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誰かがいる気配はあるが、部屋は静まり返っている。しかも、明かりが点いていないため、既に日が落ちた外のように暗い。そんな部屋の奥に進むと、エリカの姿が見えた。テーブルに突っ伏している。レオが入ってきたことに全く気付いていないようだ。
「エリカ?」
そう声をかけてもエリカは全く気付かない。どうやら、寝ているようだ。何もなかったことに、レオはほっとした。もしかしたら、旅の疲れが出ているのかもしれない。氷の街を出てから、連日のようにかなり長い距離を歩いている。休ませておいた方が良いのかもしれない。レオはそう思った。……だが、何か、様子がおかしい。
「…ねが……。…いか……で…」
そうつぶやいている。小さな声で、でも、必死に……。その頬には、雫が煌めいていた。
起こした方がいい気がする。そう思ったレオはエリカの傍に近寄ると、その肩を揺さぶった。すると、少ししてからゆっくりと瞳を開けた。最初はまだ半分夢の中にいたのか、状況が分かっていなかったようだったが、レオの姿を見てようやく理解したらしく、慌てて体を起こした。
「え。あ…、レオさん。おはよう……ございます?」
「…まだ夕方だが、取りあえずおはよう。大丈夫か?随分うなされていたが…」
エリカは黙ってうなずいた。どうやら、自分が泣いていることに気付いていないようだ。レオがエリカの頬に残っている涙をそっと拭うと、エリカは驚いたように硬直した。
「大丈夫なら泣いていないと思うが…、無理には聞かない」
そう言ってレオは彼女の頬から手を離そうとしたが、何故かエリカは逆にその手をぎゅっと握った。まるで、何かを引き留めるかのように…。だが、その手は微かに震えている。そのことに驚いていると、エリカは、手と同じように少し震える声で、そっと尋ねてきた。
「レオさん…。ちゃんと、ここにいますよね?夢でも、幻でもないですよね…?」
その瞳が、不安そうに揺れている。まるで、目の前にあるものが消えてしまうのを恐れているかのようだ。そんなエリカをレオは、包み込むように抱きしめた。エリカは戸惑ったようだったが、レオは安心させるように、
「大丈夫。僕はここにいる。これは現実で、突然消えることなんてない」
そう告げた。迷いのないその言葉に、エリカは少し安心したようだった。そして、ぽつぽつと彼女が見ていた夢の内容を語り始めた。
最近、同じような夢を何回も見ること。その夢の中には、いつもエリカの大切な人たちが出てくること。しかし、最後には全員、別れの言葉を告げてどこかに消えてしまい、エリカだけが暗闇の中にたった一人で取り残されてしまうということ……。
「その夢を見るたびに、思うんです。私はきっと、ずっと一人なんだと…」
夢の内容を語った後で、エリカはそう続けた。レオは黙ったままそれを聞いていた。
「今までも、私の周りにいた人は、私の前からいなくなってしまいました。イオ様も、お父様も、お姉様も、皆……。だから、怖いんです。大切な人がどこかに行ってしまう喪失感をまた味わうくらいなら早く一人になりたくて、でも、誰かといる、今の状況を手放したくなくて…」
そう言い終わった後で、エリカはそっとレオから離れた。部屋の明かりを点けていないせいで、エリカの表情はよく見えない。今更ながらそれに気付いたレオは、明かりを点けた。暖かい色の光が部屋を満たす。その中で、レオはエリカに言った。
「ということは、君は、僕と別れた後、ずっと一人でいるつもりだったのか?」
「それは…。そう…かもしれません。実はあまり考えていなかったんです。何と言うか、レオさんがいなくなった後のことがあまり想像できていなくて…」
その言葉にレオは虚を突かれたような気分になった。なぜならそれは、レオも考えていたことだったからだ。エリカと別れた後のことを全く想像していない。ずっと、二人でいるこの状況が続きそうな…、そんな気がしていた。予想外の共通点に、レオは少し笑った。
「それは、僕と同じだな。僕も、港町に着いた後もエリカと一緒にいるような…。そんな気がしていた。だから、一人になった後のことを想像できてなかったんだ」
目を丸くしたエリカに、レオはある提案をした。それは、今のこの状況をどうにかできるかもしれない、そんな方法。そして、孤独な少女への約束でもある。
「エリカ。港町に着いた後も君に同行してもいいか?知っての通り、僕は護衛として強いわけじゃないが…。それなら君は、一人にならないだろう?」
「…!本当、ですか?それはありがたいのですが…。途中で私といるのが嫌になるかもしれませんよ?たぶん、この先もご迷惑をおかけすることになるでしょうし…」
エリカは笑っていたが、笑っていなかった。確かに表情は、冗談でも言っているかのように微笑みが浮かんでいる。だが、その瞳には諦めたような色が浮かんでいた。口調もどこか不安そうで、紡いだ言葉が実際に起きてしまうことに怯えているようだった。その瞬間、はっきりと分かった。エリカが恐れているのは、親しくなった人が今までのように自分の元から離れていってしまうこと…。何故今まで気づかなかったのだろう。孤独な少女は、何とも思っていないように振る舞っていたが、本当は平気ではなかった。誰かに一緒にいてほしくて、でも、それが叶わなかったのだ。恐らく、その不安を今すぐになくすことは難しい。だが、少しずつなら、それができるかもしれない。
「迷惑だなんて思わない。それに、人を殺せなくてもいい、と言ってくれたのは君だから。きっと、そう言ってくれる人はなかなかいないと思う。…だから、一緒にいさせてほしい」
そう言い切ると、エリカは何故か一瞬、固まった。しかし、その後で少しうつむいた。そのせいで表情は見えなかったが、ぽろぽろとまた涙が零れ落ちていくのが見えた。何か傷付けるような発言をしてしまっただろうか、とレオは慌てたが、エリカは、
「す、すみません。悲しいとかそういうのではなくて…。ただ、レオさんの言葉が嬉しかったんです。そう言ってくれた人は、あなたが初めてで…」
そう言って、涙を拭った。少し恥ずかしそうな、照れたような表情をして、言葉を続ける。
「…何だか私、レオさんに色々と頼りすぎているような気がします。初めて会った時から、ずっと。それに比べて、私は何もできないので…、本当に申し訳ないです…」
「そうか…?別に、そんなことはないと思うが…。それに、僕としては何かあったら言ってくれた方が嬉しい。最近、あまり元気がなさそうだったから、内心、何があったのか心配してた」
しかし、エリカはその言葉に目を丸くした。どうやら、レオがそのことに気付いていたとは思っていなかったようだ。エリカは恐らく、自分が思っているよりも、その感情が表情に出やすい。それは、ずっと前から気付いていたことだ。レオは微笑み、立ち上がった。
「そろそろ、食堂の方に行かないか?あまり遅いと、宿の人にも心配されるだろうし…」
そう言って、エリカに手を差し伸べた。エリカはうなずき、そっと差し出された手を握った。その顔に浮かんでいたのは、微笑み。それは、氷の街を出てから初めて見た、彼女の本当の笑みだった。そのことに、レオは安心した。ようやく、彼女の笑顔が戻ったからだ。そして、それと同時に、今度こそ、上手くいくのではないかと…。何故かそう思った。
――「前」が一体何だったのか、その時何が起こったのか。レオにはまだ分からない。ただ、今この瞬間、そしてこれからもエリカの隣にいられることが嬉しかった。二人は並んで歩き出した。
――彼らが「前」に関する真実を知ることになるのは…、まだ少し先の話。この時はまだ、何も知らなかったし、知る術もなかった。
間章おしまいです!




