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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「あなたは何か誤解されているようですね。私が欲しいのは名家の血ではありません。落ちぶれていても美しい血が欲しいのです。あなたは少し神森の家について勉強不足のようです。あの場所が何故未だに禁足地に指定されているのか、それを今一度勉強された方が良いようですね」

 

 そう言って千尋は立ち上がった。


「それではご当主、私はそろそろ失礼します。結婚式の日取りはこちらで決めても?」

「ええ、もちろんです」

「そうですか。それではまたご連絡します。何かあったら連絡を寄越してください。それから、十分にお気をつけて」


 そう言って千尋はチラリと久子を見たが、久子は千尋の視線にも気づかないほど勇を睨みつけている。躊躇いなく殺人まで犯す佐伯家だ。今のままでは菫と勇が危ない。


 千尋が楽と共に玄関で雅と鈴の靴を回収していると、そこへ蘭がやってくる気配がした。


「楽、先に出ていなさい」


 それに気づいた千尋は楽に回収した靴を持たせて先に出るよう促すと、楽は神妙な顔をして外へ出ていく。


「神森さま」

「ああ、蘭さん。どうかされましたか?」

「はい……これは言ってもいいのかどうか分かりませんが……」


 そう言って蘭が視線を伏せた。そんな蘭を見て千尋は首を傾げる。


「実は、この間私が鈴ちゃんに送った薬は、本当は薬ではないのです」

「ええ、知っていますよ。トリカブトでしょう?」


 千尋の言葉を聞いて蘭はハッとして千尋を凝視する。そんな蘭に今更何だと思いながらも話の続きを待っていると、突然蘭が涙を零して頭を下げた。


「ごめんなさい……私、お母様には逆らえなくて言われるがまま……何より鈴ちゃんには大きな秘密があって、実はあの子傷――」


 蘭がその先を言い終えるよりも先に千尋は裾を払って立ち上がると蘭を見下ろして言った。


「そうでしたか。ですが、鈴さんはあの薬を飲んでなどいません。安心してください。それに鈴さんの秘密は本人に直接聞くので教えてくださらなくても結構ですよ」


 それを聞いて蘭の鼓動が早まったけれど、蘭はまだ頭を下げて涙を零している。とんだ役者だ。


 でも嘘は千尋には通用しない。母親に頼まれたのだとしても、蘭も鈴に消えて欲しいと願っているのだと言うことは、何よりも蘭の血が物語っていた。


「それでは、私はこれで」

「あ……はい……お気をつけて」

「ええ、あなたも」


 そう言って薄く笑った千尋を見て蘭はビクリと肩を揺らした。そんな蘭を置いて外に出ると、今度は玄関先で菫が立っている。


「なかなか派手にやり合ってたわね、父様とお母様」

「そうですね。聞き耳を立てていたのですか?」

「まぁね。だって、自分の家の事だもの。私、父様とここをすぐにでも出るつもりよ」

「ええ、それが良いですね。あなたにこの家は似合いません。何よりもここに居ればあなた達にも危害が及ぶでしょう。すぐにこちらで手配しておきます」


 菫には鈴にもそうだったようにこの佐伯家は毒だ。鈴という緩衝材が無くなった今、二人の攻撃は真っ直ぐ菫に移るだろう。荷物をまとめて今日にでも出た方が良い。


「ありがとね、色々。あれだけのお金があれば父様も出られるはずよ。佐伯が何かしてこなければ」

「それに関しては大丈夫です。見えますか?」


 千尋が佐伯家の屋根を指差すと、そこには二羽の大きな鴉が止まってこちらを見下ろしている。


「カラス? あれが何よ」

「あの鴉はうちの者です。もしもあなた達に何か良からぬ事が起これば、すぐにうちに連絡が入るようになっています。そうしたらその時点で警察が動くようになっているのですよ」

「警察? それは当てにならないわね。佐伯は警察ともつながりがあるもの」

「それはここの地域の話でしょう? うちをどこだと思っているのです?」

「それってどういう……?」

「安心してください。神森家を敵に回すと、すぐに国家が敵に回ります。警察の中の特に偉くて怖い人達が出動して派手にこの家を取り囲んでくれますよ」


 そう言って笑った千尋を見て菫は引きつった。

 

 神森家を支配するという事は、龍神を支配するということだ。それは今のところ地球上の生物には無理である。


 唖然とする菫に千尋は笑顔のまま言った。


「言ったでしょう? 親戚が龍神だなんて、滅多にありませんよって。これで的場家は安泰ですね」

「……あなた、怖いわ」

「そうですか? それでは、また」

 

 ポカンとした菫に挨拶をして、千尋と楽は家を出た。


 鈴達が待つ車に向かう道中、ふと楽が心配そうに声をかけてくる。


「千尋さま、大丈夫なんですか? あの家変ですよ」

「そうですね。最初は適当に縁を切れば良いと思っていましたが、あの様子だとたとえ縁を切ったとしてもこれからもずっと鈴さんに危害を加えてきそうです」

「……確かに」

「ですからさっさと何か行動を起こしてもらわないと。本当は人間の法で裁いてもらうのが一番ですが、それが叶わない場合は致し方ありません。久しぶりの天罰を下しましょうか」

「て、天罰……」

 

 笑顔でそんな事を言う千尋から楽は一歩距離を取って青ざめた。

 

 

 雅に背負われて車に到着した鈴は、雅と弥七に「車に乗っていろ」と言われたにも関わらず、居ても経ってもいられなくて菫の下駄を履いて車の外で待っていた。

 

 どれぐらいそうしていたのか、ようやく前方から優雅に歩いてくる千尋を見つけて思わず駆け寄る。


「千尋さま! 楽さん!」

「鈴さん。迎えに来てくれたのですか?」


 息を切らせて二人の所に辿り着いた鈴を見て、千尋がにこやかに言う。その顔を見て一瞬安心しかけたが、続いて楽の顔を見て何かを察した。


「大丈夫……でしたか?」

「ええ。何事もなく実に平和的でしたよ。ねぇ? 楽」

「え!? あ、あれを平和と言うのかな……?」

「やっぱり! 千尋さまは肝の据わった龍神さまだから大丈夫だっただけですよ!」


 楽の言葉を聞いて鈴が思わず前のめりになると、そんな鈴を見て千尋は笑った。


「口での応酬など可愛いものですよ。本気の時は刃物や武器を持ち出しますからね」

「え……」

「そ、そうなんですか?」

「ええ。都での会議はしょっちゅう流血沙汰が起こっていましたよ?」

「……」

「……」


 千尋の言葉に鈴は思わず楽と顔を見合わせて青ざめた。


「ですが、放っておくとあの二人も武器を持ち出しかねません。菫さんとご当主をすぐに佐伯から抜いた方が良いと思います」

「わ、私達が出た後、一体何が……」


 やっぱり呑気に車で待っている場合ではなかったのではないか。そんな不安に駆られて鈴が千尋を見上げると、千尋は珍しく真面目な顔をして言う。


「ややこしくて面倒な話でしたよ。あんなものは聞く価値もありません」


 はっきりと言いきった千尋の隣で、楽も真顔で頷いた。そんな二人の反応を見て鈴もゆっくりと頷く。そしてふと思った。


「菫ちゃんは……大丈夫なんですよね? その……」

「ああ、佐伯の娘ではないと言う事ですか?」

「!」


 鈴はこの間菫から直接その話を聞いて酷く驚いたのだが、もしかしたら千尋はもっと前から気付いていたのだろうか? 


 鈴が不思議そうな顔をしていたからか、千尋は鈴が何か言う前に先回りするかのように言った。


「ああ、いえ。私も知りませんでしたが、先ほど本人が自ら仰ったんですよ。ですが、これで菫さんと蘭さんの血の流れがあまりにも違う理由がようやく分かりました。そしてあなたの血の流れが菫さんとよく似ていた理由も。あなたも菫さんも的場の人間なのですね」


 そう言って千尋はまるで鈴を安心させるかのように微笑んだ。そんな千尋を見て鈴は涙を浮かべて強く頷く。


「的場がどんな家か直接は知りませんが、父と母がよく話してくれた的場家の話はよく覚えています。幼い頃はいつか三人で日本に行って、お祖父様やお祖母様に会うんだって……ずっと……思ってて……」


 そこまで言って鈴は涙を零した。早くに亡くなってしまった両親。そして神森家に嫁いだ事で鈴もきっと子どもを残せず早くに亡くなる。


 今更ながら何だかそれが鈴を大切にしてくれた勇や菫、的場の人たちを裏切ってしまうのではないか、などと考えてしまう。


 鈴は千尋にそっと頭を下げた。


「千尋さま、お願いです」

「はい? 何でしょう」

「私が逝ったその時は、どうか的場の人たちに私が本当に幸せだったこと、そして私がこの国のお役に立てた事をお伝えしてもらえませんか?」

「……何故、突然そんな事を?」


 千尋の声が沈んだ。鈴がそれに気付いてハッとして顔を上げると、何故か千尋は泣きそうな、怒っているような不思議な顔をしている。


「千尋さま?」

「私は、あなたを今までの花嫁達のように逝かせたりしません。絶対にです」

「……え?」

「鈴さん、私からもお願いです。あなたには確かに国を守る役目をこれから背負って貰う事になります。ですが、その事ばかりに目を向けないでください。あなたは国を守る龍神の花嫁ではありません。的場家から神森家に嫁いでくる一人の女性です。鈴という名の千尋の花嫁です」

「……千尋さまの……花嫁?」

「ええ。私の、花嫁です。歴代の花嫁達を救いたくても救えなくていつも諦めた。それは私が歴代の花嫁を龍神の花嫁だと思っていたからです。そこに千尋の感情は要らなかったのです。ですが、今回は違う。私はあなたの前ではもう龍神でいるつもりはありません。血がどうとかそういうのではなく、私個人があなたに側に居てほしいのです」

「それは……で、でも私は……」

 

 千尋の言いたい事がすぐに理解出来なくて鈴はじっと千尋を見つめた。千尋の目は後悔と悲しみに溢れている。


 どうしてこんな顔を千尋にさせてしまったのか、自分の何がいけなかったのか、鈴は一生懸命考えたけれど、答えはすぐには出そうにない。


「歴代の花嫁達を差し置いてこんな事を言う私は、あなたが思っている以上に最低なのですよ」


 ポツリと呟いた千尋の言葉に鈴は顔を強張らせた。そんな事はない。そう言いたいのに、言葉が何も出てこなかったのだ。


 一歩も動けなくなってしまった鈴の背中を、そっと千尋が押した。その反動で鈴は一歩、車に向かって歩き出す。そんな鈴と千尋の後ろを心配そうに楽がついてきているのが気配で分かった。


 車に戻って一言も話さない鈴と千尋を怪訝に思ったのか二人を気遣ってか、車の中で誰も口を開こうとはしない。


 佐伯家へ向かう時は緊張で震えていたが、今は神森家に戻るのが恐怖で震えてしまいそうになる。


 何がこんなに怖いのか、龍神では居られないと無いと言われてショックを受けた? 違う。怒っている千尋が怖い? それも違う。


 千尋の言いたい事がちゃんと理解出来ない自分に絶望し、その事で千尋に嫌われてしまうのが怖いのだ。

 

 やがて車は何事もなく無事に神森家に到着した。無言で車を下りる雅と楽を見送って、いつものように千尋が鈴にそっと手を差し出してくる。

 

 鈴は一瞬どうしようか迷ったが、すぐにその手を取った。その瞬間、千尋がホッとしたように息をついたのが分かった。

 

 二人は無言で屋敷に戻り、千尋は鈴を部屋まで送り届けてそのまま自室に戻ってしまう。

 

 送り届けてくれた時に小さく「すみませんでした」と呟いた千尋の声が、耳にこびり付いて離れない。

 

 鈴はノロノロと着物を着替えて寝台に仰向けに転がった。目を閉じるとさっきの泣きそうな千尋の顔が浮かんでくる。

 

 その時だ。窓辺で猫の鳴き声がした。ふと視線を窓にやると、そこには猫の雅が居る。

 

 鈴はそれに気付いて慌てて窓を開けると、雅はいつものように部屋に飛び込んできて人の姿に戻った。


「さて、何か言いたい事があるんじゃないか?」

 

 雅の言葉に鈴はハッと息を呑んで雅にしがみついた。


「わ、私、私、何て言えばいいか分からなかったんです!」

「うん?」

「私は千尋さまの花嫁だって、龍神の花嫁ではないんだって言われてどういう意味かよく分からなくて、それで……千尋さま、凄く傷ついてた。私はきっと両親のように早くに亡くなるだろうから、的場家の皆に幸せだったって伝えて欲しいってお願いしちゃったんです! そうしたら千尋さま凄く泣きそうな顔してて……その後千尋さまが「私は最低だったんだ」って……どうしよう、雅さん! 千尋さまに嫌われてしまったかもしれません!」


 雅にしがみついて、とうとう鈴は子どものように泣き出してしまった。そんな鈴を雅は抱きしめて背中を撫でてくれる。


「なるほど。支離滅裂でよく分かんないけど、要は初めての喧嘩をしたって事か。何だ、良いことじゃないか!」

「……え?」

「なんだい? 違うのかい? それにね、鈴。前に言ったろ? 千尋は性格が悪いよって。もしも今度「私は最低だったんだ」なんて言ってきたら、胸張って「知ってますよ?」って言い返してやりな。あんたが千尋の事をどう思ってても、あいつは歴代の花嫁を生贄にしたんだよ。でもそれが龍神の仕事だった。でも千尋は今、それを放棄しようとしてる」

「ど……して?」


 そんな事をしたら国はどうなってしまうのだ? 鈴が青ざめて雅に問いかけると、雅は神妙な顔をして口を開いた。


「あんたを見殺しにしたくないからだよ」

「私?」

「そうさ。千尋は今回初めて花嫁選びに自我を出したんだ。今までみたいに血さえ良けりゃ誰でも良い、じゃなくて、あんたが良いってな。そうしたら今度はあんたが早死する事を回避しようとしだした。回避するにはあんたに神通力を使わなきゃいい。でもそれは立派な職務放棄だ」

「そ、そんな事をしたら千尋さまが……またお叱りを受けるかもしれないのに……」

「そうだね。でもあいつはそれぐらいあんたを守りたいんだよ。だってハッキリ言われたんだろ? 龍神の花嫁ではなく、千尋の花嫁だって」

「……はい」

「それはもう愛の告白じゃないのかい?」

「あ、愛!?」


 突然何の話だ! 思わず鈴が目を丸くすると、雅はアーモンド型の目を細めて意地悪に微笑んだ。


「はは、千尋は前途多難だ。だから言ったんだよ。人間を舐めてるとしっぺ返しを食らうよって!」


 何かを思い出したかのようにそう言って雅は豪快に笑う。あまりにも豪快に笑うので、少しだけ鈴の思考もまとまってきだした。


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