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「あんた達、料理の進捗はどうだい?」
「姉さん! ちょうど良かった! ちょっとこれ皮剥いておいてもらえますか?」
喜兵衛が言った途端、雅は顔を歪ませて「様子見に来るんじゃなかった」などと呟いている。それでも渋々雅は今日の夕食に使う野菜を剥いてくれる。
「何だか懐かしいです!」
鈴が笑顔で言うと、雅が何故かチラリと喜兵衛を見た。そんな雅を見て喜兵衛はそっと視線を逸しながら言う。
「……ほんとですね。もうしばらく自分は実家に戻らないんで……また飾り切りの練習しましょう」
「はい!」
鈴が笑顔で頷くと、喜兵衛はホッとしたような泣きそうな顔で頷いた。
「上出来だよ、喜兵衛」
「……どうも」
うつむき加減でポツリと言った喜兵衛の背中を雅がよしよしと撫でてやっていた。
渾身のクリスマスディナーが終わると、今度はクリスマスツリーを飾った部屋で千尋がピアノを弾いてくれた。それを聞いているうちに、鈴は体がウズウズしてくるのを感じる。
「雅さん、踊りましょう!」
「へ!?」
鈴の隣で大人しくピアノを聞いていた雅の手を取って滅茶苦茶なステップで踊ると、それを見て千尋も楽しそうに目を細めてどんどんリズムを早くしていく。
しばらくして――。
「はぁ、はぁ……も、無理です!」
「なんだい、鈴。自分から言い出しといてだらしないねぇ」
「ふふ、楽しかったですね」
意地悪をした後の千尋の笑顔はとても妖艶だ。そこにさらに千尋から注文が入る。
「鈴さん、何か歌ってください」
「え!?」
「そうだよ! せっかくクリスマスなんだ。何か歌ってよ!」
「えっと……それじゃあアメイジング・グレイスを……」
「どうせなら全部歌いなって」
雅の言葉に千尋も頷いて断る間もなくピアノを弾き出した。最初はアメイジング・グレイスだ。
ふと千尋を見ると、千尋は少しだけ顔をこちらに向けて、まるで鈴の歌声に聞き入るようにピアノを奏でる。
千尋に教えた歌を全て歌い終わると、雅はいつの間にか黒猫に戻って小さな肉球で拍手をしてくれていた。
「はぁ、やはり何度聞いてもいいですね。他にも色々教えてくださいね」
「はい」
千尋に大したプレゼントを用意出来なかった鈴は、それから千尋に色んな歌を披露した。
龍人は音楽が好きというだけあって、千尋はどの歌もあっという間に弾けるようになってしまう。人間とはやはりそもそもの作りが違うのかもしれない。
「素晴らしいクリスマスですね。なるほど、これを毎年するのですか」
「ツリーを買ってきたは良いものの、どうしたらいいか分からなかったから楽しかったよ。ありがとね、鈴」
「いえ、とんでもないです。私もとても楽しかったです。ありがとうございました」
クリスマスにもう両親は居ないけれど、新しく家族と呼べる人たちと過ごす事が出来たのはとても幸せな事だ。そしてこれがこれからずっと続くかもしれないと思うと胸が踊る。
「そう言えば千尋さまは今年の終わりに龍の都に戻るのでしたか?」
「ええ。期日をきっちり守るのであれば、明後日に発つつもりですが、どうかしたのですか?」
ピアノの蓋を閉じてやって来た千尋は、そのまま鈴の正面に座る。
「あ、いえ、神森家はその、お正月とかするのかなって……思いまして」
「正月ですか? 普段なら一応しますよ。龍神の私が正月を祝わないのも何か違和感がありますから。でも来年は私は居ませんから雅達にお任せですね」
「あんたが居ないなら別に何もしないつもりだよ。とは言えうちの正月もそこら辺の家の正月と何ら変わりゃしないけどね。正月がどうかしたのかい?」
雅の言葉に鈴は恐らくあからさまに残念そうな顔をしていたのだろう。二人が心配そうに鈴の顔を覗き込んできた。
「その……私、実は日本に来てからお正月ってした事なくて、どんな事をするのかなって少しだけ興味があったと言いますか……でも、来年はしないだけですもんね! 再来年を楽しみにします!」
楽しみが伸びただけだと思えばいいだけだ。待つ楽しさも鈴は大好きだ。そんな事を考えながら微笑んだ鈴を見て、千尋と雅が顔を見合わせる。
「そうだったのですね。では今回はあちらへ戻るのは3日以降にしましょうか」
「え!?」
「え……本気かい? あんた今まで帰る日をズラした事なんて無かったじゃないか」
「そうでしたか?」
「そうだよ! 毎回毎回、帰る一週間も前からずっとソワソワしてさ! 何聞いても上の空でさ! いいのかい? 一週間もあっちに居る時間が減るんだよ!?」
「そうですね。でも残り三週間もある訳ですから。そういう訳なので鈴さん、今年は初めての年越しと正月をしましょうか。大正に入ってから正月は随分様変わりをしましたし」
にこやかにそんな事を言う千尋に鈴は青ざめて首を振った。
「い、いいえ! いけません! 千尋さまの帰りを待ってらっしゃる方たちがいるのに、それはいけません! 私が言ったことはどうか忘れてください!」
千尋は100年に一ヶ月しか龍の都に帰る事が出来ないのに、そんな千尋を鈴のただのワガママで引き止める訳にはいかない。何よりもあちらで千尋の帰りを待っているであろう恋人の初が可哀想だ。
鈴が全力で抗議をすると、千尋は少しだけ肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
「私は元々友人が少ないのでさほど待っている人も居ませんが」
「いいえ! 初さんが居ます!」
「ああ、初の事を気にしてくれるのですか?」
「当然です。私にはまだ恋というものはよく分かりませんが、恋愛小説を読んでいると、恋人と言うのは一時足りとも離れてはいられないそうなのです。いくら龍の寿命が長くとも、100年は長すぎます……」
そう言って視線を伏せた鈴に雅が隣から猫のまま呆れたような顔を鈴に向けてくる。
「あんたはそれでいいのかい? もっとうこうさ、何かないのかい?」
「何か、とは何でしょう?」
雅の言葉にキョトンとして鈴が言うと、雅は呆れたように器用に肩を竦める。
「確かに100年は長いですね。分かりました。今回は鈴さんの言う通り、予定通りにあちらに戻りましょう。雅、私が居なくても大晦日と正月をしてやってくれますか?」
「もちろんだよ。せっかく日本に来たんだ。日本の行事はしっかり網羅しときな。そうと決まれば明日にでも買い出しに行かないと!」
「買い出しですか? 大晦日とお正月は何か準備が必要なのですか?」
佐伯家では正月だけは外から料理人を呼んでいた。つまり、正月には何かご馳走が出るのだろう。鈴の言葉に雅は笑顔で頷く。
「ああ、そうだよ。正月の過ごし方は千尋も言ってたみたいに大分変わったんだよ。最近の正月はお祭りみたいであたしは好きだね」
「昔はどちらかと言うと豊穣がメインでしたからね。鈴さん、おせち料理や初詣なんかも楽しんで来てくださいね」
「はい!」
話を聞くだけでも既にワクワクしている鈴を見て千尋は目を細めて頷いた。
久しぶりのクリスマスが終わっても、鈴はなかなか寝付くことが出来なかった。
「はぁ……楽しかったな……クリスマス」
あと何回ぐらいこんな風にクリスマスを過ごすことが出来るのだろうか。千尋は龍に嫁ぐと短命になると言っていたが、どれぐらい短命になるのかまでは教えてはくれなかった。
「短く太く生きる、か」
以前はぼんやりとしか実感する事が出来なかった自分の人生が、神森家にやってきてようやくはっきりとしたような気がする。
今まで諦めていた字を覚えたり歌を好きな時に大声で歌ったり、お菓子作りだって佐伯家に居たら出来なかった事だ。
「楽しかったな」
鈴はもう一度呟いて目を閉じる。
両親を立て続けに亡くした時は、これほど不幸な人生があるのかと思っていた。
佐伯家に引き取られてしばらく経った頃、そんな風に考えるは止めて出来るだけ何でも良い方向に捉えようと努力し続けた。
気がつけばそれが鈴という人間になっていて、神森家にやってくる事が出来た。全ての事は無駄ではなかった。
けれど、どうしてたまに何もかもぐちゃぐちゃにしてしまいたいと思うのだろう。幸せだと感じれば感じるほど、必死になって隠してきた寂しがりやで泣き虫で臆病な本来の自分が悲鳴を上げる。
鈴は目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。そうすると心が途端に穏やかになっていく気がした。
「千尋さま、やっぱり私の血もいつか穢れてしまうかもしれません……」
千尋を失望させたくない。雅や喜兵衛や弥七にはこんな所見られたくない。
それぐらい、いつの間にか神森家の人々は鈴にとってとても大切な人たちになっていた。
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「私はいよいよ明日から都に戻りますが、家の事は任せましたよ、皆さん」
そう言って朝から全員の顔を見回すと、皆はしっかりと頷く。今までの里帰りにここへ呼ぶのは雅と喜兵衛と弥七だけだった。この場に花嫁を呼ぶのは初めての事だ。
とは言えまだ佐伯家から返事を貰っていないのだが、もう鈴以外を花嫁にする事など考えてもいない。最悪力を使ってしまおうかと考える程度には鈴の事はお気に入りだ。
「それから、年末年始は皆で揃って休暇をとるように。いいですね?」
「どういう事だい?」
「こうでも言っておかないと、雅はともかく他の方たちは普段通りに働きそうですからね」
「あたしはともかくって何だい!?」
すぐさまそんな風に噛み付いてくる雅に目を細めながら千尋は鈴に一枚の紙を渡した。
「鈴さんにはこれを渡しておきますね」
「これは何ですか? 地図?」
「ええ。ここらへんで初詣が出来る神社です。きっと楽しいですよ。是非行ってみてください」
「はい」
千尋の言葉に鈴は笑って頷くと、その地図を大切そうにポケットに仕舞う。
「明日は早朝にここを出ます。前後に雨と雷が激しくなると思うので、いつもの如く見送りはいりません」
「えっ! では、部屋からお見送りするのは構いませんか?」
「それはもちろんですが、見送ってくれるのですか? 早朝と言ってもほぼ深夜ですよ?」
「そうだよ、鈴。あんたがまだぐっすり寝てるような時間だよ?」
「そうなのですか? でもどのみち雷で目が覚めると思うので、やっぱり部屋からお見送りします」
「そうですか? ありがとうございます。ですが、とてもうるさいと思うので耳栓はしておいてくださいね」
「はい!」
鈴はしっかりと頷いて笑顔を浮かべるが、その顔はどこか寂しそうだ。
「すぐに戻ります。たったの一ヶ月ですよ」
「!」
「どうして分かったのだ!」と言わんばかりの鈴に千尋は思わず笑ってしまった。
こんな風に誰かが自分を見送り、帰りを待っていてくれるというのはとても嬉しい事だ。
千尋はそれから少しだけ眠って都へ戻る準備をしている最中にふと思った。
「そうだ、鈴さんに力を少し多目に流しておかなければ」
明日から一ヶ月もの間ここを離れるのだ。少しでも鈴の体の負担は和らげておきたい。
思い立ったら吉日だと千尋は部屋を出て、そのまま真っ直ぐに鈴の部屋に向かう。
「鈴さん、居ますか?」
千尋が部屋をノックして問いかけると、扉が静かに開いた。
そっと中から顔を出した鈴は、目を赤くして鼻をすすっている。そんな鈴を見て千尋はギョッとした。
「泣いていたのですか?」
頬に涙の跡がついていたので思わず尋ねると、鈴は胸に抱えていた一冊の本を掲げた。
昼食の準備をし終えて自由時間だった鈴は、どうやら本を読んでいたらしい。
「これ……ずっと一緒だった妹が亡くなるんです……せっかくSの関係になったのに……」
「本で泣いていたのですね……それで、Sというのは?」




