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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「ちょっと! 変な事鈴に教えないでちょうだい!」


 さっきは反省したなどと言っていた菫だったが、やはり菫は菫だ。もう既に千尋にまでいつもの調子で食って掛かる。鈴はそんな菫を尊敬の眼差しで見つめてしまうが、千尋も千尋でさほど気にした様子もない。


「何も変な事ではありませんよ。それで、首尾はどうでしたか?」

「もちろん完璧よ。私を誰だと思ってるの?」


 何の話をしているのか分からないが、すっかり敬語が抜けた菫に千尋は満足げに頷いた。そんな千尋を見て、何故か鈴の胸がチクリと痛む。


 そんな鈴になど気づきもせずに二人の会話は続く。


「ありがとうございます、菫さん。やはりあなたに頼んで正解だったようです」

「返事も受け取ってきたから後で渡すわ」

「ええ、お願いします。どうしました? 鈴さん」

「え? あ、いえ! えっと、その……」

「何なの、鈴。はっきり言いなさい」

「あ、うん。その、何の話なのかなって……思っただけ」


 仲間はずれが嫌なのか、それとも千尋が菫と仲が良さげなのが嫌なのか、それともその逆か、自分でもよく分からない感情に鈴は戸惑っているのだが、そんな鈴を見て千尋と菫は顔を見合わせて苦笑いする。


「鈴さんの気にするような話ではありませんよ」

「そうよ。あんたは大船に乗ったつもりでいなさい」

「う、うん」


 一体何の大船なのだ? よく分からないが、二人はどうやら鈴に話す気はなさそうだ。しょんぼりと俯いた鈴の頭を千尋が撫で、手を菫が強く握ってくれる。嬉しいはずなのに、何だかそれが妙に寂しかった。

 

 

♠ 

 鈴と菫は汚れてしまった菫の着物を着替えさせる為に一旦自室に戻ったので、千尋は先に客間で待つことにした。

 

 それからしばらくして二人はお揃いの着物を着て居間にやってくる。


「お揃いか! いいじゃないか、二人共」

「ええ。まるで日本人形と西洋人形のようで可愛らしいです」

「そうですか? 菫ちゃんは顔立ちが整っているので何を着ても昔から似合うんです!」


 そう言って嬉しそうに微笑む鈴の隣で、菫は何だか居心地が悪そうだ。


「……可愛いのはあんたでしょ」


 ポツリとそんな事を言う菫の顔は耳まで真っ赤だ。そんな菫に鈴は嬉しそうにくっついている。そして菫もまんざらではなさそうだ。


 きっと幼い頃もこんな風に鈴は菫を可愛がっていたのだろう。


「二人共可愛いですよ。鈴さん、菫さんに伝えたい事があるのでしょう?」

「あ、はい。あのね、その……菫ちゃん、心配かけてごめんなさい。私が蘭ちゃんのお薬で食あたりになったばっかりに蘭ちゃんからの薬も無駄にしちゃって……でもね、今は菫ちゃんが持ってきてくれたお薬で私、元気だよって伝えたくて」

「薬に……あたった?」

「うん……確かに飲んでちょっとしたら気分が悪くなったから相当酷い食あたりだったのかも……」

「いや、それは――」

「菫さん」


 何かを言おうとした菫を、千尋はすぐさま制した。


 鈴には蘭の薬が猛毒だった事は伝えてはいない。できればその事は隠し通しておきたいのだ。それは恐らく菫もそう思っているはずだと思いながら菫を見ると、菫は口元に手を当てて口をつぐんだ。


 鈴はそんな千尋と菫を訝しげに見ているが、鈴が蘭を慕っている事をよく知っているので余計にその事は告げるべきではないと千尋は思っている。


 どう言い訳をしたものかと考えていると、突然雅が何かを思い出したかのように口を開いた。


「そう言えば鈴、あんた菫にゼリー作ってやったって言ってなかったか?」

「そうでした! 菫ちゃん、寒いけどゼリー……食べる?」


 鈴が不安げに言うと、菫はあからさまに目を輝かせた。


「この寒い中ゼリー? まぁこんな寒い時にゼリーなんて食べる人居ないでしょうから、た、食べてあげてもいいけど?」


 それなのに口ではやはり嫌味を言う。そんな菫に思わず千尋は苦笑いを浮かべてしまった。


「素直じゃないねぇ、あんたは。ここではもうそんな事しなくて良いって言ったろ?」

「そうですよ、菫さん。ここでは普通に接していいんですよ?」

「く、癖なのよ! 今更変えられないの!」

「いいんです、雅さん、千尋さま。これが菫ちゃんなので。菫ちゃん、ちょっと待っててね! すぐに持ってくる」

「ええ。あんたすぐこけるんだから走っちゃ駄目よ。こけたら食材が無駄になるでしょ」

「うん!」


 そう言って鈴は雅と共に部屋を出て行った。そんな二人を見送って菫は小さな息をついてお茶を飲んでいる。


「こけたら危ないからゆっくりでいいわよ、と何故言えないのでしょうね?」

「……うるさいわね。そうだ、今のうちにこれ」


 菫は懐から一通の手紙を取り出して千尋に渡してきた。手紙は何故か握りしめていたかのようにぐちゃぐちゃだったが、千尋はそれを受け取って素早く中を読んでにっこり微笑んだ。


「良かったです。これで鈴さんとの婚姻を進められます。ありがとうございます、菫さん」


 笑顔で言った千尋とは裏腹に、菫はどこか浮かない顔で言う。


「いいえ、どういたしまして。でも……追い出してくれて良かったのに」

「何故?」

「そうしたら私も父のご兄妹の所に行くつもりだったからよ。鈴と二人で」

「そうなのですか?」

「そうよ。言ったでしょ? 父は鈴を守るためにこの縁談を受けたの。神森家はきっと鈴を他の女たちのように追い出すだろうって思ってたから。そうしたら私は派手に暴れて佐伯家を勘当してもらおうと思ってたの。それなのに……まさか本当に決まっちゃうなんて、思ってもみなかった」


 そこまで言って菫は少しだけ視線を伏せた。もしかしたらこの手紙もギリギリまで千尋に渡したくはなかったのかもしれない。それは握りしめられた手紙が何よりも雄弁に物語っていた。


「幸せにします。必ず」


 菫を安心させるためとは言え、鈴の寿命が縮む事やこの先子供を持てない事を菫には説明出来なかった。それが千尋の胸に深く棘のように突き刺さる。


 そんな千尋の心など知らない菫は、それを聞いて俯いたまま頷いた。


「当然でしょ。鈴は私のたった一人の妹なんだから」

「ええ、そうでしたね。菫さん、手紙を持ってきてくれて本当にありがとうございました」


 千尋が菫に笑いかけると菫は驚いたような寂しそうな顔をして言う。


「私、あなたの事大嫌いよ。でも……鈴を選んだのは評価してる。だから絶対に鈴を泣かせないで。あの子はもう今まで十分泣いてきたの。これ以上の不幸は起こらないだろうっていうぐらいの不幸も乗り越えてきたの。これ以上、あの子を絶対に傷つけないで」

「はい。……約束します」


 以前の千尋であれば、約束という単語も何の躊躇いもなく口にする事が出来ただろう。


 けれど、今はこんなにも躊躇ってしまう。本当に鈴を幸せにする事が出来るのか。龍の花嫁になるという事は、果たして本当に幸せなのだろうか? 


 そんな事を考えそうになるといつも脳裏に浮かぶのは「誰かの為に役立てるのが誇らしい」と言った鈴の笑顔と、千尋に幸せになって欲しいと言った鈴の顔だ。


 考え込んだ千尋を見て、菫が小さな咳払いをした。


「気をつけてね、あの人と蘭に」

「ええ、承知しています」


 いつかは必ず会わなければならない相手だが、もしも二人が鈴にさらに手を出して来ようとするのであれば、容赦をするつもりはない。


「あの二人が鈴の存在を疎ましく思ってるのも知ってるし、父があの家を出たがっているのも知ってるけど、今から気が重いわ」

「そうなのですか?」

「ええ。父とあの人がどうして結婚に至ったのか私は何も知らないけれど、父は何か理由があってあの家に婿養子に入っているの」

「理由?」

「ええ。この手紙を預かった時、小さな声で呟いたのよ。もう少しだ、って。それがどういう意味なのか私には分からなかったけど、きっと何か隠してるに違いないわ」

「なるほど。どうやら私が思っていたよりもずっと佐伯家の闇は深そうですね」

「全くよ。私ですらうんざりするわ」


 そう言って菫は呆れたように肩を竦めてお茶を飲んだ。菫は思っていたよりもずっと実直で曲がった事が嫌いな娘のようだ。


「ところで、その……」 


 突然、菫が何か言いにくそうにモジモジしだした。そんな菫に千尋は首を傾げる。


「なんです?」

「えっと、あなた達って、その……」

「?」


 何だか煮えきらない菫に千尋が首を傾げると、菫は意を決したかのように口を開いた。


「本当にあれなの? 人間では……ないの?」

「ええ、違いますよ」

「で、でもどこからどう見ても人間……よね?」

「今は、そうですね」

「今は?」

「ええ。この姿は仮の姿なので。私の本体を見たいですか?」


 千尋がそんな事を言って菫をからかおうとしたその時、ようやく鈴と雅が戻ってきた。


「お待たせしました!」

「いやぁ~参った参った。一つだけまだ固まってなくてさ」

「おかえりなさい、鈴さん、雅」

「ちょ、ちょと待って! ねぇ、本体ってどういう事!? 仮の姿って!?」

「ん? 何の話してたんだい?」


 菫の反応に雅が尋ねると、鈴も隣で頷いているので、千尋は今までの会話を二人に説明した。すると、雅が笑って菫の目の前で猫の姿になる。


「これで納得したかい?」

「ね、猫が喋った!? あの時と同じ……夢じゃなかったのね……」

「可愛いよね! 猫雅さん! お布団に入ってもらうと凄く暖かいんだよ」


 そう言って鈴は雅を抱き上げて頬ずりをするが、少しだけそれが癪に触る千尋だ。


「鈴!? あ、あんたお化け怖いくせにそ、それは平気なの?」

「え? だって雅さんは生きてるからお化けじゃないよ?」

「それってなんだ! 失礼な奴だな!」

「そういう問題じゃないでしょ!? やっぱり駄目! 断固反対よ! こんな所に鈴は嫁がせない!」

「それはもう遅いですよ、菫さん。ご当主の意向も聞いてしまいましたから。あなたも鼻が高いでしょう? 親戚が龍神だなんて、滅多にありませんよ? 帰りにきちんとした書面をお渡しするので、ご当主にお渡ししてくださいね」

「い、嫌よ! そもそもそういう問題じゃないでしょ!」

「まぁまぁ、菫ちゃん。はい、ゼリー。菫ちゃんの大好きなみかん味だよ」

「え? みかん? 違う! 鈴、あんたも本気なの!? 今ならまだ間に合うのよ!?」


 みかん味に一瞬目を輝かせた菫だったが、すぐにそれどころでは無い事を思い出したかのようにハッとした。


 菫にそんな事を言われたら鈴が何と答えるのか気になった千尋がチラリと鈴を見ると、鈴は華が綻んだように笑う。


「うん、本気だよ。私ね、両親が亡くなった時にもう生きていけないって思ったの。でもね、叔父様が私を引き取ってくれて、菫ちゃんが私に本当の妹みたい接してくれてた。いつからかその関係も随分変わっちゃったけど、その時にいつか叔父様に恩返しをするっていう目標が出来た。そして神森家に来て、もう一つ目標が出来たんだ。ここの人たちは私に昔の事を思い出させてくれた。そしてこんな私でも良いって言ってくれる。こんなちっぽけな私で良いんだよって。だから今度は私が恩返しをするんだ。何よりも千尋さまはこの国をずっと守ってきてくれた。私は、そのお手伝いが出来るのが嬉しいんだよ」

「鈴……」

「鈴さん……」

「……バカな子ね、本当に……バカな子」

「うん」


 そう言ってにっこり笑った鈴を見て菫は泣き出しそうな顔をして、鈴が作ったみかんゼリーを食べて鼻をすする。それが泣きそうになるのを堪えた菫の精一杯だったのだろう。


「こ、これはこんな寒い日にゼリーなんて食べてるからよ!」


 案の定菫はそんな事を言ってみかんゼリーをあっという間に平らげてしまった。ずっと鼻をすすりながら。


「鈴さんはいつも誰かの為に生きているのですね」


 ポツリと千尋が言うと、鈴はキョトンとして首を傾げた。


「いいえ? 私は私の為に生きていますよ? 叔父様に恩返しがしたいのも、神森家に恩返しがしたいのも私のしたい事です」

「そうですか」

「はい!」


 雅じゃないが、鈴は本当に千尋には勿体無い娘だ。何にも興味が持てなくて、常に空虚だった千尋なんかが手を出しても良い娘ではない。きっと鈴にはもっと相応しい相手がいるはずだ。


 そう思うのに、もう手放せないと心が言う。渇望するようなこんな感情を教えてくれた鈴という少女は今や千尋の光だ。


「もしかしたら、あなたがここへやって来てくれたのは神からのご褒美なのかもしれませんね。今、とてもそう思います」


 静かに言った千尋の言葉に菫と雅は何とも言えない顔をしたが、鈴だけは頬を染めて恥ずかしそうに俯く。


「そ、それは私の方です。ずっと私は運が悪いのだと思っていましたが、千尋さまのような方の所に嫁げる私は、とびきり運が良いと思うので」

「!」


 あまりにも素直にそんな事を言う鈴に思わず千尋が手で顔を覆ったが、その途端に雅と菫が叫ぶ。


「だから! あたし達は一体何見せつけられてんだ!」

「本当よ! そういうのは他所でやってちょうだいよ!」

「聞いてくれるかい? 菫。こいつらいっつもこんな感じなんだよ!」

「そうなの? 嫌ね、はしたないわ。そういうのは二人きりの時にするものじゃないの?」

「あたしもそう思うんだけど、二人きりにしたらしたで危なそうだろう?」

「それはそうね。鈴、言っておくけど結婚をするまでは本来は手も繋いじゃいけないんだからね? 普通はお見合いの時と結納の時に初めて顔を合わせるのよ? ここは特殊だから仕方ないけど、あんたちゃんと毅然とした態度で居なきゃ駄目だからね」

「う、うん」

「そうだぞ、鈴。世の中大分大らかになってきたけど、本来なら街さえ男女で歩く事は許されないんだからな!」

「は、はい」

「二人共、どうしてそんな必死になって私と鈴さんの邪魔をしようとするのです?」

「邪魔じゃないわ。常識を教えているのよ」

「そうだよ。何が邪魔だ。むしろ大分目を瞑ってるだろ」


 この二人はどうやらとても気が合うようだ。こと、鈴の事に関しては。


 千尋が肩を竦めて苦笑いを浮かべお茶を飲むと、そんな様子に突然鈴が笑い出した。


「なによ?」

「どうしたんだい?」

「いえ、何だか夢みたいだなって。ここに菫ちゃんが居る事も、菫ちゃんが雅さんと仲良しなのも、何故か千尋さまに食って掛かる事も……夢みたいで嬉しいなって」

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