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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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 千尋はそう言って鈴が修繕した祠を感慨深そうに見つめている。


「お、お礼を言うのはこちらです! そんな事を忘れてしまうほど、千尋さまは長い間この国を守ってくださっていた。どれほど感謝をしてもしきれません」

「感謝されるような事は何もしていませんよ。私が居なくてもこの国は安泰だったと思いますから。最初の頃は何をやっても上手くいかず、飢饉や疫病に手を焼いたりもしましたが、少し力を貸すだけで人々はそれを自分たちで切り抜けました。私はその時に初めて思ったのですよ。地上の生物というのはこうも逞しいのか、と。それまで地上の生物をか弱くひ弱な生き物だと実に龍らしく考えていた私ですが、その考えは一変しました。きちんと責任を果たしこの国を守ろうと」

「そうなのですか?」

「ええ」


 さらりとそんな事を言う千尋に鈴は思った。どうして今まで皆はこの人の事を情緒が無いと、愛が無いと言えたのだろうか。


「やっぱり千尋さまは愛情深いと思います。とても」


 鈴がポツリと言うと、千尋は少しだけ笑って鈴の頭を撫でてくれた。


「ですが、そのために私は沢山の花嫁を犠牲にしてしまいました。だからそんな風に言われるのは少し心苦しいですね」

「そんな事はありません、千尋さま。花嫁達は皆、穏やかな最期を迎えられたのでしょう? それはきっと、お役目を終えた事を誇りに思っていたからに違いありません。だって、国を守るという大役を務める事が出来たのですから」


 それはどんなに誇らしかっただろうか。最初は怖かったかもしれないけれど、きっと最後は皆そんな風に思っていたに違いない。千尋と居ると、何故か自然とそう思えてくるのだ。


 それを千尋に伝えると、千尋は泣き出しそうな寂しそうな顔をして言う。


「正直に言うと、鈴さんにはあまりそうなってほしくないのですよ」

「どうしてですか?」

「もっと長くあなたと居たいからですよ。今までの花嫁がどうでも良かった訳ではありませんが、あなたは……失いたくないです」

「……千尋さま……」


 千尋は少なくとも鈴に好意を持ってくれているのだろうか? それとも千尋はもっと違う意味でそんな風に言っているのだろうか?


 鈴だって千尋や雅達と少しでも長く居たいが、人と龍では寿命が違いすぎてそれはきっと叶わない。


 戸惑う鈴に千尋が一歩近寄ってきた。鈴が無言で千尋を見上げると、不意に千尋に抱き寄せられる。


「千尋さま?」

「もう少しだけ、このままで」

「……はい」


 鈴はそっと千尋に体を預けた。千尋の長い髪が鈴の頬に触れ、心地よく聞こえてくる千尋の心音に鈴はそっと目を閉じる。


 どれぐらいそうしていたのか、ようやく千尋が鈴を放した。


「少し感傷に浸ってしまいましたね。ところで鈴さん」

「はい?」

「もしかしてこの花も鈴さんが?」

「あ、はい。毎朝朝食の後にここにお花を替えにくるんです」

「そうなのですか。明日から私もご一緒してもいいですか?」

「もちろんです! きっと祠も千尋さまの爪も喜びます」


 鈴が笑顔で言うと、千尋は苦笑いをして言う。


「いえ、爪は喜びませんよ。それにしても、そろそろ爪も変えた方がいいでしょうか。どれ」


 そう言って千尋はその場にしゃがんでおもむろに祠を開けた。そして中からあの金色の袋を取り出すと、鈴が止める間もなく袋を開けて中身を取り出す。


「ひえっ!」


 小さい頃から見てはいけないと言われていた物なので思わず鈴が小さな悲鳴を上げて両手で目を覆うと、下から千尋の笑い声が聞こえてくる。


「見てもいいですよ、鈴さん。本当に何の変哲もないただの爪ですから」

「で、ですが何かバチが当たったりしませんか!?」

「私が鈴さんに罰など当てる訳ないでしょう? ああ、やっぱり大分劣化してますね」


 千尋がそんな事を言うので、とうとう鈴は好奇心に負けて目を開け、千尋の隣にしゃがんで龍の爪を覗き込む。


「わぁ! やっぱり凄く大きな爪です!」


 袋の上から触った感じで分かっていた事だが、実際目の当たりにするとその大きさに驚いてしまう。何よりも深い青色の爪はツヤツヤと輝き、まるで宝石のようだ。


「これが劣化しているのですか?」

「ええ。私の爪は新鮮な状態だと半透明なんです。あなた達と同じように。ですが、長い時間が経つとこんな風に石化してきてしまうのですよ」

「こ、これは石化しているのですか!? 宝石みたいに綺麗なのに」

「宝石ですか。そんな風に見えますか?」

「はい。とても綺麗です」

「ではこの爪は鈴さんに差し上げましょう。どうぞ」


 そう言って千尋は鈴の手のひらの上に大きな宝石のような爪を置く。


「え!? で、でもそうしたら祠の中が空っぽになっちゃう……」

「大丈夫ですよ。ちゃんと明日までに爪を切ってきますから。明日の朝、一緒にそれを祠に入れましょう」

「は、はい!」


 そんな場面に立ち会えるなんて、なんて運が良いのだろう! そんな事を考えながら思わず笑顔になってしまった鈴を見て、千尋が申し訳なさそうに笑みを浮かべる。


「すみません。何だか爪でそんな一喜一憂させてしまって」

「いいえ! とても貴重な物なので大事に――」


 そこまで言って鈴はふと思った。この爪を、菫にやってはいけないだろうか、と。


「鈴さん? どうかしましたか?」

「あ、いえ……その、この爪なんですが」

「ええ」

「菫ちゃんにあげても……いいですか?」

「菫さんに? それはもちろん構いませんが、どうしてです?」

「菫ちゃんにも幸せになって欲しいのと、今までのお薬のお礼も兼ねて何か渡したいなって思ったんです。でも私、手持ちもあんまり無いですし……」


 そう言って鈴が視線を伏せると、千尋はそれを聞いて苦笑いをする。


「お礼が私の爪で喜びますか?」

「わ、わかりませんが、菫ちゃんは小さい頃よく私にドラゴンの話が聞きたいと言っていたのでドラゴン好きかなって……駄目でしょうか?」

「鈴さん? 私は龍ではありますがドラゴンとは似て非なるものだとあれほど……いえ、構いません。ドラゴンも龍も元は同種族ですから。それに、それは鈴さんに差し上げた物です。鈴さんが好きにして良いのですよ」


 笑顔でそんな風に言ってくれた千尋に頭を下げると、鈴は胸にしっかりと龍の爪を抱いた。


「ありがとうございます! 菫ちゃん、喜ぶかなぁ」


 ふと脳裏に過ぎったのは、フイとそっぽを向きながら手を差し出してくる菫の姿だ。菫はいつも口では嫌味を言いながらも、耳まで赤くしておねだりをしてくる。


 当時は真面目に菫の嫌味を受け止めて悲しんでいたりしたが、毎月の薬や毎日の朝食は菫だったのだと分かってから、途端に菫の嫌味が愛おしく思えてくるのだから単純なものだ。


「そうだ、雅に聞きましたよ。菫さんを今度招待するそうですね」

「はい! あ、えっと……構いませんか?」


 そんな事を鈴が勝手に決めるわけにはいかない。そう思って千尋を見上げると、千尋はいつもの笑顔で言う。


「もちろん。それに彼女はもう私達の正体も知っていますよ」

「え!?」

「鈴さんが倒れた時にどうせ記憶を消すのだからと思ってお伝えしたのですが、結局彼女の記憶は消さなかったので」

「し、信じていましたか?」

「どうでしょうね? ただあの状態の鈴さんが助かったのを目の当たりにしたので、流石に多少は信じてくれているのではないでしょうか」

「そうですか……そんなにも酷かったのですね……」


 酷い食あたりというのは本当に一歩間違えたら怖いのだなと鈴が考えていると、そんな鈴の頭を千尋が撫でる。


「助かって良かったです、本当に」

「……はい。ありがとうございました」


 千尋は多くは語らなかったが、その言葉でどれほど鈴が危なかったのかが分かってしまった。

 

 それから2日後、菫はたった一人でバスに乗って午前中に神森家にやってきた。手紙を出してからあまりにも早い菫の行動に、鈴が驚いてしまったのは言うまでもない。


「それだけあんたの事が心配で仕方なかったんだろうさ。おまけにとんだ天邪鬼だ。あんたが目覚めたって手紙を書いたけど、あんたから手紙が来るまで会えないだなんて返事を寄越したんだよ」


 雅はバス停まで迎えに行った弥七を送り出して戻ってくると、おかしそうに言った。そんな雅に鈴も頷く。


「菫ちゃん、口は悪いけど心配性なんです。昔風邪を拗らせて寝込んだ時なんて、毎日嫌味を言いながらも顔を見に来てくれていました」

「嫌味を言いながらって、あの子も苦労したんだろうね。まぁいいさ。これからは仲良くやんなよ」

「はい!」


 鈴はそう言って神森家の門扉から菫の到着を今か今かと待ち侘びていると、しばらくして曲がりくねった山道を一台の車が登ってきた。


「来た! 菫ちゃーん!」


 嬉しくて思わず昔のように叫んだ鈴の声が聞こえたのかどうかは分からないが、車のスピードが少しだけ上がって門扉の前で停車すると、車から顔を般若のようにした菫が降りてきた。


「あんたはまた! どうして少しはお淑やかに出来ないの!」

「ごめんなさい! 今開けるね!」


 いつもの菫のお小言も全く気にならないくらい、鈴は菫がここに来てくれた事が嬉しくて仕方なかった。


 門扉を開けて堪えきれずに鈴が菫に飛びつくと、菫は鈴を支えきれずにそのまま後ろに倒れて尻もちをついてしまう。


「ちょ、ちょっと! 着物が汚れたじゃない!」

「ごめんね、菫ちゃん。本当にごめんなさい」

「……何よ、反省してるのならいいのよ」


 菫は抱きついてきた鈴を突き放したりはしなかった。それどころか、尻もちをついて着物が汚れたと言う割にはいつまでも立ち上がろうとはしない。それは、鈴が菫の着物を掴んで泣き出してしまったからだ。


「もう、何なのよ。しょうのない子ね」

「……うん」


 鈴はそう言って菫の胸で泣いた。菫の声があまりにも優しくて、それが余計に鈴の胸を締め付ける。


「まだ居たのか。ほら、二人共こんな所でいつまでも戯れてないで、さっさと中に入ったらどうだ?」

「あ! あんた! さっきはよくもわざと車を揺らしてくれたわね!」


 いつまでも門扉の所に居る鈴達は車を置きに行っていた弥七に注意されてしまったのだが、何故か菫はそんな弥七を睨んで指を指して怒鳴っている。


「それはこっちのセリフだ。うちの愛車にケチつけやがって」

「車にはケチなんてつけてないわよ! あんたにケチつけたのよ! この下手くそ!」

「はあ!?」

「何よ! 本当の事でしょう!?」

「ちょ、二人共そんな喧嘩しない――」

「鈴は黙ってろ!」

「鈴は黙ってて!」

「は、はい」


 咄嗟に仲裁に入ろうとした鈴は、結局二人に怒鳴られてすごすごと一歩下がる。そこへ後ろから静かな足音が聞こえてきた。


「皆さんこんな所で何を騒いでいるのですか?」

「千尋さま!」


 救世主だ! 鈴は優雅に歩いてくる千尋に駆け寄ると、その手を引いて菫と弥七の所までやってきた。


 鈴ではこの二人の喧嘩は止められない。ここは当主の千尋にビシっと言ってもらおうと思ったのだが、当の千尋は鈴が繋いだ手をじっと見て何故か微笑んでいる。


「鈴さんから手を取ってくれるなんて、一生無いかと思っていました」

「え?」

「だって、あなたは以前そう言っていたでしょう?」

「あ、それは……」


 言った。確かに言ったが、これもカウントされるのか? そんな事を考えながら千尋を見上げると、千尋はとても嬉しそうな顔をしている。


「ちょっと、客が来てるのにそういう雰囲気醸し出さないでくれません?」

「……おかげでちょっと頭が冷えました……」


 この場には不釣り合いすぎる千尋ののほほんとした態度に、今まで喧嘩をしていた菫と弥七の喧嘩がピタリと収まった。


「千尋さま、凄い」


 思わず鈴がポツリと言うと、千尋は首を少しだけ傾げてから菫に視線を移して言う。


「ようこそ、神森家へ。改めて歓迎しますよ、菫さん」

「お招きいただきありがとうございます」

「おや、この間の調子で話してくれて良いのですよ?」

「……いえ。あの時は私も取り乱していて不躾な態度を取ってしまったと反省しています」

「そうですか? あまりそんな風には見えませんけどね?」

「これでも反省してるんです!」


 意地になって言い返す菫を見て千尋はおかしそうに笑うと、鈴の手を引いてゆっくりと歩き出した。


「玄関はこちらです。寒いのでそろそろ入ってきてください。何よりもお茶の準備をしている雅がそろそろ痺れを切らせそうですから」


 そう言って歩き出した千尋に引っ張られながら、鈴は首だけで振り返った。


「雅さんのお茶はね、すっごく美味しいんだよ! 菫ちゃん、早く!」

「そうなの? 雅ってあの綺麗な女の人?」

「うん! 凄く優しくて良い人なんだ」


 雅を綺麗だと言われた事が嬉しくて思わず鈴が微笑むと、そんな鈴を見て菫は呆れたような顔をする。


「あんたは相変わらずね。同じ屋敷にあんな美人が居ても優しくて良い人とか言っちゃうんだもの」

「?」


 菫が何を言わんとしているのかよく分からなくて鈴が首を傾げると、鈴の代わりに千尋が答えた。


「そうなのですよ。鈴さんは少しも妬いてくれないのです。菫さん、どうか鈴さんにもっと言ってやってください」

「それが鈴の良い所ですから。それが分からないなんて、あなたもまだまだなんですね」

「す、菫ちゃん?」

「随分と挑発してきますねぇ。どうやら私の一番の壁はあなたのようです」

「千尋さままで! 二人して一体何の話をしてるのですか?」


 どうして今度は菫と千尋が険悪になるのだ! もうよく分からない! 混乱した鈴の手を菫が取った。


「行くわよ、鈴。前にも言ったでしょ? 結婚もしていない男性と手を繋いだりするのははしたないのよ」

「そうだった!」


 蘭にもあれほど注意されたと言うのに、ついうっかりいつもの調子で千尋と手を繋いでしまった。元々はイギリス育ちだからそんな事に何も思わなかったが、ここは日本だ。おまけに雅にも人前で戯れるなと叱られているというのに!


 鈴が困惑したように千尋を見上げると、千尋は肩を竦めて鈴の手を放した。そして屈んで鈴の耳元で言う。


「では、結婚したら誰にも構わず手を繋いでくれますか?」


 と。その言葉に鈴は耳まで真っ赤にして、戸惑ったように頷く。


 それが聞こえたのか、菫が眉を吊り上げた。


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