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龍の箱庭  作者: 揚羽渓名
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「何言ってんだ。あたしも行くに決まってるだろ? 街慣れしてないあんたと鈴を二人きりになんて出来る訳がない。行ったはいいが迷子になって帰ってこられなくなったらどうすんだい」

「それは確かにその通りですね。では雅、当日は私達の案内をよろしくお願いします。そうだ、お礼に以前行き損ねたフルーツパーラーにも行きますか?」

「ああ、そうだね。きっと鈴も喜ぶよ。どうせなら喜兵衛も誘うかい?」


 雅からの提案に千尋は少しだけ考えて首を振った。


「いえ、喜兵衛にも仕事があります。彼は確か今月の末からまとまった休暇届が出ていたので、それを削らせるのは申し訳ないです」

「それじゃあ弥七は?」

「弥七はそもそも買い物にあまり出ないでしょう?」

「……そうだね」

 

 不本意そうに雅はそう言ってため息を落とすが、喜兵衛と弥七に予定があろうが無かろうが最初から誘う気も無かった千尋だ。そもそも雅ですら最初は誘う気などなかったのだから。


「では鈴さんに話してきましょう」


 そう言って立ち上がる千尋を見て、雅が小さく舌打ちをしたのを千尋は聞き逃さなかった。


 最近の雅はどうにも千尋への当たりがキツイ。一体何だと言うのか。言いたいことがあれば直接言えばいいし、言いたくないのなら態度に出すべきではないとは思うが、別にそれを問い詰めようとまでは思わない。きっと、雅には雅の考えがあるのだろう。


 千尋は部屋を出ると真っ直ぐに炊事場に向かった。この時間なら、きっと鈴は喜兵衛と共に夕食の手伝いをしているはずだ。


 炊事場から中を覗くと、やはりそこに鈴は居た。何やら真剣な顔をして喜兵衛の言葉をメモしているが、たまに二人は笑い合ってとても和やかな雰囲気でいる。


「談笑中申し訳ないのですが、少しいいですか?」


 千尋が特に何の遠慮もせずに声をかけると、二人はすぐに振り向いた。


「千尋様。どうかされましたか?」

「千尋さま、今日の夕飯もとても美味しそうですよ!」


 二人はそれぞれに返事をしてくれた。そんな二人を見て千尋は微笑むと、鈴に向かって手招きをする。


「私ですか? 何かしましたか?」

「いえいえ、少しあなたにお話があって。喜兵衛、少し彼女を連れて行ってもいいですか?」

「もちろんです。鈴さん、それじゃあ今日の飾り切りは戻ってきてから練習しましょう」

「はい! ありがとうございます」


 鈴はそう言って喜兵衛に向かってにこやかに笑いかけて頭を下げ、千尋を見上げてきた。その顔はどこか緊張していて思わず千尋は苦笑いを浮かべる。


「私も狐の面をつけましょうか?」

「え!? い、いえ、千尋さまが面をつけても千尋さまですよ……」

「はは! 冗談ですよ。では行きましょう」


 そう言って千尋が手を差し出すと、鈴は相変わらず指先だけを乗せてくる。何となくそれが今更気になって、いつもなら指先だけを掴むけれど、思い切って今日はしっかりと手を繋いでみた。


「!」

 

 すると、鈴は途端に顔を真っ赤にしたかと思うと、次の瞬間には青ざめる。


「何もそんなに緊張しなくても。手を繋いだだけで粗相をする方が難しいと思いますよ?」

「そ、そんな事はありません。例えば緊張で手に汗をかいてしまったり、強く握りすぎてしまったりするかもしれません」

「気にしすぎですよ。雅とはよく手を繋いでいるじゃありませんか」

「み、雅さんは何ていうか、姉のような気安さがあるので」

「確かに。雅は大体の人から姉さんと呼ばれていますね。彼女は私にとってもとても頼りになりますから」


 実際雅との付き合いはもう大分長い。彼女は猫又になる前から気づけば千尋の社に住み着いていた。そして気づけば猫又になり、そのまま居着いてしまったのだ。


「雅はこの家で猫又になったんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。最初は黒い猫が住み着いたんだなと思っていたんですが、気づけば猫又になって私の雑用係をしてくれていました」

 

 その時の事を思い出して千尋が笑うと、鈴もにこやかに頷いてくれた。


「雅さんらしいです」

「雅らしい、ですか?」

「はい。雅さんはこんな私でも面倒を見てくれる方ですから、きっと千尋さまの事も助けたかったのかなと思いました。とても優しい人です」

「……そうですね。私には厳しいし口は悪いですけどね」

「そこも雅さんの魅力です」


 雅の話になると途端に嬉しそうになる鈴を見て、千尋は少しだけ眉をしかめた。


「鈴さんは雅が好きですか?」

「はい、もちろんです!」

「喜兵衛や弥七は?」

「大好きですよ。お二人は私の知らない事を笑ったりしませんし、一から丁寧に教えてくれるので」


 鈴は嘘はつかない。いつだって正直で素直だ。そして大人しい割に自分の意思をしっかりと持っている。


「では、私は?」


 何気なく千尋が問いかけると、鈴は少しだけ困惑したような顔をして想像もしていなかった答えが返ってきた。


「えっと、好きだと言ってもご迷惑にはなりませんか?」

「迷惑だなんて! どうしてそう思うのです?」

「いえ、何となく、そういうのは千尋さまは煩わしいのではないかと思いまして」

「煩わしい? 私が?」

「はい。千尋さまはなんていうか、あまり他人に興味がなさそうな方だな、と」

「それは間違いではないかもしれませんが、好意を寄せてもらえるのは普通に嬉しいですよ?」


 嫌われるよりはそりゃその方がいいに決まっている。そんな風に千尋が伝えると、鈴は安心したように微笑んだ。


「そうですか。もちろん、千尋さまも大好きですよ」

「……」


 何の衒いも無い鈴の笑顔に思わず千尋は息を呑んだ。


 鈴の好きはきっと犬が好きだとか猫が好きだとかの程度であるのは分かっている。それなのに何だか胸の奥が珍しくモヤモヤとした。


「千尋さま?」

「ああ、すみません。私も鈴さんが好きですよ。あなたはとても落ち着いているので一緒に居ると安心します」

「そうですか? そんな事は初めて言われました」

「ええ。血の流れと同様、落ち着きのある安定した方だなと思いますよ」

「ありがとうございます」


 千尋の言葉に鈴は、はにかむように笑った。そんな鈴を見て自然と千尋にも笑顔が浮かぶ。


「ところで千尋さま、私にお話というのは?」

「そうでした。明後日にでも街に行きませんか?」

「何か買い出しですか? 必要な物をメモしてもらえば、雅さんにお願いしてついてきてもらえるよう頼んでみますね」


 何か誤解しているのか、鈴はどうやら千尋のお使いをするつもりらしい。千尋はそれに気づいて慌てて言い直した。


「鈴さん、誤解です。私のお使いではなくて、私と買い物に行きませんか? と言いたかったんです」

「ああ、なるほ……え?」


 一瞬何かに納得しかけた鈴は、分かりやすく次の瞬間青ざめて両手を顔の前で振っている。


「む、無理です! 私、絶対に何か粗相します!」

「構いませんよ。こう見えて気はとても長い方なので」


 にこやかに言う千尋に鈴はさらに激しく首を振る。


「き、緊張して呼吸を忘れてしまうかもしれません! そうだ! 街に行きたいのでしたら、雅さんか喜兵衛さんを誘ってみては!?」


 物凄く動揺する鈴が何だかおかしくなってきた千尋は、一歩鈴に近寄って言った。


「それでは意味が無いのです。私は、あなたと街に行きたいんですよ」

「な、何故……」

「何故でしょう? 何となくあなたの事をもっと知りたくなったのかもしれません」

「それこそ何故……?」

「理由は私にも分かりません。鈴さんは私と街を歩くのは嫌ですか?」

「嫌ではありません! ですが、街で千尋さまと歩く自分を想像出来ません……」


 そう言ってしょんぼりと俯いた鈴の頭を千尋はそっと撫でてみた。こんな事を誰かにするのは初めてだ。初にすらした事が無い。


 流石の鈴もそれに驚いたのか、ハッとして顔を上げて千尋を凝視してくるが、その顔は耳まで真っ赤だ。


「でしたらなおさら、行ってみませんか? それに雅が案内してくれるそうですよ」

「雅さんが?」

「ええ。あと、この間行き損ねたフルーツパーラーにも行きましょう」


 何気なく千尋が言うと、鈴はパッと顔を輝かせる。


「それは雅さんが喜びそうです!」


 鈴の言葉に千尋は小さく微笑んだ。


「雅も同じことを言ってましたよ」

「雅さんが?」

「ええ。それは鈴も喜ぶだろう、と。あなた達は互いの事を好いているのですね」


 そう言って鈴を見下ろすと、鈴は嬉しそうな恥ずかしそうな顔をして頷き言う。


「そうだと……嬉しいです」

 

 と。

 

 何だかその顔が妙に千尋の脳裏に焼き付いた。

 

 

 鈴は千尋と別れて炊事場に戻ると、心ここにあらずのまま喜兵衛から飾り切りを教わり、夕飯までを自室で過ごすことにした。

 

 これからまた雨が降るのか背中が少し痛む。最近は何だか雨や雪の頻度が高い。年が明ければ、きっとさらに冷え込んで痛む日が増えるだろう。


 いっそずっと雨や雪が降れば傷まないのだが、晴れたり降ったりするのが一番辛い事を鈴はよく知っていた。


「それにしても、どうして突然街なんだろう……」


 千尋からの突然の申し出を不思議に思いながら鈴は寝台に添えつけられている引き出しを開けて痛み止めの薬を取り出し水で流し込んだ。


 それから薬の入った袋を見てため息を落とす。


「もうちょっとで無くなっちゃう……どうしよう。街に同じのってあるのかな……」


 佐伯家に居た時の鈴は外に出ることを許されていなかった為、この薬はいつも蘭が届けてくれていた。


 とは言え、実際に蘭が鈴に手渡しでくれた事はない。あのおにぎり同様にいつの間にか薬が切れそうになると蔵の前に置いてあったのだ。


 なので、蘭が一体どこから薬を仕入れていたのかが分からなくて同じものを買いに行くことも出来ない。


「蘭ちゃんに手紙出して聞いてみようかな……」

「何を聞いてみるんだい?」

「雅さん! すみません、こんな格好で! っっ」


 突然窓から侵入してきた雅を見て慌てて鈴が起き上がると、背中が引き攣れるように痛む。

 

 思わず顔をしかめて蹲った鈴を見て、雅がすぐさま人型になって駆け寄ってきた。


「大丈夫かい!?」

「あ、すみません……大丈夫、です。もうじき収まると思う……ので」

「収まる? 一体何が――これは?」


 雅はそう言って寝台の上に置いてあった薬の袋を見て怪訝な顔をする。


「それは……薬、です」

「なんの」

「痛み止め……です」

「痛み止め? どっか痛むのかい?」

「はい……雨や雪が降る前、背中の傷が軋むみたいな感じで……黙っててすみません」


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