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「そんな事を言われたのですか? 確かに今の時代はまだ前の時代を引きずっていますが、私に関しては鈴さんのそういう正直な所が気に入っているので、何も遠慮する事はありませんよ。あなたはそのままで居てください」
「はい、ありがとうございます」
お礼を言った鈴を見て千尋は優しげな笑みを浮かべ、鈴の作った洋食の朝ごはんを満足気に食べる。何だかそれがとても嬉しかった。
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「雅、これを佐伯家に出しておいてもらえますか?」
鈴が神森家にやってきて一ヶ月と少し経った頃、そう言って千尋は書類の山の中から一通の封筒を雅に差し出した。それを受け取った雅は面倒そうに頷いてそれを着物の袂に仕舞い込む。
「とうとう結婚か……」
「そんなに嫌ですか? 以前はあれほどせっついて来たと言うのに」
「相手が鈴じゃなきゃ喜んださ。でもさ、実のところ複雑なんだよ」
「どういう意味です?」
「そりゃこれからも鈴がここに居るのかって思ったら嬉しいからさ。だから喜兵衛だって辞めるって言わないで休暇の前倒しに来たんだよ」
「あれはやはり、そういう事なのですか?」
昨夜遅くに喜兵衛は目を真っ赤に腫らして千尋に長期休暇の前倒しを頼みに来た。あまりにも腫れた目をしていたので千尋は思わず許可を出したが、喜兵衛はどうやら鈴に本気で恋していたようだった。
「そりゃ泣くさ。惚れた女が主に嫁ぐだけじゃなくて、子供は産めない、寿命は縮む、だなんてさ。絶望するだろ」
「……それはそうですよね……」
「なんだい、珍しく殊勝な態度じゃないか」
「私だって別に好き好んで彼女たちの寿命を縮めている訳ではありませんから。出来れば長く生きて欲しいと思っているし、力を使ってみた事もありましたが、何をしても無理でした」
「意外とそんな事してたんだね、あんた」
「あなた私を何だと思っているのですか?」
白い目を雅に向けて言うと、雅は肩を竦めて笑っただけだ。
「何にしても結婚が決まったら大事にしてやってくれ。監視員が三人は居るんだ。一瞬たりとも気を抜くんじゃないよ」
「それは怖いですね」
雅の言葉に千尋は苦笑いを浮かべて書類を捌いていく。
「ああ、そうだ。蔵の鍵貸して欲しいんだ。そろそろ風通さないと中の物がカビちまう」
「そうですね。ではお願いします」
引き出しの中から蔵の鍵を引っ張り出した千尋は、ふとある事を思い出してその鍵を引っ込めた。
「なんだよ?」
「雅、掃除が終わったら扉は開けておいてもらえますか?」
「構わないけど、何かあるのかい?」
「ええ、少し」
不思議そうな顔をする雅に千尋はただ笑みを浮かべて頷いて鍵を渡した。
それから鈴の作った渾身の夕食を食べて部屋に戻ると、千尋は燭台を持って蔵へと向かった。
蔵の扉は言いつけどおり開け放たれたままだ。千尋はそれを確認して蔵の中に入ると、あちこちの燭台に火を灯す。
すぐに消えてしまうといけないので少しだけ扉を閉めに戻ると、何故かそこに鈴が現れた。
「おや? 鈴さん?」
「千尋さま!? どうしてこんなお時間に蔵に?」
「それはこちらのセリフです。あなたこそどうして……まだ髪も濡れているではありませんか。早く入ってください。風邪を引いてしまいますよ」
そう言って千尋は驚いて目を丸くする鈴の体を引き寄せた。
突然の事に鈴は一瞬体を強張らせたものの、すぐに千尋の言う通り蔵へ入ってくる。
「それで、どうしてここへ?」
「お昼に雅さんと蔵の掃除をしていたのですが、ここに忘れ物をしてきた事を思い出して取りに来たんです」
そう言って鈴は蔵の奥にあった椅子の上に置いてある袋を大切そうに胸に抱き締める。
「それは?」
「お薬です。雅さんから聞いているとは思いますが、そろそろ雨が降ると思いますよ」
「ああ、雨の前は痛むのでしたか?」
「……はい」
そう言ってしょんぼりと項垂れた鈴を見て千尋はそっとその小さな頭を撫でる。
「雨の前に痛むのは気圧の変化のせいなのでしょうね。降り出してしばらくすると落ち着くのですか?」
「はい。ただ、台風の時期などは通過するまで痛みます」
「それは災難ですね……そんなに酷い怪我だったのですか?」
「そのようです。その時の事をもう私はあまり覚えてはいないのですが、意識がほとんどない中で叔父の「今夜が峠か」とか叔母の「傷が残ったら――」とか聞こえた気がするので、危なかったのかもしれません」
それを聞いて千尋は眉をしかめた。普通、まずは命を心配するのではないのか。勇の方はまだ良いとして、久子は鈴を本当に道具か何かのように思っていたのか?
何だか胸の奥がヒリつくのを抑えるように千尋はもう一度鈴の頭を出来るだけ優しく撫でる。
「そうでしたか。未だに薬を飲まなければ制御出来ない程の痛みなのです。きっと恐ろしい事故だったのでしょう。ですが、痛み止めの薬は常用すると効かなくなってしまいます。今度痛みだしたら私の所へ来てください」
「千尋さまの所に?」
「ええ。龍神の中でも私は水龍です。水龍は血の流れを正しくする事が出来るのですよ。気圧のせいで乱れたあなたの中の水分を、正常値に戻してあげましょう」
そう言って微笑む千尋を見て、鈴は泣きそうな顔をして薬の袋を握りしめる。
「ありがとう……ございます」
「いいえ、どういたしまして」
あまりにも深々とお辞儀をする鈴が不思議で千尋が首を傾げると、鈴は恥ずかしそうに俯いた。
「本当はもうすぐ薬が無くなってしまうのでどうしようかと思っていたんです。買いたくても私は手持ちがあまりありませんし」
それを聞いて千尋は驚く。まさか薬を自腹で購入しようとしていたのか!
「それこそ私に言ってください。あなたがこれから生活していく上で必要な物は私が買いますから」
「で、でも」
「夫婦になるとは、結婚するとはそういう事ですよ、鈴さん。私に遠慮はしないと約束してください」
「……はい。でしたら、千尋さまもちゃんと言ってくださいね」
「ええ、もちろん」
むしろこんな曰く付きの家に嫁に来てくれるだけで十分なのだが、鈴の性格上それはきっと許さないだろう。
何となくそんな事が手に取るように分かってしまって笑った千尋に今度は鈴が問いかけてくる。
「そう言えば千尋さまはどうしてこんな時間に蔵に?」
鈴に言われて千尋はハッとして蔵の奥に視線をやった。
「忘れる所でした。私はある物を探しに来て――」
最後まで言い終える前に、千尋は何か嫌な予感がしてふと顔を上げて青ざめる。そんな千尋を見て鈴も振り返り息を呑んだ。
それと同時に開け放していた二重扉の内側の扉の入り口が、音を立てて閉じてしまう。
「ち、ち、千尋さま! ど、ど、どうしましょう?」
「……困りましたね。鍵は外のドアに刺さったままなんですよね」
「え」
「あ、雅から聞きましたか? この蔵の構造」
「絶対に途中で閉めちゃ駄目とは言われました」
何の気無しに千尋が言うと、鈴は青ざめて答える。
「そうですか。この蔵は少し特殊で、扉が閉まると勝手に鍵がかかってしまうのですよ」
「え!?」
それを聞いて恐る恐る振り返った鈴は、急いで扉まで走って行ってどうにか開けようとしているが、重い扉はまるで金庫のようにビクともしない。
「あ、開きません!」
「ええ、だからそういう構造なんです」
あまりにも必死になって扉を開けようとしている鈴がおかしくて思わず千尋が肩を揺らすと、すぐさま鈴は戻ってきて千尋を見上げて少しだけ頬を膨らませる。
「ど、どうして笑うのですか?」
「すみません。必死になって扉を開けようとしているあなたが可愛らしくて」
それだけ言って千尋は扉の前に移動すると、鈴と同じようにノブを回してみるが、やはり開かない。
「うーん……これは誰かが気づいてくれるまでここで待つしか無さそうです」
「そ、そんな……」
「私と居るのは不安ですか?」
「え?」
「あまりにも悲壮な顔をしているので、私と二人きりになるのが怖いのかと」
「ち、違います! その、この蔵……出ません……よね?」
「え?」
「お、お化け……とか」
「……お化け」
「はい」
「怖いのですか?」
「……はい」
「ふっ……ああ、いえ! 別にバカにした訳ではありませんよ? そうですか、あなたはお化けが苦手なのですか」
「はい……小さい頃からどうしても怖くて……佐伯家に居る時も蔵で寝るのは本当は怖くて……」
「そうですか。安心しました」
「安心、ですか?」
「ええ。鈴さんの鼓動が蔵に入ってからいつもよりもずっと早かったので、二人きりが嫌なのか、それとも蔵はやはり何か嫌なことを思い出すのかと思っていたのですが、お化けに怯えていたのですね」
「う……はい。何ていうかこう、薄暗くてジメジメした所に居そうじゃないですか……」
「そんな、ネズミや虫とは違うのですから!」
思わず声を出して笑う千尋を鈴が恨みがましそうに見上げてくるが、そんな仕草すら何だか愛らしい。
そこまで考えて千尋はハッとした。声を出して笑うのなんていつ振りだろうか。鈴がここへやって来てから、思えば随分笑うようになった気がする。
「そうか……だから空気が澄んだのですね……」
「え?」
「すみません、こちらの話です。それからお化けの件は大丈夫ですよ。ここは元社で、今も龍神が住まう土地です。そんな所にのこのこやって来るお化けは居ませんよ」
「あ、そう言えばそうですね……神様が居るんですもんね。そんな所に出たら一瞬で召されてしまいますよね!」
何かに納得したように顔を輝かせた鈴を見て、とうとう千尋は体を折り曲げて笑ってしまった。
そんな千尋を見て鈴はキョトンとしているが、やがておかしくなってきたのか、鈴も笑い出す。
その声は鈴のように軽やかで、シンとした蔵の中に静かに響き渡った。
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「やはり無理ですね。仕方ありません。誰かが気づいてくれるまでここに居るしか無さそうです」
千尋はそう言って蔵の二階から下りてきて言った。
二階の窓から外に出る事が出来ないかどうか確かめに行ってくれていたのだが、やはり無理だったようだ。
こうなったら覚悟を決めるしかない。どうかお手洗いに行きたくなりませんように、と願いを込めながら鈴も頷いた。
「ところで先程のお話なのですが、千尋さまは何故ここへ?」
「そうでした。確かここらへんに仕舞っていたと思うんですが――あった、これです」
そう言って千尋が取り出したのはズラリと繋がった色のついたランプだった。それを見て鈴は目を輝かせる。
「もしかしてクリスマスツリーですか?」
「当たりです。鈴さんには馴染み深いかと思って探しに来たのですよ」
「はい! わぁ……ちゃんと他の飾りもあるんですね! これ、どうされたんですか?」
「大分前にクリスマスツリーと言う物の存在を聞きつけた雅が面白がってデパートで色々買ってきたんです。その時ですよ、ケーキを食べたのは」
「なるほど、そうだったんですね。もしかしてクリスマスをするのですか?」
「出来ればいいな、と思って探しに来たんです。ああ、良かった。ちゃんと一式揃っていますね」
千尋はそう言って電飾が入っていた箱を覗き込んで微笑む。こんな寒い場所にこっそりと鈴の為にクリスマスツリーを探しに来てくれた千尋に鈴は思わず目を潤ませてしまった。
佐伯家に引き取られてからクリスマスなんてした事無い。お正月も参加させてもらえなかったし、行事事の殆どはずっと無縁だった。




