55
そう言って千尋は机の引き出しから楽の物よりも大きな石を取り出して鈴にくれた。鈴はそれを受け取って目を輝かせる。
「そっか! だからあの時、爪よりも鱗の方が、と仰ったんですね!」
「え?」
「大晦日に鏡通信をした時です!」
「ああ、言いましたね。そうです。爪には本当に何の価値もありませんが、鱗には少なくとも多少は出来る事があるので」
「ほんとだ。楽さんのよりも冷たいです!」
「そうでしょう? 冬の間はあまり使わないかもしれませんが」
「そんな事はありません。背中の炎症が酷い時なんかはとても気持ちよさそうです!」
鈴はそう言って千尋の鱗にそっと頬を寄せると、ひんやりしていて気持ち良い。
「そうですか? 喜んでもらえて良かったです。ただ、楽に先を越されたのは少し癪ですね」
「え? 何か言いましたか?」
石を撫でるのに夢中で千尋の言った事を聞き逃してしまった鈴が尋ねると、千尋は笑顔で首を振った。
「いいえ、何も。ところで庭いじりもしていたのですか?」
「はい! よく分かりましたね。そうなんです。洗濯をする前は弥七さんと喜兵衛さんと一緒にハーブ園の草引きをしていました!」
自信満々に鈴が言うと、千尋は笑って鈴の頬を撫でた。
「泥がついていますよ。何だか鈴さんはいつも庭いじりをすると顔に泥をつけていますね」
そう言って笑う千尋に鈴は恥ずかしくなって両手で顔を覆う。
「そ、そんな事はありません。多分」
「多分、ですか。それにしても喜兵衛も一緒だったのは珍しいですね」
「はい、そうなんです。どうやら二人でプレゼントの相談をしてくれていたようで――」
そこまで言った所でまた千尋が鈴に一歩近寄ってきた。
「プレゼント? 誰のです?」
「えっと、私の、です」
「鈴さんの? 何故またそんな事に?」
「それが――」
鈴が事の起こりを説明すると、千尋は驚いたように目を丸くした。
「あの二人がそんな事を言い出すなんて……そう言えば鈴さん、あなた誕生日はいつなのですか?」
「誕生日……ですか?」
「ええ。日本では祝う風習は無いですが、龍の都では誕生日は番で祝う人が多いのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。だからあなたの誕生日も祝おうと思うのですが、いつです?」
「私は2月17日ですが……誕生日というのはお祝いするものなのですか? 魔除けではなく?」
「もう少しではないですか! どうしてそんな大事な事を今まで黙っていたのですか! あと、イギリスでは誕生日はお祝いではなく、魔除けの日だったのですね」
「ご、ごめんなさい! はい、誕生日を祝うというと神様の誕生日の方を連想します」
驚いたように言う千尋に鈴まで驚いて思わず謝ってしまったのだが、そんな鈴に千尋は慌てたように言う。
「ああ、いえ。鈴さんは何も悪くありません。聞かなかった私が悪いのですから。なるほど、クリスマスの方ですね。それで、あの二人は普段のお礼に何をくれる予定なのですか?」
「えっと、割烹着と庭仕事用のエプロンだそうです」
「なるほど。結構本気出してきてますね……。ただのお礼にしては張り切りすぎな気もしますが……分かりました。私も何か考えましょう。何か欲しい物はありますか? 鈴さん」
「欲しい物、ですか? 今は特に困っている物も無いですし、何の理由もなく千尋さまから何かこれ以上貰う訳には……」
「鈴さんらしい回答ですが、言ったでしょう? あなたの誕生日に何かプレゼントしたいのですよ、私が。それから、困っている物ではなくて欲しい物ですよ」
「む、難しいです!」
「では何か思いついたら教えてください。島ぐらいまでなら贈れますよ」
「し、島!?」
「はい。どこかの無人島を送りましょうか?」
「い、いりません! それにそんな無駄遣いはいけません!」
千尋なら本当にやりかねない。鈴が慌てて拒否すると、千尋はそんな鈴を見て笑う。
「冗談です。本気で島を贈るつもりは無いので安心してください」
「もう! またからかったのですか?」
「ふふ。鈴さんの反応がいちいち可愛いので仕方ありませんね」
そんな事をさらりと言う千尋に、鈴はそれ以上は何も言えなくなってしまった。思っていたよりも千尋はずっとイタズラ好きだ。鈴は頬を膨らませながらふと千尋を見上げた。
「そう言う千尋さまはお誕生日はいつなのですか?」
「私ですか? 私は水の月の13夜ですね」
「水の月の……13夜? えっと……?」
「龍の使う暦と人が使う暦が違うのですよ。そうですね、人の暦で言うと、2月の5日あたりでしょうか」
「お、終わっているじゃないですか! 千尋さまは何か欲しい物はないのですか?」
まさかの既に終わっている千尋の誕生日に鈴が怖い顔をして詰め寄ると、千尋は何故かじっと鈴を見つめて来た。
「欲しいものはありますが、果たしてあなたに用意出来るでしょうか?」
「そ、そんなにも難しいものなのですか?」
意外な千尋の答えに鈴が怯むと、千尋は笑顔で頷く。
「そうですね。あなたからしか貰う予定はないですが、今の鈴さんではその答えに辿り着くのはまだまだ難しそうです」
「何だかなぞかけみたいですね……」
神妙な顔をして考え込んだ鈴に千尋は苦笑いをして言う。
「それに目に見えるものでもないので」
「み、見えないものなのですか……それはちょっと今から答えを導いて用意するのは難しそうです……」
「そうでしょう? だから私の誕生日は別に良いですよ。それよりもあなたの誕生日です! 何か欲しいものが無いか考えておいてくださいね。でなければあなたのクローゼットと小物入れが服と装飾品で破裂しますよ?」
それを聞いて鈴は青ざめる。もしも何も決まらなかった場合、千尋はまた洋服やアクセサリーを贈ってくれるつもりのようだ!
「か、考えておきます!」
「ええ、そうしてください」
そう言って鈴は千尋と別れて、その足で楽の部屋に向かった。深呼吸をして楽の部屋をノックすると、中からのっそりと楽が顔を出す。
「な、なんでお前!」
楽はそう言ってすぐに扉を閉めようとしたが、突然頭を下げた鈴を見てそれを止めた。
「不思議な石、ありがとうございました。おかげで手がいつもよりもジンジンしなくて済みました」
そう言って鈴がポケットから楽に貰った石を取り出すと、楽は少しだけ驚いたような顔をして鈴から視線を逸らした。
「……別に。鱗なんてどうせ時間が経ったら生えるから」
「生えるって……もしかして毟ったのですか!?」
龍がトカゲの部類だとすれば、鱗は勝手に剥がれ落ちたりはしない。となると、楽はこの石を作るために自分の鱗を毟ったという事になる。
思わず詰め寄った鈴に楽は驚いて頷いた。
「な、なんだよ。別にお前は痛くも痒くも無いんだからいいだろ?」
「確かに私は痛くはありませんが、それとこれとは話が別です! 手が冷たいだろうと楽さんが心配してくれたのは分かりますしありがたいですが、もう絶対にそんな事はしないでくださいね!」
「なんで」
「痛いというのは、とても辛い事だからです! たとえそれが一時の痛みでも、わざわざ自らそんな事してはいけません!」
そこまで言って鈴は一歩下がって、もう一度頭を下げた。
「でも……心配してくれたのは嬉しいです。ありがとうございました。大切にしますね」
そう言って鈴は楽の石を両手で包み込むようにすると、楽は何とも複雑な顔をして曖昧に頷き、そっぽを向いたままポツリと言った。
「さっきは……悪かった。ごめん。俺、千尋さまが高官じゃなくても好きだ。何の才能もなくて打ち捨てられた俺を拾ってくれたのは千尋さまだから……」
「そうなのですか?」
「そうだよ、龍の世界はここよりもずっと格差社会だ。何も出来ない奴らは何でも出来る奴らに淘汰される。そうして優秀な遺伝子だけが残っていく。そんな世界なんだ。だから……ちょっとだけ腹が立ったんだよ。何の取り柄も無い人間の花嫁なんかの為に千尋さまが里帰り中に戻るなんて、許せなかった……」
項垂れてそんな事を言う楽の言葉に鈴は黙って耳を傾けていた。千尋は言っていた。楽は本来とても素直で明るく、良い子なのだと。
楽が無意味に傷つけてこようとしてきた理由が分かった鈴は、考えを改める。
「そんな……世界なのですね」
「ああ。だから皆、必死だ。俺みたいな奴は生きてるだけで迫害される。でも、千尋さまの屋敷の執事になったら誰にもそんな事は言われなくなったんだ。自分でも分かってる。それは俺の力じゃなくて、千尋さまの力なんだって。でももしも千尋さまが高官じゃなくなったら? 俺はまた迫害されるんじゃないかって不安だったんだ……だからお前に千尋さまが高官だから慕ってるのか? って聞かれた時、頭を殴られたような気がした。その後の千尋さまが高官になりたくてなった訳じゃないって言葉にも……驚いたんだ。俺からしたら千尋さまは凄く良い暮らしをしてて、番もすぐに見つかるし何の不満も無いだろうなんて勝手に思ってたから」
「それは……私もかもしれません。ここに居る方達は皆そんな肩書なんてまるでどうでもいいみたいに振る舞いますが、最初は私だけが侯爵家という名前に惑わされ、勝手に追い出されるかもしれないと怯え、その後の人生を無意味に悲観していましたから」
「……今はもうしてないのかよ」
「はい。それはもう終わりました。私は私の役目を全うするためにここに居て、それで良いのだという事に気づいたので」
鈴が言うと、楽はまた複雑そうな顔をする。
「それが寿命を縮める事かよ? 子どもも産めなくて、番も出来ないのかよ?」
「そうですね。女の幸せは結婚をして子どもを育てる事だと思われている今の時代からは随分とかけ離れているかもしれませんが、私は今の人生に満足しています。そりゃ最後の日はもしかしたら皆と離れたくないと言って泣いてしまうかもしれませんが、千尋さまは私が逝った後、魂を自分の元に来られるよう尽力すると約束してくださいましたから、私はそれを信じます」
「魂が千尋さまの元に? 別に龍は人間の魂なんて集めてないぞ?」
「ええ。だと思います。ですが、人間の世界では死ぬと魂は神様の元へ行くと言われているんです。だからきっと、千尋さまは私の戯言に合わせてくださったのでしょうね。でも私はそれが聞けただけで十分でした。千尋さまの優しさを知るには、それで十分だったのです。あの時、私はこの方の為に生きようと思えたような気がします」
「……千尋さまは優しいんだ……でも、龍の都ではそうじゃない。俺を拾ったのもきっと気まぐれだったんだと思う。だけど俺は救われた。あの人に。俺も、あの人の為に生きようってあの時決めたんだ……」
「では、私達は同志というやつですね」
「そうだな……同志……か。龍は誰も知らない、本当の千尋さまをまさか人間なんかに見せるなんて、俺には最初理解出来なかった。でも……多分、お前だからなんだな」
そう言って楽は静かに視線を伏せた楽の目からぽつりと涙が一滴零れ落ちる。ふと見ると、楽の唇にはうっすら血が滲んでいた。それでも楽は唇を噛み締めているので、鈴は急いでハンカチを取り出して楽に渡すと、楽はそれは受け取らずに苦笑いを浮かべる。
「いい。それ使ったら、俺きっと千尋さまにすげー怒られるから」
「? どうしてですか?」
血を拭うのも立派なハンカチの仕事だと思うのだが。鈴が思わずキョトンとすると、楽は呆れたように鈴を見てポツリと言った。
「……内緒」
と。




