安です」
「なるほど。それでは鈴さんが私と手を繋ぎたいと思った時に自分から私の手を取るのを待ちましょうか」
そう言って千尋が意地悪に微笑んで見せると、鈴は目を見開いて千尋を凝視してきた。
「多分それは……一生無理かと……」
「一生ですか? それは残念ですね」
恥じるでもなく照れるでもなく青ざめた鈴を見て千尋は笑いを噛み殺した。
「ど、努力……してみます」
「ええ、是非ともそうしてください。さぁ、街でのお話を聞かせてください」
千尋は今度こそ手を差し出すと、いつものように鈴が指先だけをそっと重ねてくる。その指先を握って千尋は廊下をゆっくりと歩き出した。
「それでね、最初はこのワンピースだけだったんだけど、これ見た喜兵衛が――」
「姉さん! 自分はあくまでブラウスも良かったんじゃないですか? って言っただけで、その他のは姉さんの独断と偏見で勝手に買った物ですよ!」
「あんた言うじゃないか。だったらあの話をここでしてやるよ。千尋、こいつってばミルクホールでコーヒー頼んで――」
「わぁぁぁ! 姉さん! それは誰にも内緒だって言ったじゃないですか!」
「……」
「……」
千尋に言われて街であった事を話してくれと言われたが、鈴が口を挟む間もなく、さっきからずっと雅と喜兵衛がまるでマシンガンのように話し続けている。
流石に千尋もうんざりしてきたのか、チラリと鈴を見て苦笑いを浮かべた。
「この人たちは置いておいて、鈴さんは楽しかったですか?」
「はい。初めて見るものばかりで少し疲れてしまいましたが、賑やかで明るくて楽しかったです」
「そうですか、それは良かった。ところでミルクホールに行ったのですね。何か美味しい物を食べましたか?」
「シベリアを食べました。それからミルクコーヒーも」
「どちらも初めて聞く名です。ミルクコーヒーは想像できますが、シベリアとは?」
「シベリアはカステラに羊羹が挟んであるんです。最初は美味しいのかどうか半信半疑でしたが、実際に食べてみたらすごく合っていました」
「へぇ、美味しそうですね」
「美味しかったよ! 今度千尋にも買ってきてやるよ。本当はフルーツパーラーにも行きたかったけど、この二人が千尋の夕飯の支度があるってせっつくからさ。仕方なく帰ってきたんだよ」
「姉さんがいつまでも百貨店で買い物してるから時間が無くなったんですよ」
「あたしのせいだって言うのかい? あんただってミルクホールで豆菓子の作り方しつこく聞いて迷惑がられてたじゃないか!」
「あの豆菓子、絶対に普通のじゃ無かったんですよ! それがもう気になって気になって」
「豆は豆だよ。煮ても焼いても!」
「あれは多分、キャラメリゼをしてあったのではないでしょうか?」
何だかまた口喧嘩が始まりそうな雰囲気を察して鈴が口を開くと、雅と喜兵衛がキョトンとしてこちらを見てくる。
「なんだい? キャラメリゼって」
「お砂糖とお水を一つの鍋で煮て軽く焦がした所にナッツ類を入れてコーティングするお菓子です。多分、それを豆でしたんじゃないかなと思いました」
「それだ! だから甘かったんですね! あれは美味しかったです」




