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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「そうですね……最初はやっぱり戸惑いましたよ。でも鈴さんは率先してお手伝いに来てくださいましたから、それほど困りはしませんでしたね」

「あの時は喜兵衛さんが緊張している私に色々聞いてきてくださったので。その節は本当にありがとうございました」

「ははは、今お礼言うんですか?」

「いつも思っていますよ!」


 笑う喜兵衛に鈴も同じように笑うと、いつものように二人で手分けして6人分の食事を作った。


 夕食時、千尋が楽に声をかけたようだが、楽は与えられた自分の部屋から出てくる事は無かったそうだ。


 鈴は大好きなメンチ・ボールを前にすっかりしょげ返っていた。


「鈴さん、食事する時はもっと楽しい事を考えた方が良いですよ。でなければせっかくの料理の味が半減してしまいます」

「そ、そうですね! 失礼しました!」


 千尋の言う通りだ。食事をする時にごちゃごちゃ考え事をしているのは、一緒に食べる人にも作ってくれた人にも食事にも失礼だ。


 鈴が顔を上げると千尋はにっこり微笑んだ。


「今日もとても美味しいです、鈴さん」

「良かったです! 実は、今日のソースはいつものソースを少しだけ改良してみたんです」

「そうなのですか? 言われてみればいつもよりも酸味が少ないような気がしました。合ってますか?」

「はい! さすが千尋さまですね! お酢は今回は少なめにして、お砂糖の代わりに――」


 鈴が今日の料理について話すと、千尋は相変わらずニコニコしながら話を聞いてくれる。時折頷いたり相槌を打ったりしてくれるので、ついつい鈴はお喋りになってしまうのだ。


 食事を終えてデザートのゼリーを食べながら、千尋がポツリと言った。


「今までね、食事の時間なんて本当に5分とか10分とかだったんですよ」

「そう言えば以前はお仕事しながら食べていたと仰っていましたもんね」

「ええ。ですが鈴さんが来てからきちんと決まった時間に食事をして、ゆっくり食べるようになったんですよね」


 そこまで聞いて鈴はハッとした。もしかしたらそのせいで千尋は最近仕事を溜め込んでいたのではないだろうか? と。


「も、もしかしてご迷惑……でしたか? そのせいでお仕事が滞っているとか……」


 千尋に迷惑をかけたくないと思いながらも、ズルズルと千尋の優しさに甘えていただけだとしたら……。そこまで考えて鈴が青ざめると、そんな鈴を見て千尋は笑った。


「まさか! 確かに最近仕事が立て込んでいましたが、この時期は大体毎年そうなのですよ。春になったら一斉に冬の間に出来なかった事業が再開しますから。違うんです。こうやってゆっくり食事をしたり、あなたとこうして話す時間を取る事で、私は随分癒やされていると言う事に気づいたと言いたかったのですよ」

「それは私もですよ、千尋さま。誰かと食事をするという楽しさを思い出させてくれたのは、他の誰でもなく、千尋さまです」

「そうですか。それは良かった。あなたは料理の説明をする時には特に目が輝きます。私はそれを見ているのが好きなので」

「! あ、ありがとうございます」


 真正面からそんな風に言われると、恋愛音痴の鈴でも流石に恥ずかしくなってしまう。


「あと、歌っている時や踊っている時も好きですよ。それから――」

「はい、ストーップ! そういうのはこっそりやんなって言っただろ!」

「雅さん!」


 突然始まった千尋の褒め殺しに鈴は真っ赤を通り越して青くなって雅にしがみついた。そんな鈴を見て千尋は困ったように笑ってポツリと言う。


「う~ん……加減が難しいですね」


 と。


 一体何の? とは聞かなかったが、こんなにもいっぺんに褒められる事が無かった鈴からしたら、既に一生分褒められたような気持ちだ。


 食事が終わってやっぱり楽の事が気になった鈴は、文字の練習も兼ねて楽に手紙を書いた。食事は炊事場においてあるのでお腹が空いたらたべてください、と。


 それから炊事場に行ってお櫃に残っていたご飯をおにぎりにして楽の夕食と一緒においておいた。


「楽さん、これで食べてくれるかな……」


 そんな事を呟いて鈴は布団に潜り込む。鈴が倒れた時に千尋が流し込んでくれた力は、いつもの治療よりもずっと長く効いている。


 おかげで鈴はこの半月ほど一度も薬を飲むことはなかったのだけれど、今日は少しだけ背中がじくじくと痛み始めた。


「……どうしよう……」


 薬を飲むべきか、千尋にお願いするべきか。ちらりと部屋の柱時計を見ると、既に深夜を回っている。千尋が大体何時ぐらいまで起きているのかは分からないが、時間を見て鈴は結局引き出しの中から千尋に貰った薬を取り出した。


 その隣に鈴が意識を失っている時に菫が持ってきてくれたという、いつもの薬が並んでいる。目覚めた時に雅から全てを聞いた鈴は、千尋の薬を飲んでから菫に貰った薬を取り出してそれを胸に抱えた。


「ごめんね、菫ちゃん……私ずっと蘭ちゃんだと思ってたんだ……でも、菫ちゃんだったんだね……毎日の朝ごはんも、菫ちゃんだったんだね……」 


 表向きには蘭の方が鈴にははるかに優しかった。


 けれど、今じっくりと佐伯家に居た時の事を思い返して考えてみると、菫が鈴にしてきたのはいつだって、鈴の為だったような気がする。


 鈴は薬を飲んで寝台に横になると、今までの菫の態度をじっくり思い出してみた。


 菫は食事を作る時だって嫌味を言うついでに必ずアドバイスをしてくれていたし、遠回しにお菓子をねだってくるのも菫だった。


 街で偶然会った時だって、多分菫なりに鈴の容姿について他の人に白い目で見られる事がないように、との配慮だったのかもしれない。


 そこまで考えて、ふと脳裏に幼い頃の物と思われる映像が蘇った。


「そうだ……お揃いの着物……菫ちゃんと……それに、お人形……」


 不意に菫とお揃いの着物を着て人形遊びをしていた映像を思い出した鈴は、ガバリと起き上がる。


 どうして今まで忘れていたのか。そうだ、鈴と菫は小さい頃とても仲が良かったのだ。一つしか年齢が変わらないと言うのに鈴は菫を本当の姉のように慕っていつもくっついて回っていた。両親を亡くしたばかりの鈴にとって、菫は鈴の大切な心の拠り所だったのだ。菫もそんな鈴の手をいつも引いてくれていた。


 そんな事を唐突に思い出して鈴は両手で顔を覆って嗚咽を漏らす。


「菫ちゃん……どうして忘れてたんだろう……」


 鈴は起き上がってすぐさま菫に手紙を書いた。これは神森家に来てから初めての事だった。

 

 翌朝、炊事場へ行くと楽の為の夕食は綺麗に無くなっていた。空になったお皿だけがきちんと流し台に置いてあったと聞いて、鈴は思わず嬉しくなってしまう。


「朝食も作ってやんのかい?」

「もちろんです。楽さんも今は神森家の方なので! ところで雅さん、この手紙を買い出しの時に出してきてくれませんか?」


 そう言って鈴は雅に菫宛の手紙を手渡した。それを見て雅は驚いたような顔をして鈴と手紙を何度も交互に見ている。


「あんた、蘭じゃなくて菫に?」

「はい。何だか昨夜唐突に菫ちゃんと遊んだ記憶が蘇って……菫ちゃんはもう忘れてしまっているかもしれないし、今更こんな事言われても迷惑かもしれないけど……」


 そう言って視線を伏せた鈴に、突然雅が掴みかかってきた。


「そんな訳ない! あの子は絶対に喜ぶよ!」

「そうでしょうか?」

「そうだよ! あんたが倒れた日、あの子はあんたの事凄く心配してたんだ。それどころか、あたし達があんたに何かしたんだろう!? って物凄い剣幕で怒鳴られたんだから!」

「そ、そうなんですか?」

「ああ! なぁ喜兵衛!?」


 雅はそう言って千尋の朝食の飾り付けをしている喜兵衛に言うと、喜兵衛はくるりと振り返って頷いた。


「はい。自分は千尋さまに頼まれて鈴さんが飲んだ薬を吐かせるように言われてたんですが、近寄らせてももらえませんでした」


 そう言って苦笑いをする喜兵衛を見て鈴の胸に何かが込み上げてくる。


「菫ちゃん……」

「会いたいかい?」

「……はい」


 鈴が倒れた時に菫がそんな風に言ってくれていたとは思ってもいなかった鈴が素直に頷くと、雅はコクリと頷いた。


「それじゃあ今度菫を招待するか」

「え?」

「千尋がね、菫の記憶は消さなかったんだよ。あんたと同じように菫の血も凄く綺麗なんだってさ」

「でも……いいのですか?」


 そんな勝手が許されるのか? 鈴が視線を伏せて言うと、雅は鈴の背中を叩いて笑う。


「当然だろ? あんたの姉ちゃんなんだ。それに直接会って礼を言いたいんだろ?」

「はい!」

「だったら決まりだ。千尋に話しておくよ」

「お願いします!」


 鈴はそう言って知らずに漏れる笑顔を浮かべて返事をした。またあの頃のように菫と仲良くなれるだろうか? そんな事を考えるだけで胸がドキドキしてくる。


 それから鈴は楽の朝食を昨夜のように冷蔵庫に入れて、また楽に手紙を書いておいた。

 

 朝食を終えていつものように庭で弥七と作業をしていると、どこからともなく千尋のバイオリンの音が聞こえてきた。


 鈴は作業を終えるなり弥七に断りを入れてその場を離れると、千尋の姿を探す。


 音を頼りに歩いていると、千尋は洋風の庭の東屋に居た。目を閉じて鈴の知らない曲を心地よさそうに弾いている。


 鈴は音を立てないようにそっと近寄ると、千尋の正面にこっそり座って目を閉じ千尋が奏でる曲に耳を澄ませる。


 しばらくすると千尋のバイオリンがピタリと止まった。


「驚いた。声をかけてくだされば良いのに」


 目を閉じて夢中になって千尋のバイオリンを聞いていた鈴がハッとして目を開けると、千尋がバイオリンを下ろして優しげな笑顔で言う。


「す、すみません。どこからともなくバイオリンが聞こえてきたので、つい盗み聞きをしてしまいました」

「盗み聞きにしては堂々と正面に座っていますね」


 そう言って笑う千尋を見て、鈴はまたチョイスする日本語を間違えたと反省する。


「えっと、盗み聞きじゃなくて聴き惚れていました!」

「それは光栄です。聞こえていましたか?」

「はい! 千尋さまのバイオリンは伸びやかで柔らかいので風に乗ってどこまでも届きそうです」

「それは鈴さんの歌声もですよ。ついでにこの曲の歌詞をお教えしましょうか?」

「え?」

「ふふ、メロディーを途中から口ずさんでいましたよ」

「ええ!? す、すみません。知らず知らず邪魔をしてしまいました!」 


 完全に無意識だった鈴が言うと、千尋は笑ってバイオリンを弾きながら歌い出した。千尋が歌を歌うのを聞くのはこれが初めてだ。


 甘く響く声はとても繊細で美しく、いつまでも鈴の耳から離れなかった。

 

 

 

 楽は呆然として東屋を見ていた。

 

 どこからともなく聞こえてきた美しい音色に心が奪われるようだった。

 

 それがどこから聞こえてきたのか知りたくて庭を歩いていると、きちんと手入れの行き届いた庭園の真ん中にある東屋で千尋が何かの楽器を奏でていたのだ。そして、その向かいには鈴が座って嬉しそうにバイオリンを弾く千尋を見つめている。


「……あんな事しても無駄なのに。それにしても千尋さまが歌うなんて……」


 楽がポツリと言うと、鈴は突然立ち上がって千尋の歌に合わせて何を思ったのかその場で踊りだした。そして千尋の声にそっと被せるように聞こえてくる透明で伸びやかな声。


 その声に楽は思わず言葉を失ってしまった。こんな声聞いた事ない。全身が総毛立つ感覚に楽がブルリと身震いすると、突然後ろから声がかけられた。


「凄い声だよな」

「……あんたは?」

「ここの庭師だ。弥七って言う」

「そうなんだ。俺はここで誰とも馴れ合う気はないから」

「名前聞いといて失礼な奴だな。まぁいいさ。千尋さまは今日も嬉しそうだ」


 そう言って弥七は目を細めて楽の隣に立ち、真っ直ぐ東屋を見て頷いている。それに釣られるように千尋を見ると、千尋は何とも表現しにくい顔で鈴を見て微笑んでいた。


「……千尋さま……?」


 初と一緒に居た時にあんな顔を千尋はしなかった。


 千尋のあんな嬉しそうな、幸せそうな、愛おしそうな顔なんて、ただの一度も見たことがない。


「案外お似合いだろ?」

「は?」

「あの二人。美人の千尋さまと、可愛らしい鈴。俺は案外お似合いだと思ってる」


 弥七はそんな事を言いながらまた満足げに微笑むが、そのセリフには生憎賛成は出来ない。


「どこがだよ。千尋さまの隣には千尋さまと同じぐらいの美人が良いに決まってる。あんな甘ったるい女、龍の世界には居ない」

「そうなのか」


 弥七はそれ以上何も言わなかったが、楽にはそれも釈然としない。千尋には初がいる。それなのに、どうして千尋は鈴にあんな顔を見せるのだ。


「なぁ、教えてくれよ。あの女は龍人よりも勝ってるのか?」

「さあ? 俺は龍人は千尋さましか知らないからな。ただ、鈴の良い所は知ってる。ああ見えて鈴は芯の強い女だ。俺だったら悲観しそうな境遇でも、折れなかった強い心がある。それに、あいつの作る飯は喜兵衛の料理ぐらい美味い」

「……そんな事」


 そこまで言って弥七は口ごもる。確かに料理は美味しかった。龍の都で食べる料理など比べ物にはならなかった。


 昨晩鈴は楽に料理のメニューを書いてドアの隙間から投げ入れてきたのだが、昨日のゼリーというデザートはびっくりする程美味しかった。それは認めるが、たったそれだけの事で千尋が絆されるとは思えない。きっと、もっと何か決定的な事があるはずだ。


「わかんねぇ。俺には全っ然わかんねぇ!」


 イライラしながら楽が言うと、そんな楽の怒りを慰めるように異国の歌が聞こえてきた。意味も分からないのに、何故か心が惹かれる。


「俺あの歌好きなんだ。綺麗な曲だよな」

「なんて言ってんだ?」

「神様に感謝する歌らしい。鈴が千尋さまにあの歌を歌うのは、千尋さまへの感謝が伝えきれないから、歌の力を借りてるそうだ」

「……そうなんだ」


 神様。楽は鈴が楽に怒った時に言った言葉を思い出した。千尋は自分たちにとっては神様なのだ、と。楽にももちろん信仰する神が居る。鈴は、信じる神を侮辱された事を怒ったのだとこの時ようやく気づいた。


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