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「私、たとえ今まで千尋さまが歴代の花嫁を犠牲にしてきたとしても、やっぱり最低だとは思えません」
「うん。良いんじゃないか? あんたがどう思うかはあんたの自由だ」
「いいんですか? それで」
「当たり前だろ? 千尋はね、あんたと一緒なんだよ」
「私と一緒?」
「そう。あんたと一緒で自分から誰かを愛するという事を知らなかった。それに気付いて戸惑ってるんだろうさ。だからこれからもきっとあいつは間違え倒すよ!」
そんな事を言って笑顔で胸を張る雅に思わず鈴は苦笑いを浮かべてしまう。
「雅さん……そんな事を言ったら千尋さまが可哀相ですよ」
「そうかい? 良い機会だよ。あいつにとって今回の事は初めての経験だろうしね。これでまた新しい感情を知ったんじゃないか」
「それは私もです。本当は千尋さまの花嫁だって言われて、凄く嬉しかったんです。今までは龍神の花嫁で良かったのに、そう言われて……そう、嬉しかった……」
声に出して初めて鈴はようやく自分の気持ちを理解した。
そうだ、鈴は嬉しかったのだ。国を守る役目を担うことも誇らしいが、鈴自身を望んでくれた千尋の言葉が……心が震えるほど嬉しかったのだ。
鈴は雅にお礼を言って、寝台にまた仰向けに転がった。
千尋とこのままで良い訳が無い。もしも雅の言っていた事が本当であれば、きっと千尋は物凄い覚悟で鈴に伝えてくれようとしたのだから。
かと言って千尋に仕事を放棄するような事はしてほしくはない。そんな事をしたら、千尋はまた都へ戻れなくなってしまう。
どうすれば良いのだろう? どうすれば千尋は幸せになれるのだろう? 鈴はそんな事をグルグル考え続けていた。
その日の夕飯は雅が気を利かせて部屋で取るよう手配してくれた。きっと今は千尋と顔を合わせ辛いだろうと考えてくれたのだろう。
「千尋さま、今何してるんだろう……」
会いたい。そんな考えがふと脳裏を過ぎって鈴はすぐさま頭を振った。
いつだったか雅が言っていた気持ちというのは、こういう気持ちだったのだろうか?
流石に誰かから奪いたいとまでは思わないが、抑えきれない千尋の事をもっと知りたいという気持ちや、会いたいと言う気持ちをどう押し込めれば良いのか分からなくて途方にくれる。
「うん、行こう。やっぱり会いに行こう、千尋さまに」
鈴は声を出して自分を奮い立たせると、千尋に貰った羽織を着て時計を見てギョッとした。既に日付を回っていたのだ。
「や、止めておいた方がいいかな……」
時間を見て思わず怯んだ鈴だったが、すぐに首を振った。何時でも構うもんか。龍は時間など気にしないと千尋が言っていたではないか。
何よりこんな気持ちを次の日に引きずるのは良くない気がする。鈴にとっても、千尋にとっても。
鈴は大きく深呼吸をして部屋を出て廊下を足早に歩いた。お化けが怖かったのと、千尋に会いたい一心だった。
千尋の部屋の前で立ち止まった鈴はそれからまたしばらく悶々としていたが、太ももを抓って自分を奮い立たせ、控えめに千尋の部屋のドアをノックした。
けれど、中からいっこうに返事が聞こえてこない。やはりもう寝てしまったのだろうか。
しばらく経っても返事が帰って来なかったのでしょんぼりと元来た廊下を戻ろうと振り返ったその時、後ろでドアが開く音がした。
その音にハッとして振り返ると、そこには驚いた顔でこちらを見下ろす千尋が立っている。
「鈴……さん?」
「千尋さま……あ、お仕事中……でしたか?」
「え?」
「あの、髪が……」
部屋から出てきた千尋は髪を結っていた。千尋が髪を結う時は食事中と仕事中だという認識の鈴が言うと、千尋はようやく気づいたかのように苦笑いを浮かべて髪を解く。
「これは考え事をしたい時や集中する時の癖なんですよ。よく知っていましたね」
「はい……ずっと、見てたから」
「そうでしたか。それでこんな時間にどうしたのですか?」
いつも通りの千尋の声に、鈴は一瞬安心しかけたけれど、ふと思った。昼間の事を千尋はもう何とも思っていないのだろうか? と。
「千尋さまは……やっぱり凄いのですね」
「凄い?」
「はい……すぐに自分の感情を戻せるのは、凄いと思います……」
そこまで言って何故か涙がこぼれ落ちた。この涙がどういう理由で流れてくるのか分からなくて鈴自身が戸惑っていると、千尋も焦ったように言う。
「ど、どうして泣くのですか? あ! もしかして背中が痛むとか? 力を流しましょうか?」
焦った千尋の声を聞くのは初めてだったけれど、そんな事を考える余裕は今の鈴には無い。
「痛くないです……どうして私は泣いてるのでしょう? 自分でも……分からなくて……」
「そ、それは……困りましたね……とりあえず入ってください」
千尋に手を引かれて鈴が部屋に入ると、千尋は鈴をソファに座らせてくれた。
「少し待っていてくださいね」
そう言って千尋は鈴を置いて奥の部屋へ入って行ってしまう。
しばらくすると、千尋はカップを2つ持って戻ってきた。
「どうぞ。あなたがくれたハーブティーです」
「あ、ありがとうございます」
鈴はそれを受け取って一口飲んだ。温かいハーブティーは体も心も癒やしてくれるような気がする。
「これをあなたから貰った時、私はとても驚いたんですよ」
「え?」
「龍は自然から力を吸収して回復します。なのでハーブティーはとても効率の良い回復方法なのですが、教えても居ないのにあなたはそれを知っていたのか! って」
そう言って笑った千尋はその後すぐに視線を伏せる。
「多分、お昼の事ですよね?」
「……はい」
どう切り出せば良いのか分からなくて鈴が困っていると、千尋がぽつりとカップの中を見つめながら呟いた。
「お昼は……すみませんでした。あなたが私の事を龍神として慕っているのを知っているのに、突然あんな事を言われても混乱しますよね。あなたが生半可な覚悟でここに嫁いできた訳では無い事を、誰よりも私が一番理解しているというのに」
「それは……そうだったのですが、私も千尋さまの心を正しく理解せずに我が儘を言ってすみませんでした……」
「我が儘? あなたは何も間違えた事は言っていませんよ。我が儘を言ったのは私です。あなたは自分の寿命が長くない事をよく知っている。両親と同じように早くに逝くことを的場の方たちに正しく伝えたかった。そうですよね?」
鈴は千尋の言葉に頷いた。
けれど、あの言葉が千尋にあんな顔をさせたのだ。それを思い出して鈴は拳を膝の上で握りしめ上を向いて鼻をすすった。そんな鈴に千尋は首を傾げて尋ねてくる。
「何を……しているのでしょう?」
「私が泣くのは、違うと、思うので!」
「……こぼれなければ問題ないと言う事ですか?」
「はい」
「っふ……そうですか。では、こぼれないように先に拭いてしまえば良いのですよ。こうやって」
そう言って千尋は上を向いて涙を堪える鈴を覗き込んで、ハンカチで目頭を抑えてくれた。千尋のハンカチは千尋と同じように良い香りがする。
「ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。あなたはたまに突拍子も無い事をするので、見ていて飽きませんね」
小さく微笑む千尋を見て鈴はまた泣きそうになる。
「嫌われて……しまったかと思っていました……」
ポツリと鈴が言うと、千尋は持っていたハンカチをポロリと落として固まった。
「千尋さま?」
「……」
「……やっぱり……もう……」
「……私が……私があなたを嫌うだなんて事、あるはずがないでしょう!?」
初めて聞いた千尋の荒々しい声に思わず鈴がビクリと体を強張らせると、突然千尋に肩を掴まれた。
こんな間近で千尋を見たことが無い鈴は驚いたが、千尋の悲痛な顔を見てゴクリと息を呑む。
「私は、あなたを失いたくない。けれどあなたの気持ちも無碍にしたくない。最初はいつも通り龍神の花嫁だと思っていました。けれどあなたは……あなたはどんどん私の心に入り込んでくる! 拒もうとしても拒めず、龍神の立場でも居られない! それなのにあなたは……あなたは……今までの花嫁のように私の元から去ろうとする……」
あまりにも悲痛な千尋の声に鈴はそっと千尋に抱きついた。そんな鈴の反応に千尋は体を硬直させたが、こんな事を家族でもない異性にするのは初めてで自分でも驚く。
「……千尋さま……ごめんなさい……。やっぱり私が我が儘を言ったのです。千尋さまが好んで歴代の花嫁達を犠牲にした訳ではないと知っているのに、千尋さまがその事を何よりも悔やんでいると知っているのに、私は自分の事しか考えず千尋さまに残酷なお願いをしてしまいました。最低なのは……私です」
「はは、あなたが最低であれば、私などもうとっくに地獄に落ちていますよ」
「そんな事はありません。千尋さまは口では歴代の花嫁を犠牲にした、助けなかったと仰いますが、あなたが歴代の花嫁達を忘れた事など無い事を私は知っています」
「……え?」
「あの祠のさらに奥に、ピカピカの石碑を見つけてしまいました。そこには沢山の女性の名前が刻まれていた。石碑の周りは綺麗な花が咲き乱れていました。あれは、歴代の花嫁たちですよね?」
「……」
無言の千尋の背中を撫でながら鈴は静かに言う。
「あなたがどんな想いであの石碑に花嫁達の名を彫ったのか、どんな気持ちで石碑を磨いているのか、雅さん達さえ知らない、あそこはあなたと花嫁達だけの秘密の場所なんですよね?」
あの冷たい石碑の前で、千尋はいつも何を想うのだろうか。一人一人の名を呼び、生前には出来なかった沢山の会話をしているのだろうか。それを思うと胸が締め付けられるかのようだ。そしていつかあの石碑に自分の名も刻まれるのかと思うと、あの時は誇らしく感じる事が出来た。
けれど、今はもうそんな風には思えなくなってしまっている。
千尋を抱きしめる手に力を込めると、千尋の体から不意に力が抜けていくのが分かった。
千尋は鈴を抱き返すこともせず、鈴の肩口におでこを押し当ててくる。
「あそこは禁足地だと言うのに、いけない人ですね」
「すみません……祠を直すのに設計図を書いたのですが、それが風で飛ばされてしまったんです」
「それで見つけたのですか?」
「……はい」
あの辺り一帯が禁足地だという事は雅から聞いていたけれど、設計図を取りに行くだけだと千尋に心の中で断りを入れて入ったところ、石碑を見つけてしまった。
「そうですか……確かに私はあそこに歴代の花嫁の名前を刻みました。ですが、磨くようになったのは最近なんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。毎日手は合わせに行っていましたが、綺麗にしようと思ったのは、あなたがやってきてからなんです」
「……」
「あなたを今までの花嫁と比べだして、ふと言い知れぬ罪悪感に駆られたのですよ。私は龍神で、そのために沢山の花嫁を犠牲にしてきた。それなのに、今回の花嫁だけこんなにも必死になって守ろうとしている。それは、今までの花嫁への裏切りではないのか? とね」
「裏切り?」
不思議に思って鈴が千尋から体を離すと、千尋は小さく頷く。
「ええ。花嫁の中には私に愛されたいと願う人も居ました。ですが、私はあくまでも龍神として彼女たちに接してきたのです。それを今更、鈴さんにだけ龍神で居る事を止めたいだなんて、あまりにも虫の良い話ではないですか。そういう意味で、私は最低だと言ったのですよ」
それを聞いて鈴はガバリと顔を上げて千尋を見上げた。
「でもそれは! 千尋さまにも心があるからです! それを最低と言うのであれば、分かっていて傷つけた私の方が最低です!」
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「鈴さん……」
鈴の怒鳴る様子が珍しすぎて思わず千尋が鈴の顔を覗き込むと、鈴は唇を噛み締めて拳を強く握りしめていた。その顔は怒りを堪えているようにも見える。
「千尋さまは以前、仰いました。昔は花嫁の方からやってきた、と。けれど今はそんな時代じゃない。千尋さまが選ぶ立場になったんです。でもあなたは150年もの間、何かしらの理由をつけて花嫁を選ばなかった。それは、あなたが花嫁の辿る運命を知っていたからです。あなたが歴代の花嫁のお話をする時はいつも辛そうな顔をします。苦しそうな顔をします。そりゃそうです。千尋さまは龍神様であると同時に一人の龍です。心だってあるし、感情だってある……それなのに私は、私達はあなたに龍神であるよう役目を無理やり押し付けてしまったのです……あなたは神様だから大丈夫だろう、だなんて……そんな事、ある訳ないのに……あなただって……幸せになるべきなのに……」
そう言ってとうとう鈴は涙を零した。
鈴の言葉は千尋の中に深く深く染み込んでくる。ずっと抱えていた違和感は、罪悪感は、これだったのだ。
千尋は鈴の涙を指先で掬うと、静かに話し出した。




