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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「本当の私は、龍神などやるような器ではないのです。私はただの龍で、誰かを導く事も出来なければ、人々を守ることすら誰かを犠牲にしなければ上手く出来ない、ただの龍なんです。龍神さまと呼ばれる度に苦しくてその名前に押し潰されそうになる。私はだから早々に自我を殺しました。龍神らしく振る舞おうと思ったのです。以前の私であれば簡単でした。何せ地上の生物など龍に劣ると本気で考えていたのですから。ですが、地上で暮らすのが長くなるうちにそうは思えなくなってしまった。歴代の花嫁達の前に滅多に姿を表さなかったのは、共に生活をする事で人の心を理解してしまうと恐れたのです。元々他人に興味が薄い方でしたが、知ってしまうと無情になれなくなってしまう。けれど、それも長くは続きませんでした。時代が変わり、私は自分から花嫁を選ぶ立場になって初めて、沢山の人の心に触れてしまいました。あなたも言った通り、歴代の花嫁の事を思うと安易に花嫁を受け入れるべきではないと思うようになりましたが、人々が龍神の力に頼らなくなっても私の罰は続く。そんな時に現れたのがあなたでした。最初は今まで通り、あなたは可哀想な花嫁候補にすぎませんでした。ところが、あなたがここに来てからどこか鬱々としていた屋敷の雰囲気が急に明るくなり、過ごしやすくなった。食事を共にしたのもいけませんでしたね。鈴さんの好みや苦手な事、そういう事を知るうちに、あなたを次の犠牲者にするべきではないと考えるようになった。ところが、どうしても手放すことが出来ない。あなた以外の花嫁はいらないとさえ思ってしまう。本当に困ったのですよ。だって、私はあなたを失いたくないのです。かと言ってあなたをここから追い出す事も出来ないのですから。龍神が聞いて呆れるでしょう?」

 苦笑いをした千尋を見て、鈴は静かに首を振った。鈴は本当に寛大だ。こんな事を聞いても怒らないのだから。鈴の方が千尋よりも遥かに神に向いている。

「私、ずっと千尋さまに酷いことをしていましたね。国を守るお手伝いが出来るなら幸せだ、なんて、そんな事言ったら千尋さまは困るのに」

「そうですね……面と向かってそんな風に言ってきたのは鈴さんが初めてでしたから、戸惑いはしましたね。全てを話してもそんな事が言えるのかと驚きました」


 あの時が鈴をここから追い出す最後の機会だったのだ。それなのに、鈴は花嫁になる事を望んだ。


「……ごめんなさい」

「いいえ、責めている訳ではないのですよ。ただ、驚いたのです。あの時のあなたの心に一つも偽りが無かった事に。何よりもあなたは私に幸せになって欲しいと言ってくれた。あの時に気付いたのですよ。あなたは私を龍神ではなく千尋として見てくれているのだと。鈴さん、あなたは私に龍神の役目を押し付けてしまったと感じているのかもしれませんが、あなたはちゃんと気付いていますよ? 龍神というのはただの役職であるということを」

「役職?」

「ええ。あなたは私を龍神という仕事をしている千尋という龍だと思ってくれています。だからあの時も……」


 千尋はそう言って視線を伏せた。


 鈴が毒を飲んで死にかけてもなお千尋の幸せを願った事を、千尋は永遠に忘れない。


「都に居ても高官という役職を私に望む人たちばかりでした。地上に下りても私は龍神という役目を皆に望まれていました。ただ一人、あなたを除いては」

「そんな事……」

「ありますよ。あなたはたまに生意気を言いましたと言いますが、生意気なんかではありません。あなたの言葉がいつだって私をただの龍に戻してくれるのです。私をただの千尋として扱ってくれるのです。些細な事だとあなたは思うかもしれません。ですが、私にとってはそれこそが欲しかった物なのです。私をただの千尋として扱ってくれる。それは都に居たら決して叶わなかった事です」


 そう言って千尋は鈴を抱きしめた。優しく、真綿でくるむようにそっと。そんな千尋の胸に鈴が寄りかかってくる。


「実を言うと、私もお伝えしたかったんです。お昼に千尋さまは、龍神の花嫁ではなく、千尋の花嫁だと言ってくれたでしょう?」

「ええ」

「あれが……とても嬉しかったのです。私は千尋さまのように上手く言葉を組み立てられないので、どう伝えれば良いのか分からなくてずっと考えていてこんな時間になってしまいましたが、口にしたらとても簡単な事でした。私はいつの間にか龍神様にではなく、あなたに嫁ぎたかったんだって。虫の良い話だと思いますか?」


 そう言って千尋の胸で自嘲気味に笑う鈴の体を千尋は引き剥がした。


「本当に? 本当に嬉しかったのですか? でも、あなたは龍神の手伝いが出来る事が嬉しいって今も思っていますよね?」


 鈴の血がそう語っている。鈴の言葉のどこにも嘘はない。


 けれど、今言った事も本当のことだ。


 そんな千尋に鈴はコクリと頷いた。


「それはそうです。ですが、それは早く死にたいと言っている訳ではありません。私だって千尋さまと同じです。ずっと千尋さまの側に出来るなら居たいですから。それに私以外の人が千尋さまの花嫁になるのも……嫌です。私は、本当はとても我が儘なんです。怖がりだし泣き虫だし、千尋さまが思うほど出来た人間ではありません」

「我が儘だなんて……思いませんよ、そんな事。だってそれは……それは……」


 そこまで言って千尋は言葉を詰まらせた。どう表現すれば良いのか分からない。随分長く生きてきたと言うのに、心を表す言葉が一つも見つからない。


 言葉が見当たらないまま、千尋は鈴の癖のある髪をそっと指で梳きながら静かに言う。


「何度も言いますが、私は鈴さんを逝かせたりしません。実を言うと先ほど髪を縛っていたのは、調べ物をしていたからなのですよ」

「調べ物?」


 突然の千尋の言葉に鈴はキョトンとして見上げてくる。


「ええ。どうすれば少しでも長くあなたを留める事が出来るのだろうか、と」


 そう言って立ち上がった千尋は机まで移動して手招きすると、さっきまで開いていたノートを見せた。それは、今まで千尋の力を持って生まれた人たちの家系図だ。


「何か分かったんですか?」

「ええ。この150年もの年月が教えてくれました。私の力はそこそこ長い期間持続し、遺伝するという事を」


 龍は自分の力がどこで発揮されているかを知ることが出来る。それをまとめたノートを覗き込んで鈴が尋ねてきた。


「……これが……解決出来る鍵なのですか?」


 目を輝かせた鈴を見て千尋は鈴の頭を撫でながら首を振る。


「言い切ることは出来ませんが、歴代の花嫁達が早逝したのは私の力を体内に取り込みすぎたからです。ですが持続力があり、さらに遺伝するのであれば今までのように毎月あなたに力を流し込まなくとも良いのではないかと思ったのです」

「だ、大丈夫なのですか? そんな事をして」

「分かりません。なので、最初の半年は三ヶ月に一度あなたに力を使います。ですが、それ以降は半年に一度、力を注ごうと思うのです」

「そ、それは極端に龍神さまの力を宿す子が減ってしまうのでは!?」

「数は減るでしょうね。ですが、その代わりに力の強い子が生まれる可能性が高いです。そしてそういう子達の力が遺伝して自然と増えるのではないかと考えたのです。私が地上で力を完全に回復するには長い時間がかかります。一月に一度では到底回復出来ません。それが原因で力の強い子と弱い子が生まれたのではないだろうかと思ったのですよ」


 というよりも完全に回復しないまま力を使うとムラがある。が、正しい。


 千尋の言葉に鈴は納得したように頷いた。


「つまり、今までの数を打てば当たる作戦から、必ず当たる作戦に切り替えるという事ですか?」

 

 真顔でそんな事を言う鈴に千尋は思わず吹き出しそうになったが、どうにか堪えて頷いた。


「そういう事です。数が多くても結局力が分散してしまうので。それならば最初から元々そういう力の強い家系の方たちの所へ私の力をお届けした方が効率が良いでしょう?」

「それはそうですね! 流石千尋さまです!」

「いえ、これは鈴さんが教えてくれたのですよ」

「私が?」

「ええ。一月に一度龍の力を使う。それが今までの龍神の常識でした。ところが古いしきたりや風習を壊すのを嫌う龍の屋敷に、あなたが新しい物を沢山運んできてくれました。そんなあなたを見ていて思いついたのです。だから、あなたのおかげなのですよ」

「私は何も……それに良く考えたら、千尋さまはいつか都に帰られるんですもんね。だったら長く力が続く方が良いですよね……」

「そうなのです。いつ都への帰還命令が出ても良いように今から出来る事をしておくべきです。私はもう昔ほど人々の生活に力を貸したりはしていませんが、何も無いよりはあった方が良いでしょうから」

「それはもちろんそうです! また……千尋さまにお役目を押し付けてしまいますが……」


 そう言ってしょんぼりと俯く鈴の頭を撫でて千尋は笑った。何だかようやくちゃんと笑えたような気がする。


「そんな顔をしないでください。そもそもこれは私自身が選んだ罰ですし、そろそろ自分の仕事をしなければ。何よりも鈴さんがこの国を守る手助けをしたいという夢も叶えないといけませんからね」

「ありがとうございます……本当に……ありがとうございます。私は千尋さまと反対なのです。誰かに必要とされたかった。何か一つで良いから胸を張れるような人になりたかったのです。でも、どうすれば良いのか分からなくて……千尋さまの魅力的な提案に何も考えずに乗ったのです」

「魅力的な提案?」

「はい。国を守るための手助けをしてほしいと言われて、私は手っ取り早く自信に繋がるのではないか、とちょこざいな事を考えてしまったのです」

「……ちょこざい……久しぶりに聞きましたね。あなた今、何を読んでいるのですか?」

「え? 喜兵衛さんに借りた時代物の小説です」

「ああ、なるほど。ふふ、鈴さんの口からちょこざいだなんて単語が出てくるとは思いませんでした!」

「千尋さま! 私をからかっている場合ではないのです。真面目な話をしているのです!」

「ええ、もちろん分かっていますよ。ですが、私はあなたが何も出来ない人だなんて思っていませんから。その能力は私に嫁がなくてもいつか開花していたと思いますよ」

「え?」

「あなたの才能は不遇な環境のせいで抑え込まれていましたが、そこから出ればきっと開花していました。あなたに足りなかった物は闘争心です。あなたは穏やかでとても優しいですから」


 久子と蘭に良いように扱われても決して歯向かわなかった鈴だ。それどころか、蘭の事を未だに信じている。流石に久子の事は怖がっているようだが。


 千尋の言葉に鈴はシュンと項垂れた。


「それは雅さんにも言われました……あんたには闘争心は無いのかい? って」

「雅に? まぁ彼女は闘争心が猫の皮を被っているような人ですからね。でも雅の言う通り、あなたの芯はとても強いのですから、もう少し自信を持っても良いと思います」


 そんな事を言った千尋を見て、鈴は握りこぶしを作って言う。


「私、闘争心あります! というよりも、最近気づいたのですが」

「おや、そうなのですか?」

「はい。もしかしたら蘭ちゃんが千尋さまの所に嫁いで来る事になるかもしれないと気付いた時、嫌だって思ったんです……学も何も無いのに、勝てる訳もないのに負けたくなかった……千尋さまを譲りたくなかったんです……だから、少しだけ蘭ちゃんのお手紙に嘘を書いてしまいました」

「嘘?」

「はい。千尋さまはとても優しいけれど、たまに子どものような我が儘を言いますって……ごめんなさい」


 それを聞いて千尋は一瞬キョトンとして吹き出した。そんな千尋を鈴が怪訝な顔をして見上げてくる。


「す、すみません。ですが鈴さん、それは逆効果ではないでしょうか?」

「え!? そ、そうなのですか?」

「あくまでも私は、ですが、もしも鈴さんがたまに子どものような我が儘を言ってきたら、それは可愛いと思ってしまいますね。まぁ今は男は頼りがいがある物だという風潮なので蘭さんがどう感じたかは分かりませんが、たまに子どものように甘えてくれるのは嬉しくないですか?」

「確かに! 千尋さまが和食の朝食を作り始めているのに洋食じゃないのかってしょんぼりしているのは可愛いです!」


 目を輝かせてそんな事を言う鈴を見て千尋は反省した。いつも作り始める前に言えと喜兵衛に言われているから出来るだけ態度に出していないつもりだったが、どうやらしっかりと出ていたようだ。


「えっと、そういう訳なのでそれは多分、逆効果でしたね」

「ど、どうしましょう……? それで蘭ちゃんの恋の炎が燃え盛ってしまったら……」

「恋の炎……ふふ、やっぱりあなたの選ぶ日本語は面白い」

「千尋さま! 私は真剣に!」

「ちゃんと真面目に聞いていますよ。でもね、鈴さん。蘭さんの恋の炎がいくら燃えて焼け焦げても、肝心の私はあなたを既に選んでいるのですよ。だから何もそんな事は書かなくても良いし、蘭さんがあなたの代わりに嫁いでくるかもしれない、などと考えなくて良いんですよ」


 千尋の言葉に鈴はあからさまにホッと胸を撫で下ろした。そんな鈴の手を引いて千尋はソファに戻ると、鈴を膝の上に抱え上げて抱きつく。


「ち、千尋さま!?」

「いけませんか? 私は今、無性に嬉しいのです。何せ鈴さんが初めて妬いてくれたのですから」

「妬く?」

「ええ。蘭さんに私を取られたくないと感じたのでしょう? それを妬くと言うのですよ。それは、好意が無い相手には絶対に起こらない感情です」

「そうなのですか。では私は知らないうちにまた一つ成長していたのですね」

「はい。それはもう、物凄い速さで。でも私も同じです。あなたと出会い、あなたを知って色んな感情を知りました。誰かに会いたくて触れたくて、側に居てほしいだなんて、随分長く生きてきましたが初めて知りましたよ」


 千尋がおかしそうに笑って鈴を抱きしめると、鈴はくすぐったそうに笑った。そんな鈴に言う。


「鈴さん、今更ですが、どうか私と結婚してもらえませんか?」

「え……?」


 突然の千尋の言葉に鈴は一瞬目を丸くして、次の瞬間には真っ赤になった。そんな鈴に千尋は思わず目を細める。


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