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意味は分からなくとも鈴がどんな思いを込めてあの歌を歌っているのかは楽にも分かる。
楽は視線を伏せてその場に座り込んだ。
「喧嘩したんだろ? 鈴と」
「喧嘩じゃねぇよ」
「喧嘩だよ。この土地に神様は千尋さまただ一人。それ以外の生物はあの方が守護する生物に過ぎない。お前もな」
「……」
それは龍の都に居てもそうだった。楽は千尋が守ってくれていたのだ、ずっと。
「な? 喧嘩だろ? 早く謝れよ。鈴が怒るなんて俺たちでも見たこと無いんだ。絶対にお前がやらかしたに違いないんだよ」
「決めつけんなよ」
「しょうがないだろ。俺たちは皆、鈴の味方だ。お前も龍人の誇りが少しでもあるのなら、ちょっとはそれらしく振る舞う事だな」
「どういう意味だよ」
「俺たちを空の上から眺めて見下してるんなら、少しは余裕持てって言ってんだよ。余裕なく普段見下してる人間なんかを相手に喧嘩してるようじゃ、お前はそれと同類でしか無いって事だ。ちなみにもっと龍人の誇りがあるんなら、千尋さまみたいに人間を愛せるぐらいにならないとな? 龍は何せ愛情深いそうだから」
「知った口利くなよ。龍は唯一無二の種族だ」
「それを言ったら俺だって唯一無二の種族だし、人間だってそうだ。お前に料理が出来んのか? お前にあの歌が歌えんのか? お前は鈴の何に勝ってるんだよ?」
「……」
遠慮のない弥七に楽はとうとう言葉を失った。千尋は偉大だ。流星も、伊吹だって。
けれど、自分はどうだろう? 弥七の言うように龍人であるという事以外何もない。何も出来ない。せいぜい千尋の都の屋敷を修繕するぐらいだ。そんな事は人間にだって出来る。
「俺は……俺は……」
何も思いつかなくて楽は膝の間に顔を埋めた。そんな楽を慰めるように鈴の美しい歌が聞こえて来た。
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本当はいつまでも鈴の歌を聞いていたいが、流石の鈴も疲れたようで心音が乱れ始めた。
「とても楽しい時間でした。ありがとうございます、鈴さん」
そう言って最後の曲を弾き終えてバイオリンをケースに仕舞うと、鈴が頬を上気させて嬉しそうに頷く。
「はい! また弾いてくださいね、千尋さま」
「もちろんです」
にっこり微笑んで千尋が返事をすると、鈴はまた嬉しそうに微笑む。そんな顔を見るだけで胸が締め付けられるように痛むのが不思議だ。
「そう言えば千尋さま、今日はどうしてこんな所でバイオリンを?」
「仕事の合間の休憩にと思いまして。本当は2、3曲弾いたら戻るつもりだったんです」
「……え」
それを聞いて鈴はすぐさま青ざめて頭を下げる。
「す、すみませんでした! つい調子に乗って沢山付き合わせてしまいました!」
「ふふ、冗談です。最初はピアノを弾こうと思っていたのですが、今日は久しぶりに天気も良くて暖かかったので、何となく外で弾きたくなったのですよ」
「じょ、冗談……ほ、本当ですか?」
「本当です。だからそんな顔をしないでください」
少し冗談を言って鈴の困った顔が見たかっただけなのだが、思いのほか鈴は青ざめていたので千尋はすぐさまその冗談を取り下げた。素直な鈴らしいと言えば鈴らしい。
「そうですか……良かった……」
「すみません。お詫びに鈴さんを良い所に案内してあげましょう」
「良い所?」
「ええ。私のお気に入りの場所です」
千尋はそう言って立ち上がると、いつものように手を鈴に差し出す。そんな千尋の手に、鈴がそっと控えめに手を乗せてきた。最近は以前のように指先だけではない。そんな些細な事を嬉しく思いながらも、そっと鈴の指に自分の指を絡ませる。
「あ、あの、どうして指を交互にするのでしょう?」
「え? いけませんでしたか?」
「いけなくは無い……ですが、蘭ちゃんいわく、男女はあまり一緒に居てはいけない、と。触れるなど以ての外だと……」
緊張したようにそんな事を言う鈴に、千尋は目を細めた。
「外では男女がこんな風に手を繋いだりするのはいけない事のようですが、敷地内では誰も文句は言いません。それに、こうして手を繋ぐとあなたの体調がよく分かるのですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。そろそろ私の力も切れてきたようです。薬を飲みましたか?」
「! はい、昨夜ですが」
鈴はそう言って驚いたような顔をして千尋を見上げてきた。その顔にはありありと、本当に体調が分かるのか! と書かれている。
「そうですか。来てくだされば良かったのに」
「ですが、深夜だったので……」
「起こしてくれていいのですよ、そんな時は」
「そ、そんな事は出来ません!」
鈴は驚いたように両手を振ってそんな事を言うが、千尋からすれば千尋の知らない所で痛みを鈴が我慢していると思うと気が気ではない。
「心配なのですよ、あなたが」
珍しく千尋が真面目な顔をして言うと、鈴はようやくコクリと頷いた。
「でも、深夜にはやっぱり無理です。なので、それ以外の時間で痛みだしたら……お願いします」
「ええ、分かりました」
何なら本当はあの蔵で一晩過ごした時のように一緒に眠りたいぐらいだが流石にそれは言えないし、そもそも自分の気持ちを自覚した時点で鈴に手を出さないという自信が無い。
「はぁ……私は比較的無欲だと思っていたのですがねぇ……」
まさか誰かにこんなにも惹かれるとは思ってもいなかった。以前は流星にそういう欲もあまり無いなどと言っていたのに、それはただ単にそういう欲を知らなかっただけだと思い知る。
「?」
千尋の言葉に鈴が不思議そうに首を傾げた。
「いえ、こちらの話ですよ。さあ、行きましょう」
千尋はそう言って鈴の手を引いて歩き出した。その後を鈴がついくるが、どうせなら隣を歩きたいので、歩調を鈴に合わせる。
他人に合わせる事を龍はしないはずなのに、誰かを愛しいと思っただけでこんな風に自分が変わるだなんて思ってもいなかった。
鈴の手を引いて屋敷の裏にある森に入ると、真っ直ぐに太古の木を目指す。
「千尋さま、もしかしてあの大きな木ですか?」
「おや、知っていましたか」
「はい! 年末に祠を掃除しに行った時に途中にあったので弥七さんに教えてもらったんです。確か千尋さまがこの地に降りてきた時に植えた木なんですよね?」
「ええ、そうなんです。私が降りてきた時、ここはまだ草むらでした。それがあまりにも寂しくて木を植えたんですよ。そうしたらどんどん大きくなってしまって」
そう言って千尋が目を細めると、鈴も嬉しそうに聞いている。鈴は何の話をしてもこんな風に楽しそうに嬉しそうに聞いてくれるので、ついつい色んな話をしてしまう千尋だ。
「凄く立派で感動してしまいました。ここがまだお社だった頃は沢山の方が見に来られていたのですか?」
「どうしてそう思うのです?」
「しめ縄がしてあったので、誰かがつけたのかな、と」
「そうですか。昔は確かにあの木こそが龍の本体だと思われていた時期もありましたね。ですが未だにしめ縄がありましたか?」
「はい。朽ち果ててロープだけになっていたので直しておきました!」
得意げに言う鈴を見て千尋は目を細めた。鈴は本当にちゃんと管理をしてくれているようだ。千尋がもうとっくの昔に閉じてしまった祠まで修理をしてくれたと雅が言っていた。こんな風に誰かに思われるのは、初めての事だ。
「後で鈴さんが修繕してくれた祠も見に行きましょう。さあ、つきましたよ」
そう言って千尋が止まると、鈴も目の前の大木を見上げて感嘆のため息を漏らしている。木には確かに拙いながらも愛情のこもったしめ縄が巻いてあった。
「何度見ても大きいですね」
「そうですね。でも、この木を見せたい訳ではないのですよ。ちょっと失礼します」
「へ? ひゃぁ!」
千尋は断りを入れて鈴を横抱きして言う。
「しっかり捕まっていてくださいね」
「え? 一体何を――っ!?」
鈴が言い終える前に千尋は力強く大地を蹴った。龍人の跳躍力は龍の時ほどとはいかなくても、はるか高くまで飛び上がる事が出来るのだが、それを知らなかった鈴は千尋にしがみついて目をつぶっている。
やがて千尋のお気に入りの枝までやってくると、千尋は鈴を抱いたまま枝に腰掛けた。
「もう目を開けてもいいですよ、鈴さん」
「は、はい……え……わぁぁぁ!」
「どうですか? 良い眺めでしょう?」
「はい! 凄い! ここから街が見渡せるのですね!」
「ええ。疲れた時や一人になりたい時なんかはここへ来て、こうして街を見下ろすんです。日に日に発展していく街を見下ろしていると、不思議と明日も頑張ろうと思えるのですよ」
言いながら千尋は眼下に広がる街を見下ろした。
街など何も無かった所に人が住み始め、それが少しずつ大きくなってやがて小さな町になり、さらに発展してようやくここまで大きくなった。
その過程を見ていると自分のやっている事は無駄ではないのだと思えてまた仕事場に戻るのが常だったのだが、ふと鈴を見下ろすと、鈴は感動したように目をキラキラさせて街を見ている。
「気に入りましたか?」
「はい! とても! あそこらへんが佐伯家でしょうか」
「位置的にはそうですね。こうやって見てみると鈴さんは随分遠い所から嫁いで来られましたねぇ」
豆粒よりもまだ小さいのではないかと思うような所から、鈴はたった一人で風呂敷一つだけを持って神森家にやってきた。今までそんな花嫁は居なかったので最初は流石の千尋も驚いたが、それでも最初から鈴の青い目には強い意志が宿っていたのを、千尋は今もよく覚えている。
「そうですね。神森家と聞いて一番にしたのは行き方を調べる事でした。バスに乗るのも人力車に乗るのも初めてで、やっぱりお迎えを断らなければ良かったと、ここへ到着するまではずっと思っていましたよ」
「そうなのですか?」
「はい。だって、どんどん山の中に入って行くし、街灯も暗くなってくるし、それこそ、その……」
「お化けが出そうだし?」
「そうなんです! 人力車に乗っていたのは私一人だけだったのですが、気づいたら隣に誰か居たらどうしよう、とか、実は運転手さんがお化けだったらとかそんな事ばかり考えてしまって……」
「ふふ、そんな事を考えていたのですか? もっと他にも心配する事はあったでしょうに」
「いえ、それまでは確かにこれからどうなるんだろう、とか考えていたんですが、気づいたらお化けの事で頭がいっぱいでした」
困ったように笑う鈴を見て千尋も思わず笑ってしまった。神森家に嫁ぐ事よりも道中お化けの事で頭がいっぱいだったという鈴が可愛くて仕方ない。
「だったら迎えに行った狐たちを見てさぞかし驚いたでしょう?」
あれこそぱっと見驚いたのではないか。千尋がそう思いながら尋ねると、鈴は何かを思い出したのか首を振る。
「確かに驚きはしましたが、妖精の類だと思えば大丈夫でした」
「妖精というよりは妖怪ですが、お化けは怖いのに妖怪は怖くないのですか?」
「はい。妖怪はだって生きているので。お化けはその……もう亡くなってるじゃないですか……」
そんな鈴の言葉を聞いて千尋はたまらずに吹き出してしまう。
「なるほど。鈴さんは亡くなっていると怖いのですね!」
「はい……特に日本のお化けは怖いです」
「イギリスのお化けと何か違うのですか?」
「私も見たことは無いのですが、イギリスのお化けは音を出したりするんです。でも日本のお化けは何ていうか、ひっそりと佇んでるとかなのですよね?」
「そうなのですか? 私も見たことが無いので何とも言えませんが、確かにひっそりと佇んでいるのは怖いかもしれません」
「そうでしょう? 私はその話を蘭ちゃんから聞いてからというもの、蔵で寝るのがそれはもう怖くて!」
何かを思い出したのか、鈴の心拍数が上がった。そんな鈴を少しだけ強く抱きしめて千尋は言う。
「大丈夫ですよ、鈴さん。私と居ればお化けも寄ってきませんから」
「そ、そうですよね! 千尋さまの前に現れたら召されちゃいますから! 良かった……これでもう一生お化けには会わないかもしれません」
心底ホッとしたと言いたげな鈴に千尋は声も無く笑う。
お気に入りの場所に鈴を連れてきて取り留めもない会話で笑って、そんな時間がこんなにも幸せだなんて、今まで知らなかった。
「また来ましょうね、鈴さん」
「はい! あ、でもその度に千尋さまに抱っこをさせてしまうのは忍びないです。次来るまでに木登りの練習をしておこうと思います!」
「ふっ……自力で上がってくるつもりですか?」
そう言って拳を握りしめた鈴を見て思わず千尋が笑いを漏らすと、鈴はキョトンとして千尋を見上げてくる。
「はい。だって、重くないですか?」
「重くなど! 木登りは万が一の事を考えると危ないのであなたは大人しく抱かれていてください。さて、ではそろそろ降りましょうか。あなたの直してくれた祠を見に行かないと」
「……はい」
少しだけ不服そうな鈴に千尋はもう一度笑うと、鈴を抱えて今度は木から飛び降りたのだが、やっぱり降りる時も鈴はギュッと目を瞑っていた。
♥
千尋に横抱きにされて木から降りると、今度は二人で祠に移動した。
ここに来るならお供物を持ってくれば良かったと思ったが、今朝花を変えた所なので今日の所は良しとしておく。
「これは驚きました。本当に綺麗に修繕してくれたのですね!」
千尋は鈴が修繕した祠を見て驚いたように目を丸くしている。そんな千尋に鈴は少しだけ胸を張った。
「頑張りました! 佐伯家に居た時は屋敷のちょっとした修繕なら私がしていたので! 色は弥七さんに手伝ってもらったんですよ」
「そうでしたか。ありがとうございました。祠も喜んでいますよ、きっと」
「はい!」
祠に祀られるべき本人にそう言ってもらえると、ここまで頑張った甲斐があったというものだ。
「この祠は実を言うと私が降りた場所に立っているのですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。都を追放された時、私はここに落とされたんです。ここから全てが始まった。ですからこの祠だけは残していたのですが、いけませんね。長い時の中でそんな事を忘れて随分長い間放置してしまっていました。鈴さん、ありがとうございます」




