不穏の中の平穏
次第に不穏な状況になっていく夜明けの森に不安を感じるユウとトリスタンだったが、それでも日々の生活を続けるためには森に入って魔物狩りをする必要があった。今や魔物よりも貴族子弟の方が脅威であるわけだが、幸い以前よりもその数は大いに減っているので簡単には遭遇しなくなってきている。
また、冒険者同士も地元とよそ者との間にある溝が隠れ潜んでいた。これから季節は冬に向かい、それに従って魔物の数は減ってゆく。にもかかわらず冒険者の数は従来のままなので魔物の取り合いになるのは時間の問題だ。これについては誰もがうっすらと感じており、近いうちに表面化するだろうと予想している。
2人は一定の期間森に入って魔物狩りをした後はそういった話から逃れるように長めの休みを取った。状況が好転してくれるわけではないが、気晴らしは必要なのだ。
季節は既に秋に差しかかり、朝晩は涼しくなった。もうしばらくすると肌寒く感じることだろう。また、日照時間が短くなっていくということは、日の出の時間は遅くなり、日の入りの時間は早くなるということだ。既に日の出の時間は三の刻へと大きく近づきつつある。
この時期からユウは毎朝起きると鍛錬を再開した。二の刻に起きると日の出の時間まで暗くて執筆できないからであるが、同時に朝方の冷え込みに対処するためでもある。
そんなある日の朝、宿の裏方に向かうためにユウが廊下を歩いているとベッキーと出くわした。この宿娘は以前のような浮ついた感じが一段落し、最近は落ち着いてきている。
「ベッキー、おはよう」
「おはよう。今日も休みなのね」
「そうだよ。また長めに休もうと思っているんだ」
「いいことじゃない。でも、あんたの場合は部屋に閉じこもって全然姿を見せないけれど」
「ははは、別に悪さをしているわけじゃないんだから良いじゃない」
「そうなんだけど、うーん、何て言うのか、不健全よ」
「え? そう?」
「そうよ。もっと外を出歩いたらどうなの? いい人が見つかるかもしれないわよ?」
「あーうん」
「それで見つけたら、さっさとくっついたらいいのよ」
「僕にそんなことを言うなんて珍しいね。何かあったの?」
「何もないわ。ただのちょっとした助言よ」
不思議そうに尋ねるユウに対してベッキーが大人びた態度で返答した。そうしてそのまますれ違って去ってゆく。
結局なんだったのかわからないまま裏方に行き、用を済ませてから宿のロビーに差しかかると今度はアマンダと出くわした。
「おはよう、アマンダ」
「この時間にのんびりとしてるということは、今日も休みかい」
「そうだよ。働いたから休まないとね。ところで、ベッキーって最近何かあったの? さっきもっと外に出ていい人を見つけろって言われたんだけれど」
「くく、あの子ったら、ちょっと自分がうまくいってるからってすぐそういうことを言うんだねぇ」
「うまくいっている? 何かあったんだ」
「何日か前にここへ彼氏を連れてきたんだよ、あの子。別の宿の三男坊のサミーって男なんだけどね」
「あ、ついに紹介したんですか、ベッキー」
「そうなんだよ。それであたしも母さんも快く応じたもんだから、今は自分が世界の中心だなんて思ってるんじゃないかしらねぇ」
「それであんなことを言ったんだ」
「この宿に引っぱる気満々で頑張ってるのを見てると微笑ましくてねぇ。ただ、母さんが顔を見る度に早く結婚してひ孫を見せろっていうのはいただけないと思うんだよ。ああいうのは焦らしちゃダメだから」
「あたしゃ何にも言ってないよ。今はね」
2人で話をしていると、受付カウンターの席に座るジェナが声をかけてきた。アマンダがそちらに顔を向けて苦笑いするとジェナがそっぽを向く。あんたもあたしの歳になったらわかるさと言って。
自室に戻って日の出後に室内が明るくなるとユウは自伝の執筆を始めた。トリスタンは三の刻になると部屋を出て行く。今日は市場で夕飯を食べるので終日戻って来ないと聞かされた。
昼になるとユウは宿を出る。宿屋街の路地を抜けて貧者の道へと移った。雲の多い空からたまに差し込んでくる日差しを浴びるがもう暑くはない。
安酒場街の路地にそのまま踏み込んで人の流れに乗ったユウは『昼間の飲兵衛亭』にたどり着いた。中に入ると相変わらず盛況だ。いつものようにカウンター席へと向かう。
そのとき、厨房とホールの境にエラがいるのを見つけた。この店で見かけたのは初めてだ。そのエラが少し無骨な顔でしっかりとした体の男と話をしていることに気付く。
これは話しかけられないなと思ったユウだったが、厨房に引っ込んだ男と別れたエラが振り向いたときに視線が合った。何となく気まずいと思ったものの、向こうから話しかけてくる。
「ユウじゃない。ここで会うなんて珍しいわね」
「珍しいというより初めてだよ。ついにこっちのお店に移ったの?」
「まだよ。給仕の女の子が1人病気で休んじゃったから手伝ってほしいって言われて来たのよ」
「なるほど。でも、泥酔亭は良いの?」
「あっちはサリーとタビサがいるから何とかなるわ。厨房はエヴァンがいるしね」
「確かにそれだったら大丈夫なのかな。ところで、さっき話していた男の人はもしかして?」
「そうよ。あたしの彼氏のレナルドよ」
「ここには散々通っているのに初めて見るなぁ」
「普段はずっと厨房で料理を作ってるからよ。表に出てこないから知らないお客も多いらしいわね」
「それ、次の店主としてまずくない?」
「あたしがこっちに来たらたまにロビーへ出すつもりよ。顔くらい見せなさいって」
背中を押されて厨房から追い出されるレナルドの姿をユウは頭の中に思い浮かべた。きっと尻に敷かれるんだろうなと想像する。
苦笑いをしながら料理と酒を注文したユウはエラと別れてカウンター席に座った。
宿の部屋で自伝の執筆をしていたユウは鐘の音を聞いた。ペンを机に置いて立ち上がる。これから夕食だ。
宿を出たユウは安酒場『泥酔亭』へと向かった。安酒場街の路地と同じように店内も盛況である。テーブル席は満席だ。
1人なのでカウンター席に足を向けたユウは空の食器を持ったサリーと出くわす。
「あら、いらっしゃい。今日からしばらくエラはこの店にはいないわよ」
「昼間の飲兵衛亭で働くんでしょ。昼間に行ったときに会ったよ。1人休んだ穴埋めらしいね」
「なんだ知ってたの。そういえばあんたって昼間はあっちのお店に行くんだっけ? そりゃ知ってて当然か」
「でもまだ移るわけじゃないんでしょ。本人はそう言っていたよ」
「絶対に捕まえてみせるって息巻いていたから、早速乗り込んだのよ。今回はまず顔見せってところね」
小さく肩をすくめたサリーの言葉にユウはそういう考え方もあるのかと感心した。ただの穴埋め要員というわけではなさそうだと知る。
いつもの注文を頼んだユウはサリーと別れるとカウンター席に座った。しばらくするとタビサがカウンターの奥から顔を出して料理と酒を並べてくれる。
「はい、お待ちどおさま。楽しんでいっておくれ。ところで、今日からしばらくエラはこの店にはいないよ」
「本人からもサリーからも聞きました、その話」
「おやそうかい。まぁあんたはあっちの店にも行ってるから知ってて当然だったねぇ」
「初めて見たときは驚きましたけれどね。でも、今回はまた戻ってくるらしいじゃないですか」
「今回は顔見せだからね。これからも何回かあっちへ行くだろうさ。そうやって厨房の料理人とホールの給仕女に顔を覚えてもらうんだよ。乗り込むのはその後さ」
「準備が必要というわけですか」
「いきなり嫁でございって乗り込んでも、向こうはエラのことを知らないからなんだこいつってなるじゃないか。だから最初に手伝いから始めて徐々に周りに馴染んでいくようにするのさ。こうすると軋轢が少なくなるだろう?」
「確かに」
「とはいっても、エラはそういうのがうまいから、あんまり時間はかからないだろうね。早けりゃ年内にも店を移るかもしれないよ」
「ということは、いよいよ結婚かぁ」
「それはもうちょっと後になるんじゃないかい。来年中だとは思うけどさ」
自身の予想をしゃべったところでタビサが奥へと引っ込んだ。残されたユウは料理と酒に手を付ける。まずはエール、そして次に肉だ。
食事を始めながらユウは考えた。森だけでなく街の方も日々変わってきている。普段は気にならないが、こうして知り合いに大きな変化があるとそれを強く感じた。
それに対して自分はどうなのだろうかとユウは首を傾げる。5年10年単位で見ると確かに大きく変化をしていた。それならば自分も何かしら変わっているのだろうと思う。
ユウは改めて自分の生活を見直した。




