32
「根城だなんて! 俺は俺の仕事を全うしているだけです!」
「私は追放が決まった時に全員解雇しましたよね?」
何せ100年に一度しか帰って来ないのだ。誰かを雇っているのははっきり言って無駄だ。
けれどいくら言い聞かせても、この楽という執事見習いだけはここを立ち退かない。
「されましたけど、絶対に俺はここの立派な執事になるって千尋さまに拾われた時に思ったんです! 初志貫徹ってやつです!」
「難しい言葉を知っていますね。偉いですよ。ですがそれとこれとは話は別です。大体どうやって生活をしているのですか?」
「え? 配給と分配金ですけど?」
「食べる物には困らないでしょうが、それだけでは趣味や娯楽を楽しむ余裕は無いでしょう?」
「俺の趣味と娯楽はこの家を守ることなんで、問題ないです!」
「……そうですか」
これはもう何を言っても無駄だ。そう悟った千尋は楽の手の平に金貨を置く。
「これで新しい服を買ってきなさい。肘と膝が擦り切れそうですよ」
「え、で、でも」
「あなたはうちの執事なのでしょう? でしたら、しかるべき格好をしてください」
諦めて千尋が言うと、楽は途端に顔を輝かせて頷いた。
それから楽と共に屋敷に入った千尋は、ピカピカに磨き上げられた調度品や床、そして壁を見て苦笑いを浮かべる。
どうやら楽は本当にたった一人でこの屋敷を磨き上げていたようだ。
「ところで千尋さま、それは何ですか?」
居間に移動した千尋に、お茶を持ってきた楽が不思議そうに尋ねてきた。
千尋が里帰りをする時に何か持って帰ってくるのは本当に珍しい。この間など鈴と行った買い物が楽しすぎて皆にお土産まで買ってしまった。
「これですか? これは皆へのお土産と弁当です」
そう言って千尋は鈴から受け取った弁当が入った風呂敷を撫でた。それを聞いて楽は目を丸くする。
「お土産と……弁当!? ち、千尋さまが!? 弁当なんて食べるんですか!?」
「私だって必要とあらば弁当だって食べますよ」
「や、ちょっと待ってください。俺を担いだって何も楽しくないですよ? 土産でもビックリしてるのに弁当は……嘘ですよね?」
「嘘ではありませんよ、ほら」
千尋は楽の反応を楽しみながら風呂敷を開けて目を見張った。風呂敷の中には弁当の上に千尋が贈った反物で作った、小さなお守りが入っていたのだ。
「鈴さん、これはあなたに差し上げたんですよ? どうして一番に私の物を作ってしまうのですか」
何となく鈴が嬉しそうにチクチクと縫い物をしている姿が浮かんで、思わず千尋は微笑む。そんな千尋を見て楽はさらに声を上げた。
「わ、笑うんですか!? そんな顔で!?」
「そんな顔とは?」
「え、何ていうかえっと……優しげ? いや、楽しげ? とにかく! 見たことない顔でした!」
「そうですか? あ、お茶ありがとうございます」
「あ、いえ。どういたしまして」
一口飲んでふと首を傾げる。いつものお茶ではないからか、何だか変な感じだ。
「不味いですか?」
「いえ、美味しいですよ。ただ100年も飲み慣れたお茶と比べるとやはり違うものですね。前はそんな事気にした事もなかったのに」
言いながら千尋は弁当箱を開けて目を輝かせた。そこにはおにぎりが2つと卵焼きが入っている。端っこには小さなゼリーまであるではないか!
「あ、美味そう」
興味津々な様子で弁当を覗き込んできた楽に、千尋は梅のおにぎりを渡してやる。
「美味しいですよ。わざわざ深夜に作ってくれた物ですから」
「あ、ありがとうございます。ていうか誰がですか? あ、噂の雅の姉御ですか?」
「まさか! 雅がこんな物を作ってくれる訳がありません。鈴さんという今期の花嫁ですよ」
「鈴……花嫁……可愛らしい名前ですね」
「ええ。名前だけではなくて、本人もとても可愛らしい方ですよ」
何気なく言った千尋に、楽はまた驚いた顔をして持っていた盆を落とす。静まり返った部屋の中に盆が落ちた音が響いたが、それを無視して千尋は早速弁当を食べだした。
「ああ、やっぱり美味しいですね」
さっき別れたばかりなのに、何故か既に懐かしく感じる鈴のおにぎりと卵焼きに千尋は思わず目を細めた。
♥
千尋が龍の都に戻った日、夜更かしをしすぎた鈴はやはり盛大に寝坊してしまった。
寝ぼけ眼で炊事場に顔を出した鈴を見て雅と喜兵衛が笑う。
「あんた、ちゃんと鏡を見たかい? ほら、寝癖がついてるよ」
「珍しいですね、鈴さんが寝坊なんて」
「はい……私もビックリしてます。あんなにも自分から夜更かししたのは生まれて初めてだったかもしれません」
鈴の言葉に雅と喜兵衛は揃ってギョッとしたような顔をする。
「初めて!? あんた、流石にそれは嘘だろう?」
「いえ、本当に。ここに来た日に寝付けなくて朝方まで眠れなかった事はありますが、子供の頃は夜更かしすると悪魔が来るって言われていたし、佐伯家では寝坊したら打たれるので夜更かしなんてした事ないです」
「……打たれるって……」
「まぁ、佐伯家はあんたの事を女中か何かだと思ってたんだろうさ。で、初めての夜更かしはどうだった?」
ニヤリと笑った雅に鈴も肩を揺らして笑う。
「ドキドキしました! 何だか凄く悪いことをした気分です!」
「その割には楽しそうじゃないか」
「これぐらいの悪事なら一度はしてみたかったので」
「そうかい? そんなあんたに朗報だ。大晦日は夜更かしどころか徹夜するんだよ」
「え!? て、徹夜、ですか?」
「そうさ。年をまたぐ時は厄介な奴らが出てくるって言われてんだ。だから夜通し起きていてその厄介者達を追い払うんだよ」
「や、厄介者というのは、その……お化けの類でしょうか?」
「そうさねぇ。お化けもいるかもねぇ」
「こ、困ります! お化けはいけません!」
何せお化けが大嫌いな鈴だ。そんなものが出たら間違いなく卒倒する。困惑する鈴を見て喜兵衛が呆れたような顔をしながら雅に言う。
「姉さん、怯えてるじゃないですか。どうしてそんな嘘つくんですか」
「いや、ごめんごめん。冗談だよ、鈴。大晦日に徹夜すんのは、年神様を迎える為なんだよ」
「年神様?」
「そうさ。十二支の神様達だよ。彼らを盛大に迎えるために大晦日は徹夜して騒ぐ。それが大晦日だよ」
「では、おせちというのは?」
「おせちってのは、季節の変わり目に神様に供物を供えてたのが始まりだ。それがいつの間にか一緒になっちゃったんだよ。ちなみにあたしは今のおせちはそんな崇高な物じゃなくて、毎日家事をしてくれる人への感謝の気持ちだと思ってる」
「感謝の……気持ち」
「そうさ。大晦日に沢山作っておいて、正月は誰もな~んにもしない。皆で福笑いしたり初詣行ったり、書き初めをしたりしてまったりする。年神様もいいけど、常日頃から世話になってる人への感謝の気持ちだよ、おせち料理は」
それを聞いて鈴は思わず頷いてしまう。それは何だかとても良い。どう言えばいいのか分からないが、単純にそう思った。
「おせち料理に大晦日……楽しそうです!」
「まぁ、その分大晦日は朝からおせちの仕込みですが」
喜兵衛がポツリとそんな事を言うので、思わず鈴は身を乗り出した。
「頑張りましょう! 私も朝から手伝うので!」
「は、はい!」
鈴のあまりの勢いに喜兵衛は思わずと言わんばかりに頷いて苦笑いを浮かべる。
「鈴さんの初めての正月です。楽しい物にしましょう」
「はい!」
手を叩いて喜ぶ鈴を見て雅がおかしそうに言う。
「早めに大掃除を終わらせておいて正解だったね、こりゃ」
まさか正月で鈴がそれほど喜ぶと思っていなかったのか、それから雅と喜兵衛があれこれ正月ならではの遊びを沢山教えてくれた。
「千尋さまも居れば良かったですね……」
「鈴さん……」
「そうだね。でも再来年はどのみち一緒に居るんだ。あんたは今回の事を練習ぐらいに思ってな」
「そうですね。しっかりマスターしたいと思います!」
千尋とする正月で粗相をしないように、全力で正月を楽しもう。それが多分、神森家の人たちは一番喜んでくれるだろうから。
「ところで初詣はどこへ行くんだい? 千尋に地図貰ってたろ?」
「それなんですけど、私、やっぱり余所の神様の所に行くのはどうかなと思って」
「千尋に嫁ぐんだからって事かい?」
「はい。前に千尋さまから聞いたのですが、ここがお社だった頃の名残というのはどこなのでしょう?」
「社だった頃の名残? そりゃ北の林の中だよ。元々あそこに本殿が建ってたんだ。その名残が今は小さな祠になって残ってるんだよ。さらにその奥は禁足地になってて千尋しか入れないんだ。全く、あんな所に何を隠してるんだか」
「あそこは彼岸の世界との境界だから俺たちが迂闊に入ると二度と戻れなくなりますよ、姉さん。そして肝心の祠は既に朽ち果てかけてますね……」
そう言って喜兵衛は遠い目をする。どうやら本殿を取り壊す時にその祠に御神体を移したようだ。とは言え御神体は千尋本人なので、その祠に何が祀られているのかは謎である。
「明日、お掃除をしてきても構いませんか?」
「もちろんさ。屋敷の大掃除も終わらせたし、次は外の掃除をするつもりだったんだ」
「あそこも酷い有様でしたもんね。そろそろ自分も気になってたんです」
「そうですか! では明日、私はお社のお掃除をしてきますね!」
何だかワクワクした気持ちで鈴が言うと、雅も喜兵衛も喜んでくれた。
これから一ヶ月、千尋が居ない日々がやってくる。その間に少しでも神森家の為に尽くしたかった。
翌日、鈴は朝から掃除道具を携えて、弥七に案内してもらいながら森の中を進んだ。
「大丈夫か? やっぱり俺も手伝おうか」
「大丈夫ですよ! 道はちゃんと舗装されていますし、もしも迷子になったら大声で助けを呼びます」
そう言って鈴が笑うと、弥七は苦笑いして頷いた。
「今日は森の近くの植物の手入れをする。しっかり聞こえるだろうから安心して作業してくれ」
「はい! ありがとうございます」
鈴がもう一度頭を下げて弥七と共に森を進んで行くと、目の前に大きな木が現れた。
「凄く立派な木ですね!」
「ああ。これは千尋さまがこの地に降りてきた時に一番に植えた木なんだ。樹齢はもう物凄い事になってると思うぞ」
「千尋さまが降りてこられた時ですか……長生きされているのですねぇ」
「長生き、な。ああそうだな。こいつは色んな事をここで見てきたんだろうな」
弥七が木の幹を撫でると、木の葉が一斉に揺れた。風のせいだとは思うが、何だか鈴にはそれが木の意思のように思えてならなかった。
「ほら、あれがそうだ」
弥七が指さした先には、雅の言う通り本当に小さな祠が寂しそうにポツンと建っていた。
鈴は弥七と別れて祠に近づくと、その前にしゃがみこんで手を合わせる。
「長い間ご苦労さまです。少し中を開けさせてくださいね」
ここに千尋は居ないのでこの祠に神が居るわけではないけれど、何となくとても神聖な場所のような気がして鈴は祠に向かって話しかけると、小さな祠の扉を開いた。
扉を開けるとそこにはそこそこ大きな金色の袋が台座の上にポツンと置いてあった。その台座の側には朽ち果ててボロボロに崩れた木が散乱している。
「これが御神体だったのかな……やっぱり雅さんの言う通りだったんだ」
鈴はそれをそっと持ってきていた桐で出来た箱に収めると、手を合わせる。
ここへ来る前、雅に掃除道具の他に何か持っていった方が良いか聞いた所、雅は迷わず桐の箱と大工道具と答えた。




