雨の中での休暇
町の中から鐘の音が鳴り、その直後に室内が明るくなる。耳と目で刺激を受けては眠り続けるのは難しい。ユウは目を覚ました。素っ裸で寝台から立ち上がると背伸びをする。室内の空気は明らかに湿っていた。しかも、7月が近い今は少しずつ暑くなってきている。最悪の組み合わせが続く日々だった。
木窓を開けるとやはり雨が降っている。今は小雨で風もほぼない。室内が更に湿気るが採光という点から閉めっぱなしというわけにはいかなかった。
連日雨が降るようになってから当たり前となった湿った服を着たユウは朝の準備を始める。朝食を食べ終えたところでトリスタンが起き上がったのを目にした。こちらも裸だ。
相棒が朝の準備を始めたのを尻目にユウは自伝の執筆を始めた。今年に入ってからも少しずつ書き進めたおかげで、いよいよ大陸一周の話も大詰めを迎えてきている。この調子ならば来月中には故郷に戻るところまで書けそうだ。
そうやって機嫌良く書いているとユウは再び鐘の音を耳にする。三の刻になったのだ。ペンを握っていると時間の経過を早く感じる。
再び意識を羊皮紙に向けようとしたユウだったが、背後でトリスタンが立ち上がって扉に向かう音を聞いた。ペンを握ったまま振り向いて声をかける。
「どこに行くの?」
「市場に行ってくる」
「今雨が降っているよ?」
「もちろんわかっているぞ。でも、雨が降り始めてからは全然遊べていないからな。いい加減行っておきたいんだ」
「今月後半はずっと部屋にいたもんね」
「そういうことだ。あと数日で7月だっていうのはわかっているんだけれどな。待ちきれないんだよ」
肩をすくめたトリスタンが部屋を出て行った。もはや雨に打たれるということだけでは相棒の思いは止められないことを悟ったユウはそのまま見送る。
1人になった室内でユウは再び机に向かった。過去の出来事を思い出しては羊皮紙に書いてゆく。記憶があやふやなところも当然あるが、それも何とかして記していった。
すっかり書くことに没頭していたユウは次の鐘の音を耳にする。四の刻になったのだ。空白を意識するとペンを置いて部屋を出た。
廊下に出たところでユウはベッキーに出くわす。
「ユウじゃない。今日も良い天気ね!」
「え?」
何を言われたのかわからなかったユウはその場で固まった。その間にベッキーが去る。
しばらく呆然とベッキーが去って行った方法を見ていたユウだったが、気を取り直して体を動かした。受付カウンターでジェナに部屋の鍵を渡す。
「昼ご飯を食べに行ってきます」
「服が湿ってるようだけど、風邪をひくんじゃないよ。あたしゃ最近関節が痛くてねぇ」
「毎日雨ばかり降っているから仕方ないよね」
「嫌だよねぇ。早く夏が来てほしいもんだ」
ひとつうなずいたユウは宿を出た。雨は弱いが降っている。先を急ぐ人々と同じように酒場へと足を向けた。
昼食を終えたユウが宿屋『乙女の微睡み亭』に戻って来た。案の定ずぶ濡れである。受付カウンターにやって来るまでの床が水濡れだ。もっとも、他の宿泊客も同じなのでユウだけのせいではないが。
鍵を差し出すアマンダが苦笑いする。
「これはまた見事に濡れてるじゃないか」
「この時期はもう諦めた。また借りた桶に水を絞って入れておくよ」
「そうしておくれ。部屋の床まで水浸しは困るからね」
「ああそれと、ひとつ聞きたいことがあるんだ。最近のベッキーってなんだかやたらと浮かれていない? 今日も部屋を出て出くわしたときに、良い天気だなんて挨拶されたんだ」
「あっはっは! あの子隠しているつもりで全然隠せてないんだよねぇ」
「隠す? 何を?」
「男と付き合い始めたんだよ、あの子」
「ええ!?」
意外なことを知らされたユウは目を剥いた。振り返って見ると今年に入った時点でそんなそぶりがあったような気もする。しかし、言われてみるまでまったく気が付かなかった。
そんなユウの姿も面白そうにアマンダが見る。
「男はそういうの全然気付かないからね。ユウが驚くのも無理はないさ。でも、これは黙ってやっててほしいのよ」
「もちろん黙っておくよ。逆にこれ、本人に何て言えば良いの」
「それもそうだね。ま、暖かく見守ってやっておくれ」
母親であるアマンダからお願いされたユウは受け取った鍵を弄りながらうなずいた。当面は知らない振りをするしかない。
部屋に戻ったユウは自伝の執筆を再開した。心なしかペンの走りが悪い。羊皮紙が水分を吸ったようである。
鐘の音を2回聞いた後、尚もユウがペンを動かしていると少し周囲が暗くなってきた。ちょうどきりの良いところまで書けたのでペンを置く。そして、羊皮紙を片付けると部屋を出た。
部屋の鍵を返して路上の人となったユウは雨がほとんど降っていないことに気付く。そのまま歩いていると七の刻の鐘の音が聞こえてきた。貧者の道から安酒場街へと移るとまっすぐ安酒場『泥酔亭』に向かう。
服が多少湿気る程度で済んだ状態でユウは店内に入った。そこで空の食器を手にしたエラと出くわす。
「あらいらっしゃい。今日は遅いじゃない」
「おかげでほとんど濡れずに済んだよ」
「良かったわね。今日も雨が降ってたから店の中もひどいもんよ。湿気ってしょうがないし」
「お客はみんなずぶ濡れだもんね」
「こういう湿気る日は嫌いだから早く夏になってほしいわ」
言うだけ言ってすっきりとしたらしいエラが厨房へと入っていった。ユウもカウンター席のひとつに座る。既に盛りを過ぎているので店内はある程度静かだ。
ほどなくしてカウンターの奥からタビサが料理と酒をユウの目の前に並べた。それから唐突に孫のかわいさを語り出す。何が起きたのかわからないユウは黙って聞くしかなかった。
そこへサリーがやって来る。
「女将、孫の話は後にしてよ」
「おっと悪かったわね、ユウ。これもかわいいあの子たちが悪いんだよ。それじゃ、楽しんでいっておくれ」
「あれどうしたの?」
「今日、レスターやナディアにお婆ちゃん若いって言われて浮かれてるのよ」
「話の流れが全然見えないよね」
「そういうことがあったと思っておいてちょうだい」
「とにかく助かったよ」
「近いうちに更にひどくなるかもしれないけど、そのときは聞き流しておいてね」
「なんでそんなことになるの?」
「あの子たちが3人でお婆ちゃんに贈り物を贈る計画を立ててるのよ」
「ああ、うん、それは駄目だね」
「でしょ。中央の品物がまた入ってくるようになったから、それを買うんですって。安いやつだけど」
「あれ? また中央の品物が届くようになったんだ」
「ちょっと前に戦争が終わったらしいわよ。これでやっと元通りよね。よかったわ」
肩をすくめたサリーが別のテーブルを片付けるために立ち去った。
ここでようやくユウはまだ食事に手を付けていないことに気付く。閉店時間を気にしつつ少し急いで食べ始めた。こんなことは初めてだ。これからはもう少し早く来店しようかなと考える。
そろそろ閉店だとエラに告げられた頃に食べ終わったユウは席を立った。そうして酒場を出る。日はすっかり沈んでおり、往来する人々が掲げる明かりが数少ない光源だ。
路地を進んだユウは貧者の道に出る。安酒場街よりも人の密度が薄い分だけ暗く感じた。そういえばと思いつつ空を見上げる。雨が止んでいた。
宿屋街の路地に入ると人通りはまた少し増える。夜明けの森から戻ってきた冒険者たちの姿が見えるようになったからだ。今回の狩りは稼げたという声や残念な結果だったという声がちらほらと聞こえる。
ようやく宿屋『乙女の微睡み亭』に戻って来た。受付カウンターで鍵をもらおうとしてアマンダからトリスタンが戻って来ていることを教えてもらう。なかなか酔っ払っていたらしい。
借りている部屋に戻ると真っ暗だった。しかし、寝台からかすかな寝息が聞こえる。蝋燭に火を点けると室内がぼんやりと明るくなった。寝台でトリスタンが眠っているのを目にする。
もうやることもないユウは自分も寝ることにした。服を触ってみてまだ湿っていることがわかってため息をつく。懐から財布代わりの巾着袋を取り出した。机の上に置こうとしてよく見る。思えば町の中でまだ働いていた頃から使っている代物だ。人生の半分以上を共にしている唯一の小道具である。
ユウは中身を机に出してみた。金貨、銀貨、銅貨、鉄貨が混ざっている。特に目立つのが金貨2枚だ。駆け出しの頃はこの2枚を貯めるのに苦労していたが、去年は2日で稼いでいた。あまりの違いに苦笑いがこぼれる。しかし、今年は半年かかった。普通の冒険者ならば、これでも上等な方なのだ。
硬貨を巾着袋にしまうとユウは湿った服を脱ぐ。そして、蝋燭を消してから寝台に横たわった。




