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最近の雅はいつもこうだ。千尋と鈴をあまり近づけさせたくないのか、千尋と二人で字の練習をしていると必ずやってくる。
それが千尋の為なのかそれとも鈴の為なのかは分からないが、少なくとも鈴はいつも雅が割り込んできてくれてホッとしている。
「何もこんなにも離れなくてもいいでしょう? これでは何も教えられません」
雅に部屋の隅まで押された千尋は困ったように笑って雅に文句を言った。
けれど雅はそんな千尋を鼻で笑っていつもの調子で言い返す。
「あんた目いいだろ。そっから指示出しゃ鈴はすぐに出来るようになるよ。なぁ? 鈴」
「えっと、は、はい。多分」
大分遠いが、後ろに貼り付かれるよりは緊張しない。とりあえず頷いて見せた鈴に雅は満足げだが、千尋は不本意そうだ。
「まぁいいでしょう。それでは明日は硬筆の練習をしましょうか。毛筆と硬筆では力の入れ具合も何もかも変わってしまいます。何よりもこれからの時代はきっと、硬筆の方が使う機会が多いでしょう」
「分かりました。準備しておきます」
「ええ。何か質問はありませんか?」
千尋の言葉に鈴が質問を考えていると、鈴の後ろから猫の姿に戻った雅が口を開いた。
「あるよ。今度の日曜に鈴を連れて街まで行っても構わないかい?」
「それは文字の質問では無いでしょう? そもそも私は鈴さんに聞いているのですよ」
「そりゃ失礼したね。で、連れ出してもいいかい?」
「目立たなければ構いませんが、他の人との接触は出来る限り避けてくださいね」
「もちろんさ。ちょっと買い物に行くだけだからね」
「買い物? 鈴さんを連れて?」
「ああ。鈴は今、喜兵衛に飾り切りを習ってるんだ。それ用のナイフを買ってやろうと思ってさ。あと頼んでた物を取りに行ってくるよ」
得意げに雅が言うと、千尋はそれを聞いてポンと手を打った。
「ああ、なるほど。ではお願いします。では頼んでいた物とは別に鈴さんの反物をいくつか見てきてくれますか?」
「え!?」
この千尋の発言に鈴は驚いたが、雅は何故か何もかも察したかのように頷いている。
「寸法の合わない着物をいつまでも着ているのは流石に可哀想ですからね。お願いしますね」
「分かった。そんな訳だから鈴、日曜日は街に買い物に行くからね」
「は、はい、いえ、ですが私、手持ちがほとんど……」
「何言ってんのさ。ここをどこだと思ってる? 腐っても侯爵家だよ」
「腐っても、は余計ですよ。鈴さん、雅の言う通り金銭に関してはここにいる間は気にしないでください。今までの方もそうだったので」
「そ、そうですか……?」
まだ結婚すらしていないのに、むしろいつ追い出されるかも分からないのに鈴が着る物の代金を千尋に支払わせてしまってもいいのだろうか?
鈴が戸惑いながら曖昧に頷くと、そんな鈴を見て千尋が笑った。
「本当に遠慮はいりません。もちろん後で代金を請求したりもしませんし、もしもここを出る事になったらその時はどうぞお持ち帰りください」
「そうだよ。ここに来られて運が良かったぐらいに思っときな。それだけの仕事をあんたはしてる」
「は、はい……」
頷いてはみたものの、それは無理だ。仕事と言ったって針仕事や洗濯や掃除や喜兵衛の手伝いぐらいしかしていない。
内心ではそう思っている訳だが、何だか千尋と雅の圧力が強くて鈴はそれ以上何も言えなかった。
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その夜、千尋は書類をまとめるのを手伝ってもらおうと思い雅を探していた。
「雅? どこですか? ああ弥七、雅を見ませんでしたか?」
廊下で雅を探していると、丁度風呂から上がった弥七と出くわした。
「雅の姉御ですか? いや、見てませんね」
千尋の質問に弥七は首に巻いたタオルで汗を拭きながら言う。
「そうですか、ありがとうございます」
いくら呼んでも雅が出てこない。いつもなら呼べばどこからともなく姿を現すというのに、一体どこへ行ってしまったのか。
仕方なく自室に戻った千尋は本棚に近寄ると一冊の本を引き抜いた。すると、本棚がガチャリと音を立てる。
「ここに入るのも久しぶりですね」
本棚の裏は隠し部屋になっていて、龍の都でしていた仕事道具が一式置いてある。地上に降りてきてすぐの頃は都の事が気になって仕方なくてよくあちらと連絡を取り合って仕事をしたものだ。
淡白すぎると言われた過去の自分を思い出して千尋は大きなため息を落として視線を伏せたが、すぐに考えを改めた。
もうすぐまた100年が経つ。龍の都を追放された千尋は、100年に一度だけ龍の都に戻る事が許されているが、今はあちらの情勢がどうなっているかが心配でしょうがない。
最近ではその事ばかりを考えていて、余計に鈴との生活に興味が持てなかったのかもしれない。
「まぁーた仕事かい? あんたは本当に仕事が好きだね」
本棚の方から突然聞こえてきた声に千尋が驚いて振り返ると、そこには呆れたような顔をした猫が二本足で器用に立っている。
「雅。どこへ行っていたのです? 探したんですよ」
「そりゃ悪かったね。寝床が良すぎてうっかり寝過ごしたんだよ。で、次の里帰りは年末だっけ?」
「ええ、そうなんです」
「にしちゃあ、あんまり嬉しくなさそうだね」
「嬉しくない訳ではありませんよ。ただそうですね、少し不安ではありますね」
「不安?」
「ええ。私の居ない間に都がどうなっているかと思うと、色々心配ですよ」
「肝心の番はどうしたんだよ」
千尋には龍の都に番がいる。まだ婚姻を結んでは居ないが、幼馴染の初という娘だ。
「初ですか? まぁ元気にしているでしょうから彼女の事は何も心配していませんよ」
「あっそ。あんたさ、初にもそんななんだね。次戻ったら振られるんじゃないの?」
「それは初に運命の番が見つかると言う意味ですか?」
「そう」
「その時はその時です。そもそもいつまでも帰って来ない番を待つのはあまりにも不毛でしょう?」
千尋の言葉に雅は少しだけ目を丸くする。
「言いたかないけど、それは本当に番なのか? ちゃんと初の事好きなんだよな?」
「好きですよ。他の女性と比べれば、の話ですが。それに番には色々種類がありますから」
それで十分だろう? と言わんばかりの千尋を見て雅は訝しげな顔をして千尋を見てくる。
「なんか違うんだよな……で、あたしに用事って?」
「ああ、鈴さんの方はどうですか? 次の花嫁に相応しいと思いますか?」
何気なく千尋が言うと、雅はさっと猫の姿に変わって尻尾を揺らしながら言った。
「そんな事あたしに聞いてどうすんのさ。あたしが相応しいと言えば、あんたあの子を次の生贄にすんの?」
「生贄だなんて言い方は――」
「どう違う? 心は誰にも渡さずに何度も人と結婚を繰り返し続けたあんたにはあの子は過ぎた子だよ。それならあの子にはさっさと金持たせて追い出して、いつも通り家や私利私欲の為だけに嫁いできたような女を推薦するね」
「……それぐらい、彼女は良いということですか」
「そうだね。それは狐達もそう思ってるだろうね。あんただけがあの子に壁作ってるんだよ。あの子はあんたにちゃんと見せようとしてんのに。当主のあんたがそんなだからあの子はいつまでもあたし達にさえ気を使うんだ」
それだけ言って雅は部屋をさっさと出て行ってしまった。
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日曜日、鈴は雅と喜兵衛と共に街にやってきていた。
「雅さん、あれは何ですか?」
「あれはミルクホールだよ。丁度いい機会だ。後で寄ってみるかい?」
「い、いいんですか!?」
「……何でお前が喜ぶんだよ、喜兵衛」
「す、すみません」
呆れたような雅としょんぼりした喜兵衛の声に鈴は思わず笑ってしまう。そんな鈴を雅が見下ろして言った。
「でも最初はあんたの洋服だ。髪は昨日弥七に切ってもらって随分スッキリしたし、次は服だよ」
「ふ、服!?」
「ああ、そうさ! 千尋に頼まれてあんたの洋服を注文しておいたのさ! ま、千尋はまさかあたしが洋服を注文したとは思ってないだろうけど」
「そ、そんなのいただけません!」
「でももう注文しちまったんだ。あんたが着なきゃ誰が着るんだよ」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
腰に手を当てて笑う雅を見て鈴は思わず喜兵衛の後ろに隠れた。ついでに帽子を取り上げられないようにいつもよりも目深に被る。
「姉さん、いつになくやる気ですね」
「そりゃそうさ。せっかくの異国の顔立ちなんだ。見せないでどうする!」
「わ、私はあまりお見せしたくはないのですが……」
日本に来てからというもの、この容姿のせいで迫害されてきた鈴だ。張り切る雅とは裏腹に及び腰だ。
いつまでも喜兵衛の後ろに隠れていた鈴に業を煮やしたのか、雅が鈴の腕を引っ張ると、無理やり手を繋いでくる。
「さあ、これで逃げられないよ」
猫の時のように意地悪に歯を見せて笑った雅を見てとうとう鈴は諦めた。
それからの時間はまるで夢のようだった。とはいえその意味合いは感動したりした時に使うものとは少し違う。
場面転換が急であまりにも目まぐるしく、最終的にはカタログの端から端まで見せられ延々と鈴の次に注文する為の洋服選びをしていた。
「大丈夫ですか? 鈴さん」
「はい、何とか……久しぶりすぎて何だか恥ずかしいです」
そう言って鈴は自分の服装を見下ろしてみた。膝の下辺りで懐かしのスカートが揺れる。ワンピースを着たのは幼少期以来だ。
「とても似合っていますよ? まぁ、少し寒そうではありますが」
「ありがとうございます。タイツとコートがあるので大丈夫ですよ」
まさかこんな一式揃えてもらえているとは思わなくて鈴が自分の姿を見下ろしてゴクリと息を呑むと、そんな鈴を見て雅は笑った。
「やっぱり小さい頃に着てた経験があるってのはいいね! 服は着慣れないと服に着られちまう」
「あとお顔立ちにもやはりよく似合いますね。姉さん、やっぱりさっきのブラウスとやらも良かったのでは?」
「そうかい? それじゃああれも注文してこようか! ちょいと待ってな!」
「み、雅さん! 待ってください! もう十分ですから!」
喜兵衛の言葉を聞いてクルリと踵を返した雅を追おうとしたが、雅は既に見えなくなってしまった。さすが猫だ。
「こんな贅沢、許されるのでしょうか……」
顔を隠していた帽子も雅に取られてしまったので俯いたまま鈴が言うと、喜兵衛は驚いたような顔をして鈴を見てくる。
「鈴さんは嬉しくないのですか?」
「う、嬉しいですが、それと同時に申し訳無さで胸がいっぱいになります」




