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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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 そう言って千尋は暖炉の前で仰向けになって眠っている雅にそっと小さな手ぬぐいをかけてやっている。何だかそんな光景がとても和やかで、思わず鈴は目を細めてしまった。


「それで、こんな時間にどうされましたか?」

「いつ頃出発されるのかな、と思って……お弁当を渡しそびれるといけないと思ったんです」

「ああ、それでわざわざ尋ねてきてくださったのですか。そうですね、雷が鳴り始めたら都の準備が整ったという合図なんですよ」

「雷が鳴り始めたら? 決まってはいないのですか?」

「ええ。この間も言いましたが、龍は皆気まぐれですから。流石に日付は守りますが、時間の概念はほとんど無いと言ってもいいです」

「何だか面白いですね。それで誰も困らないのでしょうか?」

「ええ、誰も困りません。皆がそうですから。ですから肌に合えばとても生きやすい所だと思いますよ、龍の都は」

 

 そう言って千尋は何故か自嘲気味に笑った。


「そうなんですね……一度でいいから見てみたいものです。あ! そうでした! 忘れる前にお渡ししておきます」


 すっかり話に夢中になって忘れかけていたお弁当を、鈴は千尋に手渡す。


「おにぎりと卵焼きが入っています。寒いので傷む事はないと思いますが、出来れば早めに食べてくださいね」


 お弁当を渡して笑顔を浮かべると、まるでそんな鈴に釣られたかのように千尋も嬉しそうに微笑んで頷く。


「ありがとうございます。都に戻るのにお弁当を持って行くのは初めてです。今から楽しみですね」

「それでは、読書中をお邪魔してしまって申し訳ありませんでした。窓からお見送りしていますね」


 鈴がそう言って頭を下げて踵を返そうとすると、ふと鈴の手を千尋が引いた。


 驚いて振り返ると、千尋は困ったような戸惑うような顔をして、ソファを軽く叩く。


「?」


 そんな千尋の行動を不思議に思いながら鈴が示された通り千尋の隣に腰掛けると、声を潜めて千尋が言った。


「もう少しだけ、お話をしていきませんか?」


 と。


 鈴は頷いて千尋を見ると、やっぱり千尋は困惑したような顔をしている。

 

 一体何の話をすれば良いのか鈴が迷っていると、先に千尋が口を開いた。


「そう言えば鈴さん、雨の前は痛みましたか?」

「そうだった! 千尋さまの治療のおかげで全く痛みませんでした。ありがとうございました。いつもなら雨が降る二、三時間前から痛みだすのですが、今日は全く。そのおかげですっかり寝過ごしてしまいました」


 そう言って笑った鈴を見て千尋も笑う。


「それでとりあえず羽織だけを羽織って出てきてくれたのですか? これ、私がプレゼントした羽織ですよね?」

「はい。この羽織、とても綺麗でいつ着ようかって思ってたんですが、千尋さまに一番にお見せする事が出来て良かったです」

「そんな風に言ってもらえると私も贈った甲斐がありますね。思った通り、とてもよくお似合いです」


 千尋は言いながら鈴の羽織の柄をマジマジと見つめている。


「その他のお洋服も順番に着ていこうと思います。それから頂いた反物で着物も縫おうと思ってるんです」

「それは出来上がるのが楽しみですね。出来上がったらまた一番に見せてくださいね」

「はい!」


 思わず漏れた笑みに千尋も笑う。


 これから一ヶ月も千尋が居ないのかと思うと何だか寂しいが、千尋の事を待っている人たちが居る事を考えると、早く戻れるようになって欲しいと思うのと同時に、何故か胸が傷む。

 

 神森家にやってきてまださほどの時間を過ごした訳でもないのに、ここの人たちは既に鈴にとってはとてもかけがえのない人たちになっている。


「千尋さま」

「はい?」

「どうか、道中をお気をつけて」

 

 鈴はこの思いを何て千尋に伝えれば良いのか分からなくて、とてもありきたりな事を言ってしまったけれど、それでも千尋は見たこともない優しい顔で微笑んでくれた。


「ありがとうございます。鈴さんもどうか私が留守の間気をつけてくださいね」

「はい!」

 

 その時だ。窓の外が激しく光ったと思ったら、突然大きな音が辺りに鳴り響いた。


「っ!!!」

 

 あまりの大きさにそれが雷だという事に一瞬気づかなかったほど、鈴は声にならない声を上げて思わず隣に居た千尋にしがみつく。

 

 そんな鈴を千尋は優しく抱き留めて柔らかく言う。


「おやおや、あなたも雷が苦手ですか?」

「い、いえ、普段はそうでもないのですが、ここまで近くに落ちるのは初めて――っっっ」

 

 最後まで言い終えないうちにまた雷が庭に落ちる。多分、これがさっき千尋が言っていた準備が整った時の合図なのだろう。


「ち、千尋さまは流石ですね……」

「何がですか?」

「こんな大きな雷を聞いても――また!?」

 

 また話の途中で落ちる雷に思わず鈴が口調を荒らげると、そんな鈴を見て千尋が笑った。


「ふ……ふふ、すみません。怒る鈴さんは少し新鮮ですね」

「お、怒った訳ではないのですが、何ていうかこう、あまりにも怖かったり驚くとムカッとしませんか?」

「例えばお化けとかにも?」

 

 からかうような声に鈴は千尋からようやく体を離して頬を少しだけ膨らませた。きっとあの蔵の事を思い出したのだろう。


「も、もう忘れてください」

「はは、すみません。さて、それではそろそろ私も出発しましょうか」


 そう言って千尋は鈴の頭を撫でると立ち上がり、かけてあった羽織に袖を通す。


「この部屋からが一番よく見えると思います。良かったらここから見ていてください」

「いいんですか?」

「もちろんです。それでは行ってきます。雅、そんなに怯えなくても次が最後ですよ」

 

 千尋はそう言って机の下を覗き込むと、そこにはさっきまでお腹を出して寝ていた雅が、いつの間にか丸くなって震えている。


「雅さん、私も怖いので抱いても構いませんか?」


 何だか不憫になってそんな雅に鈴が尋ねると、雅はすぐさま机から出てきて鈴にしがみついてくる。


「もちろんだよ! あたしが側に居てやるから安心しな!」

「雅、ヒゲが震えていますよ」

「あんたは黙ってさっさと行きな! 気をつけるんだよ!」

「はいはい。それでは家のこと、しばらくよろしくお願いします。行ってきます」

「はい!」


 鈴は千尋を玄関まで見送ってそのまま千尋の部屋に戻ると、窓に張り付いた。


「こんな雨なのに、千尋さま濡れないのでしょうか?」

 

 千尋は傘も持たずに外へ出ていったが大丈夫なのか? そんな事を考えながら腕の中の雅を見ると、雅はまだ毛を逆立てて早口で言う。


「よく見てみな。あいつの周りだけ雨、降ってないだろ?」

 

 言われて鈴は視線を窓の外に移して凝視すると、確かに雨は千尋だけを避けている。


「凄いですね! これが龍神さまのお力ですか?」

「いや、あれはあの雷鳴らしてる龍の力だよ。確か千尋の知り合いだって言ってた気がする」

「雷の龍、という事でしょうか?」

「そうなんじゃないか? あたしも龍の事はよく分からないんだけどさ。鈴、いよいよだよ!」


 雅に言われて鈴がじっと庭を見つけていると、ゆっくりと光の柱が庭の真ん中に現れた。それを見て息を呑んだ途端、今まで以上に大きな雷鳴が轟く。


「あ……凄い……」


 物凄い音で怖かったはずなのに、それ以上に目の前の光景に鈴は目を奪われる。

 光を浴びた千尋の姿は徐々に龍に変化していき、やがて庭にかろうじて収まるぐらいの大きな龍に変わったのだ。

 

 千尋はチラリとこちらを見て目を細めるとそのまま光の方を向いて上昇していく。

 

 手にはしっかりと鈴が渡した風呂敷が握られていて、何だかそれがおかしかった。

 

 千尋はそのまま屋敷の上辺りまでゆっくり昇ると、屋根を越した途端、物凄いスピードで空を駆け上っていく。

 

 その姿はあっという間にそのまま雲間に隠れて見えなくなってしまったが、何だかまるで夢でも見ていたような気分だ。

 

 ぼんやりといつまでも空を眺めていた鈴に、雅が声をかけてきた。


「今日はやけにのんびりだったね」

「きっと龍の姿を見せてくれたんだと思います」

「そうかい? あいつがそんな優しいかね?」

「はい! とても」

「あんたの風呂敷ちゃんと持ってたじゃないか」

「夜更かしした甲斐がありました」

 

 その後、空はさっきまでの雨と雷が嘘のように晴れ渡り、星が輝き出す。

 

 今日見た事はきっと、一生忘れない。

 

 鈴は雅を胸に抱いて、飽きるまで星空を眺めていた。



 龍の都に到着すると、そこには友人の流星が金色の髪を靡かせながら腕を組んで仁王立ちで待っていた。


「随分と遅かったね、千尋くん」

「すみません。少し野暮用で」

「君がそんな返答するなんて珍しい。どっか打った?」

「いいえ、どこも。それよりも久しぶりですね、流星」

「ほんとだよ。息吹も待ってるよ。あと……初も」

 

 そう言って流星は少しだけ視線を伏せた。何か事情があるのか、流星は千尋の視線を避けるように歩き出す。


「君が居ない間に色々進展したんだよ。もしかしたらもうすぐ君も戻れるかも」

「そうなんですか? 犯人が見つかったのですか?」

「んーん。いや、見つかりはした。でも、死んでた」

「自死?」

「いや、あれは他殺だね。息吹が詳細を調べ尽くすって躍起になってる」

「他殺ですか。ではやはり黒幕が居たのでしょうか」

「そうなんじゃない。ていうか、元々俺はその線だと思ってたけどね! 君の所の猫ちゃんと同じ意見だよ」

「雅ですか? 雅は勘が良いですからね」


 言いながら千尋が微笑むと、流星は怪訝な顔をする。


「もしかして、あんまり都に戻ってきたくない感じ?」

「何故です?」

「何かそんな雰囲気。いや、でも君は元々そういう所があるからよく分かんないな」

 

 つまらなさそうな流星に千尋は肩をすくめて見せると、ポツリと言う。


「別に戻りたくない訳ではないですよ。ただ、気がかりな事があるだけです」

「気がかり? 人間界の行く末?」

「いいえ。もっと限定的な話ですよ。あ、そうだ。このままもしかして飲みに行ったりします?」

「うん、そのつもりだけど」


 流星の言葉に千尋は軽く頷いて言った。


「では先に行っていてください。私は少し家に寄ってから向かいます」

「ああ、まぁその格好はちょっとね。どうしてそんなおめかししてきたの?」

「格好をつけたかったのかもしれません」

「格好をつける? 誰に対して?」

「内緒です。それではまた後で」

「はいは~い」


 そう言って流星は片手を上げて街に向かって歩き出した。千尋はそれとは反対方向に歩き出す。

 

 流星と別れて家に向かって歩いていると、あちこちからヒソヒソと話し声が聞こえてくる。千尋は今や龍の都では罪人で、どこを歩いていてもあまり良い顔をされない。


 しばらく歩いていると、ようやく屋敷が見えてきた。懐かしい都での千尋の住まいだ。


 敷地内に入り庭を見渡すと、壁はあちこち剥がれかけているのに庭には相変わらず綺麗に手が入っている。こんな事をするのは一人しか居ない。執事見習いの楽だ。


「もういいと言っているのに」


 困ったようにため息を落とした千尋が屋敷のドアを開けて中に入ろうとすると、二階の窓から声がかけられた。


「千尋さま! おかえりなさいませ!」

「楽、そんな所で何をしているのです?」

「屋根の雨漏り直してたんです! すぐそっち行きま――わぁぁぁ!」

「危ない」


 千尋は小走りで庭を突っ切ると、急いで手を差し出す。すると、そこにコロンと小さな赤い龍が落ちてきた。


「相変わらずですね、あなたは」

「へへ、すみません。ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして。それで? あなたはまだここを根城にしているのですか?」

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