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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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10

「コーヒーが思ってたよりも苦かったもんな?」

「も、もうその話はいいじゃないですか!」


 ワイワイ騒ぐ二人を見て鈴が思わず目を細めると、正面で千尋が複雑そうな顔をしている。


「どうかされましたか?」

「ああ、いえ、楽しかったのだな、と少しだけ羨ましかったんです」


 ぽつりと千尋はそんな事を言った。その声があまりにも切なくて鈴は思わず言っていた。


「日本のお菓子はあまり作れませんが、良ければ西洋のお菓子を作りましょうか? ミルクホールの真似がもしかしたら出来るかもしれません」

「あなたはお菓子まで作れるのですか?」

「はい、簡単な物であれば。幼い頃は母とよく作っていて、レシピもあるんです」


 鈴が大きくなったら好きな人に作ってあげてね、と母は鈴に簡単なお菓子のレシピをノートに書き残してくれた。それは本当に簡単なお菓子のレシピだったが、きっと千尋は食べた事が無いだろう。


「それは楽しみですね。私の容姿もあなたと同じように目立つので、洋菓子など外で食べる機会が本当に無いんですよ。本当は噂に聞くコーヒーも飲んでみたいんですけどね」

「コーヒーは危険ですよ! 千尋さま! あれは危険です!」

「そうなのですか?」

「はい! もうビックリするほど苦いんです! とてもではありませんが、砂糖を入れないと飲めません!」

「そんなにですか」

「そんなにです! 姉さんに至っては一口飲んで物凄い顔してました!」

「あんたは倒れそうになってたじゃないか! 平気だったのは鈴だけだよ」

「鈴さんは飲めたんですか?」

「あ、はい。子供の頃、父がよく飲んでいたので。ミルクコーヒーもだから、とても懐かしかったです」


 よく父親の真似をしてブラックコーヒーを飲んで母親に叱られていた。その度にミルクを注がれ、はちみつまで入れられたものだが、実を言うと鈴は大人になった気がするのでブラックの方が好きだった。それでも今回ミルクコーヒーを注文したのは、母の味がするかどうか試してみたかったからだ。残念ながら母の作るミルクコーヒーとは違ったが、それでも十分懐かしかった。


「そうですか。それは機会があれば私も是非飲んでみたいですね」


 千尋はまるで鈴が何を考えているのかが分かるかのように微笑む。


「はい、是非」


 まるで鈴を気遣うような千尋に鈴も小さく微笑んだ。

 

 怒涛のような一日が終わり、翌日から鈴の服装は雅が大量に購入した洋服になった。千尋の言う通り、サイズの合わない着物よりもサイズのあった洋服の方がまだ見苦しくないだろう。


「鈴、あんた今日は弥七の所行くんだろ?」

「雅さん、おはようございます。はい。今日は注文していた新種のお花が届くそうなんです」

「へぇ。弥七がわざわざあんたに教えたのかい?」

「はい。先日庭を散策していたら教えてくれました」


 この庭には見たことも無い花や木が沢山ある。佐伯家では食事の準備をする以外はほぼ蔵に居たので、こんなにも間近で花や木を愛でるのは初めてだ。


「あんた花が好きだねぇ」

「形がどれも綺麗なんです。何ていうか、花びらの一枚一枚が計算されつくした完璧な形をしているじゃないですか」

「う~ん……あたしは花なんて食べられないから好きでもないけど、そういや今までの娘たちも花が好きだったね」


 雅はそう言っておもむろに部屋を出ていこうとする。


「あ、雅さん、一緒に行かないんですか?」

「ちょいと用事を思い出したんだよ。あんたは楽しんできな」

「……はい」


 勝手に着いてきてくれるだろうと思い込んでいた自分が恥ずかしいやら寂しいやらで思わず俯くと、そんな鈴の頭を雅がポンポンと撫でてくる。


「用事が終わったら追いかけるよ。だからそんな顔しなさんな」

「はい」


 それを聞いて現金にもすぐに顔を上げた鈴を見て、雅が苦笑いを浮かべ猫の姿になり、部屋を出ていった。


 鈴は弥七へのお土産になけなしのお金で買った金平糖を持って庭に出ると、既に弥七は門の内側にある花壇の辺りで作業をしていた。


「弥七さん、おはようございます」

「ああ、来たか。届いたぞ」

 

 そう言って弥七は鈴に土のついた丸い何かを見せてくれた。


「これは?」

「チューリップの球根。春に咲く花なんだ。江戸時代に話だけは聞いてたんだが、なかなか手に入らなくてな。ようやく日本でも栽培が始まったって新潟の同胞から連絡が入って、無理言って取り寄せてもらったんだ」

「チューリップ!」 


 鈴が思わず声を上げると、弥七が驚いたようにこちらを見てきた。


「あんた、知ってるのか?」

「はい! あちらに居た時に」

「そうなのか。何やら面白い花の形らしいな」

「そうですね。鈴蘭の花の一つを大きくして逆さまにした感じの花ですよ。チューリップをここに植えるんですか? お手伝いしても?」

「構わないけどそのままじゃ服が汚れちまう。ちょっと待ってな」


 そう言って弥七は鈴の手のひらの上にチューリップの球根を置いてその場を立ち去ってしまった。


 鈴は足元にある箱の中に詰められたおが屑の中から見える球根をしばらく興味深く見ていたが、ハッとしてすぐに手に持っていた球根をおが屑に戻す。


「ごめんね、寒かったよね」

「? 誰と話してるんだ?」

 

 いつの間に戻ってきたのか、気がつけば後ろに作業用のエプロンを持った弥七が立っていた。


「えっと……チューリップの球根……に?」

「……へえ」

 

 明らかに呆れた顔をした弥七を見て鈴の頬が真っ赤に染まる。


「あの、別にいつも話しかけている訳ではありません。その、春に咲くので裸でいつまでも持っていたら寒いかな、と」

「いいんじゃないか? 植物だって生き物だ。大事にされればきちんと答えてくれる。現にあんたに渡す切り花はいつも長生きだろ?」

「はい。弥七さんに教えてもらった通り、毎日水を替えて風通しの良い所に置いて、たまに水の中で切り戻しもしてます」

「ああ。それだけで全然違う。長持ちするということは、ちゃんと毎日観察してるってことだ。ほら、これをつけておいた方がいい」


 そう言って弥七は珍しく微笑んで鈴にエプロンを貸してくれた。


 喜兵衛と違って弥七はどちらかと言うと無愛想だ。聞いた事には何でも答えてくれるが、あまり自分からは話しかけてはこない。


「ありがとうございます」

 

 鈴は受け取ったエプロンをつけて弥七の隣に座り込むと、球根を植え付ける際の注意点を真剣に聞く。


「――以上だ。何か質問はあるか?」

「いえ、今のところは大丈夫です。その都度聞いてもいいですか?」

「もちろん。それじゃああんたはあっちの花壇を頼む」

「はい」


 小さなカゴに球根を分けてもらって移動すると、言われた通り等間隔にスコップで穴を掘っていく。こういう単純作業は大好きだ。


 鈴が脇目も振らずひたすら穴を掘っていると、また後ろから声をかけられた。


「おや? 鈴さん?」

「千尋さま?」


 振り返るとそこには千尋が不思議そうにこちらを見下ろしている。


「こんな所で何をしているのです?」

「球根を植えるお手伝いをしていました。チューリップという花なんです」

 

 子供の頃に何度か見た大好きな花、チューリップ。それが追い出されなければここでも見る事が出来るかも知れない。そう思うだけで今からワクワクしてくる。思わず微笑んだ鈴を見て千尋も釣られたように微笑んだ。


「楽しそうですね」

「はい。こんな風に花を植える経験なんて無かったので、とても新鮮です」

「言われてみれば私も咲いた花を愛でるだけで自分で植えた事はありませんね。手伝ってもいいですか?」

「え? 千尋さまが、ですか?」

「ええ。いけませんか?」

「いえ、それはとても、何ていうかえっと……頼もしいです?」


 こういう時に何て言えばいいのか分からなくてチョイスした日本語に、千尋が珍しく吹き出した。


「すみません、私が庭師であれば頼もしいも間違いではないでしょうが、こういう時はそうですね、助かります、とかが無難でしょうか」

「なるほど……勉強になります」


 だいぶ日本語も板についてきたと思っていたが、咄嗟の時などはやはり言葉がスッと出てこない。思わずポケットからメモを取り出して今の状況を書きつけていると、さらに隣で千尋が笑った。


「ふふ、何も書き留めなくても。それに走り書きは英語なんですね」

「あ、はい。どうしても慣れている方で書いてしまいます。特に急いでいる時は」

「急いでいるのですか?」

「はい。球根が何だか寒そうで……」


 そう言ってメモを仕舞った鈴はそっとカゴに視線を落とした。おが屑から出て丸裸の球根を見ていると、思わず鈴まで震えてしまう。


「それはいけませんね。では素早く植えてあげましょう」

「はい! あ、千尋さま、どうぞこれをつけてください」

 

 鈴はつけていたエプロンを外そうとすると、千尋はそれを手で制して弥七の元へ向かった。


 弥七は突然現れた千尋に驚いたのか、頭を深々と下げて少し会話して自分のエプロンを渡している。それを受け取った千尋は弥七にお礼を言ってすぐさまこちらに戻ってきた。


「お待たせしました。さぁ、植えましょう」

「い、いいんですか? 弥七さんが泥だらけになってしまうのでは?」

「心配ありませんよ。弥七のあの服は元々ここで支給している作業着ですから」

「そうなんですか?」


 本当にそれでいいのか? と思いつつ何だか急にエプロンをつけているのが申し訳なくなってくる。そんな鈴の気持ちを読んだかのように千尋は言った。


「そんなに気にしないでください。あなたや私の服が汚れる方が、多分弥七にとっては困るでしょうから」

「……はい」


 とりあえず頷きはしたものの、何だかやっぱりしっくりこない。そんな鈴を見て千尋が苦笑いを浮かべて言った。


「後で弥七に何かお礼をしましょう」

「はい!」

 

 それを聞いてようやく鈴は頷いた。


 春になったらどんな色のチューリップが咲くのか今から楽しみだ。

 

 

「Are you going to Scarborough Fair? Parsley, sage, rosemary and thyme――」


 どれぐらい作業をしていたのか、鈴は相当夢中になっていたようで気づけば幼い頃によく歌っていた歌を口ずさみながら作業していた。


 自分でも気づかぬうちに歌っていた何てことない童謡だが、ふと気づくとそれまで同じように作業をしていた千尋がこちらを凝視している。


「これは驚いた……素晴らしい歌声ですね……」

「!」

「今のは故郷の歌ですか?」

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