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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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30

 千尋はホッと胸を撫で下ろして鈴の頭を撫でる。


「女学園ではそういう関係が流行っているそうです。上級生と下級生が特別な関係になる事を言うそうですよ」

「へぇ」


 よく分からないが、とにかく悲しい話だったようだ。千尋は鈴のまだ涙の跡が残る頬を人差し指で掬うように撫でた。


「今度からは楽しい話かどうかも調べてから購入しないといけませんね」

「はい」

 

 グス、と鼻をすすりながら頷く鈴に腕が勝手に動きそうになる。


「?」


 そんな自分自身の行動がよく分からなくて思わず首を傾げた千尋を、鈴が不思議そうに見上げてきた。


「どうかされましたか? そう言えば何かご用だったのでは?」

「いえ……ああ、そうでした。ここを発つ前に少しあなたに力を分けておこうと思いまして」

「痛み止めのですか?」

「ええ。どれぐらい効果があるかは分かりませんが、何もしないよりはきっとマシでしょう」

「ありがとうございます。お手数をおかけします」


 そう言って鈴は千尋を部屋に招き入れてくれたのでそれに従って部屋に入ると、ソファに腰掛けて鈴に手招きをした。すると鈴がおずおずと近寄ってきたので、すかさず千尋は両手を差し出す。


「あの、千尋さま」

「はい?」

「その……どうしても手を繋がなければいけませんか?」

「別に手でなくても構いませんよ? どこか体の一部が触れていればそれで」

「か、体の一部……」


 鈴はそれだけ言って一瞬固まると、そっと手を差し出してきた。どうやら色んな体の一部を考えて、手が一番良いという事に気づいたのだろう。


「座って楽にしてください」

「は、はい」

 

 戸惑いながら千尋の隣に腰掛けた鈴の手を取ると、そっと力を鈴に流し込む。今回は前回よりも多目に流すので、少し時間がかかりそうだ。


 ちなみに鈴はと言えば、がっちりと指の隙間を埋めるように手を繋いだ状態に緊張しているのか、完全に固まってしまっている。


「冷たい手ですね。薪を足すよう雅に言っておきましょうか」

「いえ! 自分で取りに行くので大丈夫です」

「そうですか?」

「はい」


 鈴の手は水龍の千尋よりも冷たくて、まるで氷のようだった。よく見れば指先は乾燥して可哀想なほどカサカサだ。


 そんな鈴の指先を見て千尋は思った。次の贈り物は手に塗るクリームを用意しよう、と。


 けれど鈴の事だ。きっとすぐには受け取ってはくれないのだろう。そう、クリスマスのプレゼントのように。


「鈴さん、つけてくれているんですね」


 何気なく鈴の腕を見ると、そこにはしっかりと腕時計がしてある。


「あ、はい。これ、とても便利なんです。外に居る時には特に重宝しますよ! ありがとうございました、千尋さま」

「いえいえ、どういたしまして。良かったです。一つでも気に入る物があって」

「一つだなんてとんでもないです! ただその、私はどこかへ出かける事が滅多に無いので、頂いた洋服や着物を着ていく場所が無いのです……だから着ていないだけで、決して気に入っていない訳ではありません」

「そうですか? ではそのうち社交界に一緒に参加しましょうか」

「……え」

「社交界なんて滅多に参加しませんが、着飾った鈴さんを見られるのなら、悪くないかもしれません」


 そう言って笑った千尋を鈴はじっと見つめてきて頬を膨らませる。


「冗談ですか?」

「おや、よく分かりましたね。すみません、冗談です。私を呼びつけるような家などありませんから」


 曲がりなりにも千尋はこの地の神だ。そんな無礼な家はない。爵位が高い家は千尋が何者かを大抵知っているのだから。


「お誘いを受ける事はあるのですか?」

「ありますよ。ですが、どこも一度だけです」

「そうなのですか?」

「はい。そういう時は雅が偉い方に一報を入れるのです。そうしたら二度とお誘いはありません」

「……なるほど」


 そう言って鈴は何かを理解したかのように頷いて小さく微笑む。


「何故笑うのですか?」

「あ、いえ。社交界に千尋さまが出ると、その美しさにきっと皆さん驚かれるのだろうな、と思ってしまいました」

「褒めてくれるのですか? ありがとうございます。今までは容姿で凝視される事も多くて嫌気がさしていましたが、これからは私の美しさに驚いているのだと思うことにしましょうか」


 冗談めかして言うと、鈴は真顔で何度も頷いた。そんな様子がおかしくて思わず千尋は笑ってしまう。


「冗談ですよ。ああ、ようやく手が温まってきましたね」

「はい。何だか全身がポカポカしてきた気がします。これも神通力ですか?」


 そう言って鈴は首を傾げて千尋を見上げてくる。そんな鈴を見て、また勝手に体が動きそうになるのを千尋は必死になって抑えて言う。


「神通力まではいきません。これはただ単に私の力であなたの体内の巡りを浄化しているだけですよ」

「そうなのですね」

「はい。私が神通力を使うのは決まった時だけです。それ以外には今の所使った事がありません。神通力と言うのは自分の属性では無い力や過剰な力の事を言うのですよ。ですが今鈴さんに流した力は龍が普段から使っている簡単な属性の力です。私は水龍なので水を浄化する事が出来るのですよ」

「そうなのですか……神通力というのはとても貴重なお力なのですね」

「そうですね。龍は自然から力を貰うので、神通力を使った後は回復にとても時間がかかってしまうのですよ」

「それはいざという時の為にとって置かなくてはいけませんね」

「ええ。そのいざと言う時が来ない事を祈るばかりですよ」


 千尋はそう言って最後の力を鈴に流し込む。


「さあ、終わりました。どうですか?」


 何だか名残惜しいと思いながらも鈴の手をそっと離すと、鈴は立ち上がってその場でくるりと回って微笑んだ。


「何だか体が軽いような気がします!」

「それは良かったです。もしも私の居ない間に何かあれば、すぐに雅に言ってください。雅から私にいつでも連絡が入るようになっているので」

「雅さんは龍の都に連絡をする事が出来るのですか!?」

「ええ。彼女は私の契約者ですから。もちろん、あなたが正式にここへ嫁げばあなたにもその力は与えられますよ。ただ、今回戻ってきたら次に私が都へ行くのは100年後ですが」

「その頃には私はきっと、千尋さまの元へ還っていると思います」


 そう言って苦笑いを浮かべた鈴を見て何だか胸が苦しくなる。

 

 そうだ、鈴と共に居られるのは千尋からすればあとわずかしか無いのだ。

 

 花嫁になる人間に珍しくそんな事を思った千尋は、初めて都に戻りたくないなどと考えてしまった。

 

 そして、やはりあと一週間ほど地上に居て鈴と大晦日と正月を過ごそうか、などと本気で考えそうになる自分自身に一番驚く。

 

 そんな千尋の心など知らない鈴は無邪気に微笑みかけてくる。 


「そうだ。お聞きしようと思って忘れる所でした」

「何でしょう?」

「龍の都はここからどれほどの距離があるのでしょうか?」

「都ですか? 距離は相当ありますが、私は龍の姿に戻るので一瞬でたどり着きますよ」

「一瞬?」

「ええ、一瞬」

「……そうですか」

「それがどうかしましたか?」

 

 何だか凄く残念そうな鈴に千尋が思わず声をかけると、鈴はしょんぼりした様子でぽつりと言った。


「いえ、遠いのでしたら道中お腹が空いてしまうかもしれないので、簡単なお弁当を作ろうと思ったのですが、一瞬なんですね。しかも龍の姿に戻るのですか!」

「ええ。あちらへ戻る時とこちらへ戻る時は龍の姿ですが――」


 そこまで言って千尋は考えた。そして言う。


「確かに都へ戻るのは一瞬ですが、そこから自宅までは距離があるので、もしかしたら道中お腹が減るかもしれません」

 

 それを聞いた鈴の顔がパッと輝く。


「ではおにぎりを作りますね! 千尋さまの大好きな佃煮のおにぎりと、梅のおにぎりにします!」

「それは嬉しいですね。ありがとうございます」

 

 まるで華が咲いたかのように微笑む鈴を見て千尋も思わず微笑む。本当は自宅などすぐに着くが、それは鈴には黙っておいた。

 

 

「こんな時間に何やってんだい?」


 夕食もお風呂も終えて後は寝るだけなのだが、鈴はまだ炊事場に居た。

 

 それを火の始末を点検しに通りかかった雅に見つかってしまう。


「米まで炊いてなんだ、握り飯? 夜食かい?」

「あ、いえ。千尋さまにお弁当を作ろうと思って」

「弁当? 千尋に? 何でまた」

「千尋さまが都へ戻ってそこから自宅までは遠いと仰るので、お弁当を作っても良いか聞いた所、快諾してくださったんです」


 そう言って鈴は熱々のご飯に具を詰めて握りだした。そんな鈴を雅は怪訝な顔をして見ている。


「あんたが言い出したのかい?」

「はい。私が送り出す時に出来る事と言えば、これぐらいですから」

「そんな事は無いだろうけど……千尋が自宅は遠いって?」

「はい! 道中、きっとお腹が空いてしまいますよね?」

 

 よほど嬉しそうな顔をしていたのか、鈴を見て雅は今度は苦笑いを浮かべる。


「そうだねぇ。どれぐらい遠いのかは知らないけど、途中で腹が減ったら困るもんね」

「はい!」


 鈴は笑顔で頷いてまたせっせとご飯を握っていたが、おにぎりだけでは味気無いと思い立って、ついでに卵焼きも焼くことにした。


「相変わらず美味そうな匂いだね」

「雅さんも食べますか?」

「こんな時間にかい?」

「夜食にどうぞ」


 そう言って鈴が卵焼き数切れと小さなおかかのおにぎりを渡すと、雅は目を細めてそれを受け取る。


「ありがとう。丁度小腹が減ってたんだ」


 その場でむしゃむしゃと食べてくれる雅の隣で、鈴はおにぎりと卵焼きを破子(当時のお弁当箱)の中に丁寧に詰めると、ふろしきできつく縛った。


「出来たのかい?」

「はい! 喜んでもらえるでしょうか?」

「そりゃ喜ぶだろうよ。千尋は誰かにこんな事された事もないだろうからね」

「そうなんですか?」

「そうさ。千尋も言ってたろ? 今までの花嫁達とはこんな風に生活してなかったってさ」


 そんな事を言いながら雅は最後の卵焼きを口に放り込んで後片付けを手伝ってくれる。


「だからさ、喜ぶと思うよ」

「だと嬉しいです」


 鈴が出来ることなど、本当にこれぐらいだ。千尋が少しでも喜んでくれたら嬉しい。思わず笑顔を浮かべた鈴を見て、雅も微笑んでくれた。

 

 深夜、窓を叩く雨の音が徐々に強くなってきたようで、その音で鈴は飛び起きた。

 

 昼間に千尋の治療を受けたからか、今日は痛み止めを飲まなくても背中は痛まず、この時間まで鈴はぐっすり眠りこけてしまっていたようだ。


「大変! お弁当を渡さないと!」


 鈴は千尋がくれた羽織を羽織って部屋を飛び出し、そのまま炊事場に駆け込み置いてあった風呂敷を掴んだ。


「何時ぐらいに出発されるんだろう?」


 そのまま千尋の部屋まで移動した鈴が控えめに千尋の部屋をノックすると、中からいつもの千尋の艶のある声が聞こえてくる。


「開いてますよ」

「失礼します。鈴です」


 そう言ってドアを開けると、千尋はいつものようにソファに座って本を読んでいた。


「鈴さん、本当に見送ってくれるのですか?」

「はい。あ、ご迷惑なら部屋に戻ります」

 

 こんな時間に男性の部屋を尋ねるなど、ありえない事だ。こんな事がもし佐伯家に知られたら、鈴はそれこそ街すら歩けなくなってしまうかもしれない。


 急いで踵を返そうとした鈴に、後ろから千尋が優しく声をかけてきた。


「大丈夫ですよ。ほら、雅も居るので」

「本当だ……気持ちよさそうに寝てますね」

「そうですね。今日はこの時間まで暖炉がついていますから」

 

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