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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「少しだけ……悲しい本を読んでしまって、すぐに切り替えられると思ったんですけど、思いの外傷ついたみたいです。そんな自分にびっくりしてしまいました……」


 鈴は咄嗟に楽のせいだとは言えず嘘をついてしまった。それを聞いて千尋はさらに鈴の手を強く握る。


「そうでしたか」


 千尋はそれ以上は何も聞いて来なかった。変な慰めもなければ、それ以上触れる事もない。今はそんな千尋の優しさがありがたかった。


 少しだけ気分が浮上した鈴は、千尋の手を初めて握り返した。千尋の繊細で長い指が鈴は大好きだ。突然の鈴の行動に流石の千尋も驚いたように鈴の顔を凝視してくる。


「初めてですね、握り返してくれるのは」

「何となく、です」

「そうですか」

「はい」


 あとどれぐらいこんな風に千尋と手を繋ぐ事が出来るのだろう。さっきの楽への言葉は、まるで棘のように鈴の心を抉った。


 離れたくない。出来ればずっと一緒に居たい。鈴はそんな考えを払拭するかのように立ち上がると、今度こそちゃんと笑顔を浮かべた。


「喜兵衛さんに謝らないとですね!」

「そうですね。心配していましたよ。雅も」

「雅さんも!?」

「ええ。皆、あなたの事が大好きなんですよ、鈴さん」


 未だに座ったままの状態で千尋が鈴を見上げて来て言う。そんな千尋の手を引っ張って立たせると、鈴はしっかりと頷いて言った。


「私も、皆さんが大好きです!」


 と。

 

 

♠ 

 千尋は朝食が終わってすぐに楽の元へ向かった。鈴は悲しい本を読んだからだ、などと言っていたが、本ぐらいで鈴があそこまで元気を無くすとは思えない。

 

 だとしたら原因は一つしか無い。楽だ。


 千尋が楽の部屋の前まで来ると、中から何やら話し声が聞こえてきた。


『初さま、申し訳ありません! 俺もちょっと混乱してて……』

「初?」


 千尋は眉を潜めてそっと耳を扉に寄せて中の声を拾おうとするが、あいにく楽の声しか聞こえて来ない。


『いえ! それは誤解で! 千尋さまが急遽こちらに戻ったのは人間のせいではなくて! えっと、そちらに戻る準備をこちらでしなければならないってそう仰っていました! 何でも最後の仕事があるからと……はい、はい。いえ、花嫁とはほとんど口を利いてません。今まで通り、傲慢でワガママな女ですよ。だから千尋さまもいつも通りで、初さまが心配するような事は何も――いえ! 嘘なんてついてません! あの暗号の事も俺は何も話してなんて……はい、それは承知してます。でも、それが本当なら初さまが危ないんじゃ……あ、はい。そうですね。初さまは巻き込まれただけ……でしたよね。はい。また何かあったら連絡します。失礼します』

「……」


 千尋は扉の前で腕を組んで考え込んだ。これはどういう事だ? 少なくとも楽は今も初と連絡を取っていて、初は鈴の監視を楽に任せたということか。


 考え込む千尋の足を何かがスルリと撫でた。ふと見下ろすとそこには猫雅が首だけで「ついてこい」と促してくる。


 千尋は大人しくそれに従うと、猫雅はそのまま千尋の部屋までやってきて立ち止まった。


「どうぞ」

「にゃあ」


 珍しく猫の鳴き声で返事をした雅に、千尋は何だか懐かしくなってしまいそうになるが、今はそれどころではない。


「鍵も閉めな」

「ええ」


 部屋に入るなり人型に戻った雅の言う通り千尋は部屋に鍵をかけ、あの秘密部屋を開いた。


「いつから居たのです?」

「あんたが来る前からだよ。どうも鈴の様子がおかしいからあの坊主をつけてたんだ。そうしたら鏡を使って初と連絡をし始めたんだよ。あんた、本気であの扁平足みたいな女と番になるつもりだったのか?」

「扁平足?」

「そうだよ。最初あたしは窓の外に居たんだ。そしたら鏡の向こうが見えたから覗き込んだら! まぁ~見事にのっぺりした女が映ったもんだから驚いたよ! 龍の女は皆あんななのかい?」

「はは! いや、すみません。どうでしょうね。初は特別のっぺりしてる気がしますね。それにしても扁平足ですか!」


 酷い言われようだ! 思わず千尋が声を出して笑うと、雅は怪訝な顔で千尋を見てくる。


「鈴とは真反対だ。片や西洋人形。片や扁平足。あんたは両極端だねぇ」


 鈴の事は気に入っているからかバタ臭いという単語を使わなかった雅は、本当に好き嫌いがハッキリしている。


「そもそも私は番の相手を顔で選んでいませんから。初との事だって事件の被害者だと思っていましたし、それが罪滅ぼしになるのならと思っただけで特別な感情はありませんよ」

「それでよく一生添い遂げる相手を決められるもんだ。それで、あれは一体どういう事だい?」

「どういう事も何も、そのまんまでしょう。やはり初はあの時の事件に何らかの関与をしていて、楽もそのお手伝いをしているという事でしょうか」


 そうとしか考えられないと千尋が言うと、雅は腕を組んで考え込んだ。


「楽はその事件の時、もうあんたの屋敷に居たのかい?」

「いいえ。楽は私が里帰り中に拾った子です。それなのに楽が私の暗号を盗んだ疑いをかけられているのですよ。当時私の屋敷には使用人が何人か居ました。そのうちの誰かが初に暗号を教えた可能性は十分ありますね」

「でも楽は今回追放されたんだよな?」

「ええ。楽の追放はさっきも聞いた通り、鈴さんを監視する為に初と共謀したのでしょう。そもそもあの事件当時楽はまだ私の屋敷には居なかったのですから。そこらへんはどういう事になっているのか、少し流星に聞いてみるべきですね」


 楽が暗号を盗んだという話は筋が通らない。だとすれば初は何らかの手段を使って楽にその罪を背負わせたはずなのだ。


「ただ分からないのですよ」

「何が」

「楽が初に言った言葉です」

「最悪じゃないか。何が分からないんだい?」

「いくつも嘘をついていたでしょう? それこそ今までの楽ならそのまんまを初に伝えていたと思うのですよ。でも、それはしなかった。初から鈴さんの視線を逸らせようとしていたような気がするんですよね」


 千尋の言葉に雅も首を捻った。


「確かにそうだね。あの坊やが本気で鈴が嫌いなら、嘘つく必要もないもんな」

「ええ。楽の中で少しずつ鈴さんへの認識が変わってきているのかもしれません。ただ、鈴さんは恐らく今日楽に何かを言われて傷ついていた。そのお仕置きはしないといけませんね」


 真顔でそんな事を言う千尋を見て、雅は小さく息を呑んだ。


「まだ子どもなんだろ? ほどほどにしてやりなよ?」

「ええ、もちろん。ごめんなさい、もうしません。と私の年齢だけ書かせましょうか」

「地味に嫌な罰だな。何千回書けばいいんだよ」

「冗談ですよ」


 そう言って千尋は笑って雅に言った。どうかしばらくは鈴の側に居てやってくれ、と。すると雅は真顔で答える。


「最初からそのつもりだよ。あの子の周りは本当に賑やかだねぇ」

「そうですねぇ」

「あんたの周りも大概だからそんなのがたまたま出会っちゃってさ……怒涛のようにあちこちで火種がくすぶってるね」

「……否定出来ませんね」


 出来るだけ静かに暮らしたい千尋からしたら本当に良い迷惑である。


「まぁ、あれだ。火種はそのうち燃え尽きて消えるさ」

「そうですね。ですが待っているのは癪なので水をかけて一気に消してしまいましょう」

「何か策があるのかい?」

「簡単ですよ、とっとと初と番を解消して、そのまま鈴さんと婚姻を結べばいいんです」

「……一番難しい奴だな」

「……はい」


 言葉にすれば簡単だが、鈴をまずその気にさせるのが一番難しい気がする。それは千尋もしっかり自覚しているし、どうやら雅もそう思っているようだ。


「何にしても私の監視員に菫さんという強力な方が加入してしまったので、私は死ぬ気で鈴さんを守らなければいけません」

「ほんとだよ。菫を怒らせたら怖そうだからな」


 そう言って雅は歯を見せて笑った。どうやら雅は菫の事も気に入ったようだ。というよりも、鈴を可愛がる人は誰でも好きなのかもしれない。案外、猫は人につく。

 

 

♥ 

 鈴はしばらく部屋に閉じこもっていたが、ふと窓の外を見ると喜兵衛と弥七がハーブ園の前でしゃがみこんで何かをしていた。


「気晴らしになるかも」


 鈴はそう言って立ち上がると、菫がタッタちゃんみたいだと言った洋服に着替えて庭に出る事にした。


「何をしているんですか?」


 一直線に鈴は二人の元に向かうと、頭を付き合わせて何か相談している二人の後ろから声をかけた。


 すると二人は驚いて振り返り、鈴を見るなり慌てて何かを隠す。


「?」

「び、びっくりした! どうしたんだ? 今日は元気が無いって聞いたぞ?」

「もう大分良くなったので、少し外の空気を吸いにきたんです。お二人が揃っているのは珍しいですね」

「そ、そうですか? 自分たちは従兄弟なんで、たまにこうやって会議を――」

「おい! 余計な事言うなって!」

「ご、ごめん!」


 二人のやりとりを聞いていて鈴は思わず笑ってしまった。


「お二人は仲良しなんですね」

「そ、そりゃまぁ、従兄弟ですし」

「家出した俺と唯一付き合いのある親戚だからな、喜兵衛は」

「そうなんですか! それで、ここで何をされてたのですか?」


 そう言って鈴がにっこり微笑むと、弥七がいつもの調子でポロリと言った。


「ああ、お前にエプ――しまった!」

「馬鹿! 何でプレゼントの事言っちゃ――うわぁぁ!」


 それを聞いて喜兵衛もうっかり口を滑らせて、二人して頭を抱えている。


「プレゼント? あ! もしかして弥七さんが前に言ってたエプロンですか!?」


 思わず前のめりで鈴が問いかけると、弥七は観念したように頷いた。


「はぁ……バレちまったら仕方ないな。俺だけじゃ皮のエプロンは高くてな。でもどうせならちゃんとしたのやりたいから喜兵衛に共同で出さないかって提案してたんだ」

「そんな良いのでなくてもいいですよ?」

「いや! 千尋さまに嫁いで来るって事はそこそこ長く居る事になるからな。出来るだけしっかりしたのを買わないと、バラの棘や何かですぐ駄目になっちまう」

「二人で出資するなら、ついでに鈴さんの割烹着も新調しようかって話をしてたんです」

「お二人共……ありがとうございます! お二人にも何かお返ししますね! 何か食べたい物はありますか?」

「俺はとんかつ」

「自分はオムレツですね」

「では近々作りますね!」


 こんな風に鈴の事を思ってくれている二人が居るのに、どうして楽に嫌われたぐらいでクヨクヨしていられるというのだ。


 鈴はすっかり元気を取り戻して一緒になってしゃがみこみ、ついでにハーブ園の草引きを手伝った。


 草引きが終わったら次は洗濯だ。裏口に回ると、そこには雅が集めてきてくれた洗濯物が既に置いてある。


 鈴は大きなタライに洗濯物を入れて、まずはジャブジャブと水洗いをした。それから石鹸と洗濯板を使ってゴリゴリ擦っていると、目の前に長い影が落ちた事に気づいた。


 ハッとして顔を上げると、そこには今一番会いたくない相手、楽が無言で鈴を見下ろして立っている。


「楽、さん」


 思わず身構えた鈴に、楽は一瞬顔を泣きそうに歪めた。そして無言でグイっと鈴の方に拳を突き出してくる。


「?」


 一体何がしたいのか分からなくて思わず首を傾げた鈴に、楽がぶっきらぼうに言った。


「やる」

「え?」

「俺、火龍だから」

「あ、はい」


 鈴は訳が分からないまま手を差し出すと、楽は鈴の手の平の上にコロンとした白い石のような物を置いてそのまま去っていった。


「綺麗……でも何だろう、これ」


 よく分からないが落とさないように気をつけよう。そう思って無造作にポケットに入れて洗濯の続きをしていたら、何だかじんわりとポケットが暖かくなってきた。


 驚いてポケットの中から石を取り出すと、石はまるで発熱しているように真っ赤になっているではないか。


「赤くなった……おまけに温かい……」


 キンキンに冷えた水をずっと触っていると手の感覚が無くなってくる。そんな氷のように冷たくなった鈴の手を、まるで溶かしてくれるかのように楽がくれた石は温めてくれた。


 これが一体何なのか分からないが、洗濯が終わったら千尋に聞いてみようと思いながら残りの洗濯を終わらせて、取り込んだ洗濯物を各部屋に配りながら千尋の部屋に行くと、千尋は仕事中だったようで髪が結われていた。


「すみません、お仕事中でしたか?」

「ええ。ですがちょうど休憩しようとしていたので構いませんよ、どうぞ」


 そう言って千尋が部屋へ入るよう促してくれたので、鈴はペコリと頭を下げて千尋の仕事部屋に足を踏み入れた。


「どうかしたのですか? ああ、洗濯物ですか。ありがとうございます」

「あ、はい、それもなんですが、千尋さまはこれが何か分かりますか?」


 そう言って鈴は千尋の洗濯物をソファに置いて、先ほど楽に貰った石を取り出した。


「これは……楽ですか?」

「はい。洗濯をしていたら突然やって来てこれをくれたんです。俺、火龍だからって言って」


 鈴が言うと、千尋は一瞬顔をしかめて石をじっと見つめると、すぐに笑みを浮かべた。


「そうですか。多分、あなたに何か悪いことをしたと思ったのではないでしょうか」

「私に、悪いこと?」


 思い当たるのは今朝の言い合いだ。それを思い出して鈴が納得したように頷くと、千尋も何かを察したかのように鈴に石を返してくれた。


「それは鱗を丸めた物なんです」

「鱗を……丸めた物!?」

「ええ。龍の鱗は案外柔らかくて力が宿っているのですよ。楽は火龍なので、彼の鱗は一定の温度を下回ると自動的に発熱を始めるんです。洗濯をする鈴さんがあまりにも寒そうだったからこれをくれたのかもしれませんね」

「そうだったのですか……後でお礼を言わないと」


 そう言って鈴が石を仕舞おうとすると、その手を突然千尋が握って一歩近づいてきた。


「ですが、いけませんよ? 鈴さん。私以外の男から鱗を貰うなんて」

「え?」


 あまりにも千尋の声が静かで思わず鈴が息を飲むと、次の瞬間には千尋はいつものように笑う。


「なんて、冗談です。そうだ、私の鱗も渡しておきましょう。私は水龍なので楽の物とは真逆の作用をするんです。熱い時などは手首に当てると体温を下げてくれますよ」


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