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諸事情によりこちらの作品の更新は本日を持ちまして終了とせていただきます。
作品自体は完結済みでエブリスタ様とネオページさまで掲載していますので、もし続きが気になるという読者さまがいらっしゃいましたら、そちらで続きを読んでいただければ幸いです。
大変ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
「そう言えばちゃんと言って無かったなと思いまして。後から思い出した時、何の言葉も無いのは寂しいじゃないですか」
龍神ではなくて、ただの千尋として伝えておきたかった。鈴が嫁いでくるのは千尋になのだから。
本当は今すぐにでも龍の婚姻関係になって、いずれ都に連れて帰り悠久の時を共に生きて欲しいと言いたいが、きっとまだ鈴はそこまでは受け入れてはくれないだろう。だから今はまだこれでいい。
「あ……ごめんなさい、びっくりして……その、えっと、こういう時は何て言うんだっけ……そう、ふつつか者ですが、末永くよろしくお願いします」
そう言って鈴は耳まで真っ赤にして恥ずかしそうに微笑んで涙をこぼす。
「へへ、嬉しくても涙って出るんですね」
「っ……もう、あなたは!」
どうしてそんなにも可愛いのだ! そんな言葉を飲み込んで千尋は鈴を抱え込んだ。小さな鈴は、千尋が抱きしめるとすっぽりと隠れてしまう。
まるで鳥かごに閉じ込めるように鈴を抱きしめると、千尋は思わず漏れそうになる思いを必死に押し殺した。
♥
鈴は千尋の腕の中で嬉しさのあまり込み上げてくる涙に驚いていた。
今まで悲しくて辛くて泣いた事は幾度もあったけれど、嬉しくて泣いてしまった事などない。
今までずっと受け身だった鈴は、今日初めて色んな事を自分から千尋に伝えた。千尋は長く生きていてとても優しいので、支離滅裂な鈴の話も最後までちゃんと聞いてくれた。些細な事だけれど、それが言葉にならない程嬉しかったのだ。おまけにプロポーズの言葉まで貰えるだなんて、夢にも思っていなかった。
鈴は千尋に抱きしめられたまま、じっと千尋の鼓動を聞いていた。規則正しいその音は、他のどんな音よりも安心する。
「……さん……鈴さん?」
微かに聞こえた千尋の笑いを含んだ声はとても優しい。だからだろうか。鈴は自分が既に夢の淵に立っている事にすら気づかなかったのは。
翌朝、ぼんやりと目を開けると、目の前に見慣れない着物の柄が目に入った。驚いてパチリと目を開けて寝台から降りようとしたが、何かががっちりと鈴を固定していて動けない。その正体は他の誰でもない千尋の腕だ。
以前も蔵でこんな風に抱きしめられて眠った事があったが、あの時とは比べ物にはならないぐらい密着度が高くて、鈴は思わず息を呑んだ。
そんな鈴に気付いたのか、目の前の千尋がゆっくりと目を開ける。
「おはようございます、鈴さん」
「お、おはよう……ございます、千尋さま……わ、私、何故ここに……居るのでしょう?」
「覚えていませんか? あなた、あのまま眠ってしまったんですよ」
「え!? あ、あのまま!?」
言われてみればそうだ。鈴の記憶はプロポーズをされて嬉しすぎて泣いてしまい、千尋の心音を聞いていた所から記憶が無い。
「ええ、あのまま。本当は部屋まで運ぼうとも思ったのですが、時間も時間でしたし、廊下で誰かにばったり会ったりしたら大変だなと思って」
「お、仰る通りです……一度ならず二度までも! 本当にごめんなさい」
千尋の前で無防備に眠りに落ちたのはこれで三度目だ。そしてそのまま千尋と共に眠ったのはこれで二度目である。申し訳なさすぎて千尋の顔が見られない。
「どうして謝るのですか? これは完全に私の役得という奴です。鈴さんは暖かいですね」
「ち、千尋さまはひんやりしていて気持ち良いです……そうではなくて、また睡眠の邪魔をしませんでしたか? 歯ぎしりとかイビキとか」
「ははは、何の心配をしているのかと思ったら。とても健やかに眠っていましたよ。静かすぎて時々心配になったぐらいです」
「そ、そうですか」
それを聞いてホッと息をつくと、千尋はにっこり微笑んで言う。
「それはそれとして、もう少し眠りませんか? 私、寝たのはついさっきで――」
そこまで言って千尋は小さな欠伸をして鈴の頭を撫でると、そのまま目をゆっくりと閉じてしまった。
そんな千尋をしばらく唖然として見ていたが、不意に昨夜の会話が蘇る。
たまに子どものようになってしまう千尋はやっぱり可愛い。
鈴はしばらくそんな千尋の寝顔を見つめていたが、時計を見て慌てて部屋へ戻って着替え、炊事場に向かうと既に雅と喜兵衛が朝食の準備をすっかり終えていた。
「すみません! 寝坊をしてしまいました!」
調理台の上を見て頭を下げた鈴に、雅と喜兵衛はまるで何でも無いかのように笑う。
「たまにはいいさ。あの後どうせなかなか寝付けなかったんだろ?」
「……はい。ずっとモヤモヤして、結局深夜に千尋さまにご迷惑をおかけしてしまいました」
「ん? どういう事だい?」
「はい、実は――」
素直に昨夜あった事を告げると、雅は愕然として喜兵衛は青ざめる。
「あ、あんた! どうしてそんなに危機感が無いんだ! あいつはあんなナリでも男なんだよ!? ましてや求婚されてそれを受け入れただと!? 挙句の果てにまた一緒に寝落ちた!?」
「え? はい……え?」
「……ん? 何も無かった……のか?」
首を傾げた鈴を見て雅が怪訝な顔をして覗き込んできたので頷くと、その途端に雅が意地悪く笑い、喜兵衛がホッと胸を撫で下ろす。
「なるほど。ふぅん、あいつ本命にも手を出せないのかぁ」
「姉さん、悪い顔してますよ」
「いやだって、あの千尋だよ? 両思いになった途端に手を出すと思ってたんだけど、案外奥手なんだなって思わないか?」
「それは……はい。意外でしたね……」
「あのぉ、一体何のお話をされているのでしょう?」
二人の会話の意味がほとんど分からなくて鈴が問いかけると、雅と喜兵衛は二人して鈴に詰め寄ってきて早口で言う。
「あんたはそのままで居るんだよ!」
「鈴さんはずっとそのままで居てくださいね!」
「は、はい!」
「まぁ、とりあえず雨降って地固まるって奴だね。おめでとう」
「色々複雑ですが……おめでとうございます、鈴さん」
「あ、ありがとうございます!」
そう言って涙ぐむと、雅と喜兵衛は困ったように微笑んで鈴を慰めてくれる。
誰かにおめでとうと言ってもらえる事が、こんなにも嬉しいとは思ってもいなかった。
それから鈴はせめて配膳は手伝うと言って朝食を雅と共に食堂に運びこんだ。
すると、先ほどまで寝ていたはずの千尋が今はもういつも通りの美しさで食堂に居る。
不思議な話だが昨夜の事があってから千尋がいつもよりも素敵に見えて仕方が無くて、鈴は思わず顔を伏せた。
「鈴さん? どうかされましたか?」
「え? あ……すみません。何だか今日、千尋さまがいつも以上に格好良く見えてしまって……」
「……そ、そうでしたか。大丈夫です。私もあなたがいつも以上に可愛く見えるので。さあ、あなたも席についてください」
「は、はい」
千尋を直視出来ないまま鈴が席についてチラリと千尋を盗み見ると、千尋もこちらを見ていてばっちり目があってしまう。
「ひゃぁ!」
「っ!」
向かいの席から千尋が息を呑むのが聞こえてきて、鈴はますます俯いた。
「なぁ、あんたら本当に昨夜何も無かったんだよな?」
呆れたような雅の声に鈴がコクリと頷くと、居た堪れなくなったのか次いで楽がポツリと言う。
「どうしよう……何か俺まで恥ずかしい……」
「ご、ごめんなさい! もう大丈夫です!」
「いや、顔真っ赤だって。姉さん、俺ここで食事しないと駄目?」
顔を上げた鈴を見て楽まで何故か頬を赤くして涙目で雅にそんな事を訴えかけると、雅は楽の頭を撫でて言う。
「いや、こんな所で飯なんか食ったって味しないだろうからね。あんたは今日からあたし達と食べるかい?」
「うん!」
「素直だねぇ。そんな訳で喜兵衛、楽の食事はあたし達の所に運んでやってくれ。で、あんた達はもう一生そうやって歯が浮きそうな話してりゃいいよ」
「おや、とうとう許してくれるのですか?」
「ああ。どうやらうちの龍神さまは随分と奥手なようだからね。いくらでも戯けるといいさ」
雅は何故かそう言って鼻で笑うと、楽と喜兵衛と共に食堂を出て行ってしまう。そんな雅の背中を、千尋が珍しく苦虫を潰したような顔をして見ていた。
「楽さんに申し訳ない事をしてしまいました……すみません。どうしても抑えきれなくて……」
「いいえ、鈴さんのせいではありませんよ。それに、遅かれ早かれ楽は自らあちらの食堂に行っていたのではないでしょうか」
「そうですか?」
「ええ。あなたが楽と正面から喧嘩をしてくれたでしょう? あの時に楽はどうやらようやく本来の自分というものを取り戻したようです。楽は幼い頃から私の事を私の周りの人達からしか聞いていませんでした。ですが、昨夜も言ったようにそれは私であって私ではありません。こうして地上に降りてきて、ようやく私の本心を知り、そしてあなたという人間に触れた。きっと彼はもう大丈夫です。それに何だか雅に懐いていますしね」
「それはそうかもです! 雅さんは不思議な方です! 彼女の事を嫌う人なんてこの世に存在しないと思います! 何よりも猫の時は本当に可愛いですし」
雅の話が出て思わず前のめりになった鈴を見て、千尋は少しだけ笑顔を消した。
「どうやら私の一番の敵は雅のようです」
「敵なのですか? 雅さんはいつも私の事を応援してくれますよ?」
「鈴さんにはね。ですが私には厳しいですからね、雅は。何よりも私はあなたがそんなにも心を許す雅が羨ましいです」
真っ直ぐにこちらを見て言う千尋に鈴は少しだけ考えて言った。
「そんな事はありません。私は千尋さまにも心を許しています。でなければ流石の私も三度も無防備に千尋さまの前で眠ったりしません」
こんな事を菫にでも聞かれたら、きっと大激怒されると思うような事を、鈴はちょくちょくしでかす。
けれど、はしたないと言われても本心では千尋と手を繋いだり、抱きしめられるのが嬉しかったりするのだ。
困ったように笑った鈴を見て千尋はようやくいつものように笑ってくれた。
「言われてみればそうですね。流石の鈴さんも他の男の前であんな無防備に眠ったりはしませんよね?」
「それはもちろんです! 大晦日もちゃんと自分で部屋に戻りました!」
胸を張った鈴を見て千尋は笑って頷いて言う。
「それは何よりでした。さて、冷めてしまう前に食べましょう」
「はい! いただきます」
「いただきます」
最近の千尋は鈴に合わせて食前と食後の挨拶をしてくれるようになった。些細な事だけれど、こんな事が嬉しい。これが恋というものなのだろうか。
何だかフワフワした気持ちで鈴は喜兵衛と雅の作った朝食をしっかりと味わった。
♠
初めての喧嘩から二週間。とうとう婚姻の日取りが決まった。
千尋はこの日を決めるために雅と一週間ほど毎日、時間が許す限り吉兆を占い、とうとう最善の日を見つけた。
「はぁ……とうとう結婚式か」
「なんです? そのため息は」
この期に及んでまだ反対しているのかと思い雅を見ると、雅は千尋の予想に反して猫のまま器用にニヤニヤしている。
「いやさ、今までの結婚ってただの義務というか、仕事の一貫みたいな所があったじゃないか。でも今回は違うんだよなって思ってさ。それからあんたの計画も良いんじゃないか? どうして今まで気づかなかったんだよ?」
「気づかなかったというか、考えもしなかったのです。もちろん力を弱めてみたり逆に血を濁らせれば良いのかと考えたりしましたが、根本を変えようとまでは思わなかったんですよ。それが龍神の務めだと思い込んでいたと言いますか」
「なるほど。鈴を嫁にするって事でやっと本気で考えたって訳か。楽にしてもあんたにしても龍ってのは案外、堅物が多いんだね。融通が利かないというかさ」
「それはそうですね。私なんてまだ融通が利く方ですよ。他の高官達はもっとガチガチです。あ、流星は別ですが」
言いながらクッキーがすこぶる美味しかったとわざわざ鏡を使って連絡をしてきた流星を思い出して、千尋は思わず笑みを浮かべた。
そんな千尋を見て雅が怪訝な顔をする。
「なに笑ってんだい? 気味悪いな」
「いえね、流星が鈴さんのクッキーを食べてわざわざ連絡をしてきたのですよ。ですから私は鈴さんの作るお菓子を色々と教えて差し上げたんですけどね?」
それを聞いていた流星の顔は、今思い出しても笑える。
「あんたは本当に性格が悪いね。食べさせてやる気もないのにそんな事して」
「そんな事はありません。もちろん食べさせてあげますよ? 一度だけですけど」
「……ほら、やっぱり性格悪いじゃないか。それで恒例のお披露目会はどうすんだい? 今回もやるのかい?」
「そうですねぇ。一応各所に今期の結婚の旨はお伝えしましたが、どこも乗り気ですね。何せ150年ぶりですから」
過去の婚姻の儀の後には花嫁のお披露目会という、千尋にとっては面倒な行事があったのだが今期は、はっきり言っていつも以上に気が進まない千尋だ。
「嫌そうな顔だね。そんなにも鈴を見せるのが嫌かい?」
「そうですね。鈴さんの外見で判断されなければ良いのですが。私が心配なのは、鈴さんが心を痛めるような事が起こらないかどうかです。それ以外の事は些細な事ですから」
千尋の言葉に雅は器用に腕を組んで頷いた。
「それはそうだね。未だに自分の所の娘たちを押し付けようとしてくる連中も居るし、あいつら神森家の事を政治的に利用しようとでも思ってるんじゃないか?」
「まぁ昔とは違って皆さん半信半疑なのでしょう。何せ龍の姿を見たことが無いのです。それなのに私が龍神ですと言われて、一体誰が信じるというのです?」
「確かに。パッと見ただの優男だもんね、あんた」
「鈴さんだけはそんな優男でも格好いいと言ってくれますから」
「はいはい。何回も聞いたよ。良かった良かった。格好いい格好いい」
「……もしかして馬鹿にしてます?」
「まぁね。そんな事はどうでもいいんだよ。それよりもお披露目会だ。鈴にはまだ言ってないんだろ? あと、勇達は招待すんのか?」
「ええ。まだ決定した訳ではないので。ですが、この様子だとお伝えした方が良さそうです。それから勇さん達にも、もちろんお伝えしますし招待状を出すつもりです。その方が鈴さんも安心でしょうし」




