変化する日々
長らく雨が降る日々が続いていたが、7月になると一転して晴れた。西方辺境では珍しく青空が続く日々である夏が始まったのだ。それまでも徐々に気温は上がっていたが、ここから一気に暑くなる。
人々の生活はそれまでと違いはない。だが、活発に見えるのは気のせいではなかった。それまでの陰鬱な気候により縮こまっていた人々が陽気な雰囲気に当てられて活動的になったのは確かだからだ。
6月の終わりから休暇に入っていたユウとトリスタンは引き続き休んでいた。魔物の間引き期間が始まってからは体力を回復させるために最小限しか休んでいなかったからだ。この辺りで湿った心と体と服を乾かす機会が必要なのである。
早速ユウは境界の川で体と服を洗った。一年で最も川に入りやすい時期がやって来たのだ。待っていましたとばかりに川へと向かった。まずは服を洗い、それを河原で乾かしている間に体を洗う。上がれば裸で鍛錬だ。いつの間にかこの流れが確立していた。
一方、トリスタンは雨の日々から解放されると頻繁に市場へと通うようになる。もう濡れることを気にせず行動できるので遠慮がなくなったのだ。毎日三の刻になると楽しそうに宿の部屋から出て行った。
そんな日々を過ごしていたユウはある日、昼食のために自伝の執筆を中断して部屋を出る。このときになって周囲の雰囲気がいつもと少し違うことに気付いた。受付カウンターで鍵を返したときにジェナへと話しかける。
「ジェナ、今日はなんだか周りの様子がいつもと違うね」
「そりゃそうだよ。今日は降臨祭だからね。あんただって知ってるだろうに」
「ああそうか。どうりでトリスタンがいつもより楽しそうだったんだ」
「よその町からやって来た相棒の方が良く知ってるなんて嘆かわしいじゃないか」
「いやぁ、あはは」
「仕事をしていない日はずっと引きこもってるから世間に取り残されちまうんだよ。若いんだからもっと外に行かなきゃねぇ」
「今から行ってきますよ。酒場にね」
「ついでに見世物も見ておいで。貧者の道を通るんだったら、いくらでも見られるよ」
「ああなるほど、それは良い考えだね。見て回ってくるよ」
降臨祭を手間をかけずに楽しむ方法を教えてもらったユウはうなずいた。体を反転させると宿を出る。
宿屋街の路地はいつもよりも人が多かった。昼間ならもっと落ち着いているはずなのに人通りが多いのは明らかに祭の影響だ。往来する人々の流れに沿って北へと進み、貧者の道へと出る。
道の北側に広がる原っぱには様々な催し物が開かれていた。演劇、大道芸、手品、決闘などが耳目を集めている。かつて貧民街で生活していた頃にも同じものを目にしたが、あれらが手を替え品を替えて今も続いていた。
貧者の道を歩きながらユウはそれを眺めて懐かしがる。今はもう会うこともない仲間たちが楽しみにしていた祭だ。誰がどの催し物を好んでいたのかはほとんど記憶の彼方だが、思い出したければ自伝を読み返せば良い。こういうとき、書いていて良かったと思う。
催し物を眺めながら歩いていたユウは自分が祭を楽しんでいないことに気付いた。懐かしがってはいるがそれだけである。毎年似たような催し物ばかりだからだろうかとも考えたが、そうなると大陸一周をした自分には物足りなくて当然だという気がしてきた。
何とも悲しい話である。大陸各地で色々なことを見聞きしてきたことは楽しかったが、それと引き換えに故郷の祭を楽しめなくなっていたのだ。
良いことばかりではないなと若干肩を落としたユウだったが、そのとき、視界の端に見知った人影を捉えた。改めて目を向けるとベッキーの後ろ姿である。昨日から浮かれた様子だったが、あれは降臨祭を楽しみにしていたからでもあったのだ。
そうして視線を他へと向けようとしたユウはしかし、そのベッキーが隣の若い男と肩を密着させていることに気付く。それでどのような仲なのか察した。
安酒場街までやって来たユウは前に向き直る。祭の日だけに路地の混み具合は日暮れ前後のようだ。
いつもの酒場へと向かうためにユウはそんな路地へと入った。
降臨祭後もユウとトリスタンの生活は変わらなかった。ユウは自伝を書き、トリスタンは市場へと出かける。普段ならばそろそろ働こうと思ってもおかしくない時期だが、このときの2人はそんなそぶりも見せなかった。
そんなある日、ユウは1枚の羊皮紙に走らせていたペンを止める。それを机の上に置くと文字がびっしりと書き込まれた羊皮紙を眺めた。その顔にはやりきったという喜びで溢れている。
やがて大きく息を吐き出して立ち上がったユウは大きく背伸びをした。そのとき、扉が開いてトリスタンが入ってくる。
「どうした? ああ、また書いていたんだな」
「聞いてトリスタン、ついに故郷へ帰ってきたときのことまで書けたんだ!」
「書けた? その羊皮紙に書いていた自伝のことか?」
「そうだよ。長かったけれど、やっと大陸一周のことを書けたんだ」
目を輝かせたユウが嬉しそうに言った。トリスタンが若干の笑みを浮かべながら褒めてくれると嬉しそうにうなずく。反応が薄いのはいつも通りのことだ。近頃ではもう気にならない。否定されなければそれで良しとしていた。
そんな喜ぶユウに対してトリスタンが尋ねる。
「それで、お前はもう晩飯を食ったのか?」
「え? あ、まだこれからだよ」
「最近いつもそうだな。さっき泥酔亭で食ってきたが、お前が飯を食い忘れていないか心配していたぞ」
「そうなんだ。それじゃ行ってくる」
「行ってこい。もう七の刻も近いからな。あんまりゆっくりとは食えないぞ」
食事に行くよう促されたユウは承知するとすぐに部屋を出た。往来する人が掲げる明かりを頼りにすっかり暗くなった路地を1人歩く。
貧者の道を経て安酒場街の路地に移ったユウは安酒場『泥酔亭』に入った。店内はかなり落ち着いている。閉店の時間が見えてくる頃だとこんなものだ。
カウンター席に足を向けると機嫌の良いエラと出くわす。
「今日も遅いわね、ユウ」
「書き物をしていたからね。ようやく大陸一周したことを全部書けたよ」
「あら、良かったじゃない。おめでとう!」
そういうと空の食器を手に持って厨房へとその姿を消した。やり取りはいつもとあまり変わりないが、今月に入って随分と機嫌が良い。毎日来ているだけにその差異がはっきりとわかる。ただ、理由までは知らなかった。
空いているカウンター席にユウが座るとタビサがすぐに顔を出してくる。同時に料理と酒も目の前に並べてくれた。エラが伝えてくれたのだろうと思いながらぼんやりとその姿を眺めていると、首元に小さな貝殻のペンダントがあることに気付く。
「タビサさん、そのペンダントどうしたんです?」
「おや、気付いたのかい。これはね、降臨祭のときに孫からもらったんだよ。レスターたちが春からこの店を手伝ってくれてたんだけど、それにお駄賃をあげてたんだよ。そしたら、それをずっと貯めてたらしくてね、そのお金で買ってくれたのがこれなのさ」
嬉しそうに白い貝殻のペンダントを見せてくれるタビサにユウは曖昧な笑顔でうなずいた。春以来、たまにタビサがこうなっていたのでその受け流し方はすっかり身に付けている。邪険にはできないので、気分が良いまま話を終えられるよう相づちを打った。そうやって厨房の奥から呼ばれてタビサが引っ込むまで耐えるのだ。
ようやく1人になれたユウが食事を始める。いつもの料理と酒をいつものように口へと入れていった。
そんなユウに手の空いたサリーが近づいて来る。
「今日も遅いわね、ユウ」
「休暇中だからね。こんなものだよ」
「羨ましいこと。3食とも食べに来てくれていいのよ?」
「早朝は空いていないじゃない、ここ」
食べながらユウはサリーとの雑談を始めた。閉店近くになると客対応が減るので給仕に余裕が出てくるのだ。代わりに閉店準備を始めないといけないわけだが、慣れているとそこの融通は利かせられるようになる。
「ところで、エラが最近機嫌がいいことに気付いている?」
「今月に入ってからでしょ。理由までは知らないけれど」
「実はね、新しい男ができたのよ、あの子」
一瞬食事の動きを止めたユウが目を見開いた。それを面白そうにサリーが眺める。
「相手は酒場『昼間の飲兵衛亭』の跡取り息子なの。レナルドっていうんだけど」
「サリーは知ってるんだ、その人」
「同業者ですもの、そりゃぁね。エラもいい人見つけてあたしも安心したわ」
しみじみと語るサリーの横でユウはレナルドについて思い出そうとした。しかし、記憶にない。聞けば普段は厨房で働いているという。
知り合いの変化に若干戸惑いながらもユウは食事を続けた。




